いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

使われなくなった材料で小屋を建てる冒険 【恵比寿の小屋-前編-】

f:id:norioishiwata:20170503092528j:plain恵比寿ガーデンプレイスの小屋が完成した。始まりは、今年の1月18日、友達が、ぼくと小屋を建てる夢を見て声を掛けてくれた。ぼくは、ブログやSNSで自分のやっていることを報告していたから、それが夢に出たのかもしれない。
友達が見た夢は、ぼくの夢でもあった。廃材を使って小屋を建てる企画を海外のアートギャラリーやレジデンスに提出していた。そんな想いが友人の夢に現れるなんて。イメージを頭の中だけでく、アウトプットしていれば、意外なカタチで実現する。続ければ必ず。

f:id:norioishiwata:20170503093436j:plain日本は豊かな国で、四季の移り変わりのおかげで、たくさんの自然の恵みがある。人間は自然のなかから、必要なモノをみつけ、生活をつくってきた。家もそのひとつ。歴史を振り返ってみれば、家は自然からの材料でつくられてきた。原点は竪穴式住居で、屋根の原型でもある。空間を広くするために立ち上がり、壁ができた。そう考えてみると、屋根は至ってシンプルな構造だ。「水は高いところから低いところへ流れる」この法則に従えば、雨は漏らない。

屋根の材料はいろいろある。瓦は土を焼いてつくる。茅葺きは、身の回りの草を重ねて屋根にする。恵比寿の小屋は茅葺きにした。しかし、茅葺の量が少なく厚くならなかったので、茅葺の間にトタンを挟んで、雨漏り対策をした。高いところから低いところへ水を流すために片流れにした。とにかく、雨をしのぐことが家の原点だと言える。

f:id:norioishiwata:20170503093858j:plain雨をクリアできれば、柱と壁だ。屋根を支える構造が必要になる。構造と言っても、柱を立てる基礎と柱と柱を繋ぐこと。

空き家を転々とするうちに、つまり古い家に暮らすうちに、日本の木造住宅の面白さを知った。木は、乾燥して年を重ね、ある説によれば300年は強度を増していく。家の材料になる木は、森からやってくる。日本の田舎には、たくさんの檜が植えてある。檜はまっすぐに伸びるから建材として重宝される。木は育つのに50年から100年を要するから木樵は、次の世代のために働く。ぼくがこの冬暮らした岐阜県中津川市の加子母地区は、林業の村だから、次の世代のために地域づくりをしている。つまり100年先の未来のために町をつくっている。

でも100年前の人が植えてくれた檜に価値がなくなってしまった。価値を与え過ぎて高騰した国産材は、輸入材の需要に負けてしまった。第二次大戦後、日本は復興を願い、より多くの住宅を供給するために、安い建材でたくさんの家をつくった。それは戦前、大正や明治時代とは比べものにならないつくりだ。そんな訳で森の檜を放置する人が増えてしまった。

f:id:norioishiwata:20170503094139j:plainぼくは家を通じて、日本人が切り捨ててしまった大切な技術があることを知った。

例えば、ぼくにはまだない技術の木材と木材を繋ぎ合わせる仕口は、地震の揺れを緩んで逃し、また強く結合する仕組みになっている。これを数字で計測する手段がないという。だから、いまの建築では、耐震という考え方で構造を固め、免震という合気道のようなテクニックはあまり使われなくなった。

関東大震災のあとにも、第二次大戦の後にも、バラック小屋と呼ばれる簡素な住宅が立ち並んだ。それは家と呼ぶにはあまりに粗末で、復興が進み、高度経済成長と共に、壊され消えていった。いまでも、街を歩くとトタンや木造の古い家を見ることができる。ぼくは、そうした古くて簡素な住宅にこそ、生きるための知恵が詰まっていると思う。なぜなら、それは誰もができるオープンソースな知恵だから。また、そうした住宅は、どこにでもある、誰でも手に入れられる材料でつくられているから。

f:id:norioishiwata:20170503094242j:plainだからぼくは、森で倒れてしまった利用価値のない、檜の丸太と、古い家を解体した木材で、小屋をつくることにした。おカネがなくても、人が必要としなくなったモノに価値を見出すことができれば、目の前の世界はずっと豊かに広がっていく。

f:id:norioishiwata:20170503100345j:plain檜の丸太は、冬に暮らしていた中津川の森にたくさん倒れていた。大家さんに了承を得て、タダで譲ってもらい、皮を剥いて、適当な長さにして、東京へ運んだ。このとき、屋根の構造材にする竹も譲ってもらった。竹も昔は使い途があり、重宝したが、いまは伸び放題だから切ってくれるなら、と喜んでくれた。
廃材は、SNSを利用して呼びかけた。家を解体した木材は、廃棄物処理業者がトラックに積んで処分する。この業者に相談してみると、捨てるモノでも、捨てるのが仕事だから、譲れないと断られた。いくつかトライしてみたが、結局、作業工程の邪魔だからと断られた。
ところが世田谷の祖母の家を解体するからと、友人が廃棄処分業者に話すと対応は違って、畳の下にある荒板を提供してくれた。社会は、どこから入っていくかで、対応が変わるということ。入り口をみつけることだ。床の荒板は小屋の壁になった。

f:id:norioishiwata:20170503094523j:plain声に出せば助けてくる。これは人間社会のとても素晴らしい部分。人間が助け合いながら生きていく社会の方が足を引っ張り合うよりも豊かになる。

友人の友人が、四国へ引越す予定で、たくさんの廃材がある、と教えてくれた。神奈川県の横浜市で、不思議な暮らしをしていたアーティストが、素晴らしい古材を提供してくれた。不思議というのは、町中なのに焚き火をしていたり、トイレも風呂もなく、インターネットもやらないという人は、友人を紹介するといって、落ちてる端材にエンピツで名前を書いて渡してくれた。「葉山のジョニー」彼に会うといいよ、と。それだけの情報で、どうやって探せばいいのか。でも、行けば出会ってしまうところが、人生の面白さがあるかもしれない。

こんなラッキーもあった。小屋を建てる夢を見てくれた友人は、恵比寿新聞というメディアを運営するイベントのプロデューサーでもある高橋ケンジで、彼に「小屋はたくさん窓をつけたい」と話していた。ケンジ氏が、高知を訪れた際に古道具屋で、その窓を発見した。ところが、古道具屋さんは、こんな窓いらないから、持っていけと、タダで譲ってくれた。

f:id:norioishiwata:20170503094737j:plainこうやって、あちこちで役目を果たした、もしくは、利用価値がないモノたちをスカウトして回って、集まってきた材料たちは、漫画のキャラクターのように強烈な個性を放っていた。こうやって、完成した小屋は、唯一無二で、同じモノは二度とつくれない。だけど、似て非なるモノは、誰にでもつくれる。

イベント企画とスケジュールの都合で、構造にはツーバイフォー材を使用した。ビスとかトタンとか、諸々の材料費で5万円ほどでこの小屋は建った。ところが先日、とある場所では、廃材を古材として価値を与えて、窓も板も5000円から8000円ほどで、売っていた。捨てられるモノ、売られるモノ。同じモノでも場所を変えれば価値も変わる。大切なのは、価値を見出す心だ。

ぼくはプロでも専門家でもなく、2年ほど、空き家を改修したり、古い家を大好きになってくうちに、ノウハウが集まってきただけ。せっかく小屋をつくったので、ノウハウを共有するイベントを開催する次第。

5月6日13:00~15:00
恵比寿ガーデンプレイスの小屋にて
無料

ぜひ、お越しください。

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さて、このイベントの話しには、さらなる広がりがあって、その続きは次回。