作品をつくるにしても、材料をどうするのか。イメージがどこからやってくるのか。イメージをカタチにするための道具と技術をどうするのか。それらをクリアできれば傑作が誕生する(はず)。
ぼくは偶然を愛するがゆえに、材料をできるだけ買わない。お店で購入すれば、おカネと引き換えに望んだモノが手に入るけど、偶然による奇跡はひとつも起こらない。
木材を買わないで手に入れる方法のひとつが廃材。北茨城市にも古い家がたくさんあって、チャンスを狙っていると、築100年の蔵を解体するという話が飛び込んできた。木材を欲しいと話すと快諾してくれ、翌日現場へ。解体していた職人さんたちが協力的でトラックで運んでくれた。
その日の夕方、蔵を解体していた職人さんが、様子を見に来てくれた。職人さんは社長さんで「俺もモノをつくるのが好きなんだよ。で君たちが木材欲しいって廃材取りに来たから嬉しくてさ、芸術やってんだろ? なかなかできることじゃない、頑張ってくれよ。応援するよ。」と言ってくれた。
応援してくれる人がいて、その人が欲しいと感じてくれるような作品をつくりたい。モチベーションが生まれた。芸術は難しいことではなく、鑑賞した人が直感で何かを受け取ってくれればいい。ぼくがつくりたいからつくるのではなく、喜ばせたい人がいるからつくる方がずっといい作品に仕上がる。
いまは六角形の変形パネルに円形の景色をつくりたいと企んでいる。六角形は、岡倉天心の六角堂で、そこからの景色を模様として彩ってみたい。北茨城という土地から生まれた発想。これはチフミのアイディア。ぼくが考えたモノではなく、相方のイメージを拾ってカタチにすれば、みたことのない作品が生まれる。コラボレーションは、どこにも存在しないオリジナリティになる。
「おカネを使わない」ことが、出会いを生み出す。偶然の為せる奇跡。偶然によってつくられた作品は、唯一無二の価値を持つ。それは作為を超える。アートは、作品の価値を感じてくれる人を、たったひとりの理解者をみつければ成立する。ひとつしか存在しない作品は、ひとりだけしか所有できないのだから。モノをつくり、愛する人と出会う。それがぼくにとってのシンプルなアート活動だ。そのためにも、心底から素晴らしいと思える作品をつくりたい。
----
本を出版しました!
「生きるための芸術」