いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

過去と未来を繋ぐ交差するライン。

80年代から続くギャラリーいわきでの展示も残すところ2日。このギャラリーを運営する藤田忠平さんと過ごす日々こそが今回の展示の貴重な時間だと思った。

 

忠平さんは、北茨城市に生まれ、田舎に育ったのにアメリカに渡り、まさにラブ&ピース、ピッピーカルチャーど真ん中、そこに身を投じた。今日話して繋がったのは、東京のピッピーカルチャー「部族」の話だった。アメリカから戻って、高円寺とか荻窪に行ったりして、いろんな仲間ができたと話してくれた。その繋がりが福島のコミューン、漠原人村だったりして、それはぼくがフェスカルチャーの前身でもある野外イベントで出会った人たちとも繋がっている。最近読んでいる山尾三省も、きっと忠平さんと繋がっているのだろう。そこと、今の接点は大きな円を描くだけで、繋がってはいないけれど、それはやがて、どこかへ着地する。きっと。

 

芸術という捉え所のない多岐に亘る表現と80年代から付き合ってきた忠平さんの言葉は、ほんとうに学ぶことばかりだ。

忠平さんは「何か表したいモノが心の奥底から湧いてくる、それが芸術なんだろう」と話してくれた。「それがブレると、もっと別のモノを求めて、他人の表現を参照したり、いくつも研究と言ってあれこれ知識を集めるうちに、心の奥底から湧くモノではなく、リサーチ、比較検討した売れるモノを作るようになってしまう。でも、それはその人の表現ではなくなってしまう」とも付け加えた。

それは忠平さんが経験のなかで得た知見で、ある意味で何十年付き合ってきた芸術という表現に対する哲学であり、結晶だ。ぼくは、その考え、言葉に触れることができるのは、まさに先人の知恵を受け継いでいる瞬間なのだと感じた。

 

ギャラリーいわきの伝説は蔡國強(さいこっきょう)との出会い、彼との歴史にある。余計なリサーチは抜きにして、忠平さんから語られる蔡國強の逸話は、ぼくにしてみれば、至宝の格言もしくは芸術家としてステップを踏んでいく帝王学とも言える。

蔡國強は、中国から亡命するように日本に渡り、そこで活動のきっかけを探すけれども、東京のギャラリーは相手にせず、たまたま出会った地方でギャラリーをはじめた、忠平さんが興味を持って、それが縁で蔡國強は、いわき市を拠点に活動した。

忠平さんは、蔡國強のすごいところは、作品をつくることだけでなく、プロジェクトを実行するための、企画、人を巻き込むこと、そのチカラだと教えてくれた。ずっとギャラリーに所属したりすることなく、自らマネジメントして、アート界のスターになった。もちろん作品の規模のインパクトも、それまでにない表現をカタチにしていた。

何より感銘を受けるのは、それだけ有名になっても、キャリアのはじまりだった、いわきの仲間たちを今も大切にしてプロジェクトを作っては一緒に作品をつくっていることだ。忠平さんは、それで世界の美術館を巡っている。例えば、蔡國強の最初期の有名になったきっかけとも言える、いわきの海の水平線に導火線で火花のラインを描く作品は、いわき市の人が撮影していて、蔡國強は、その人の名前をクレジットしている。おかげでその人の名前は、世界の芸術ファンに知られることになった。

 

ぼくは、その伝説を聞きながら、何かそのエッセンスを学習している。現代に於いては、表現する作家として、カタチをつくるだけでなく、人との関わり方もまた、作家活動の重要なポイントになっている。もちろん正解はない。だから、何を導き出して、何を公式にするかは、それぞれの選択だ。だからこそ、そこもまた表現の一部になる。その意味で、蔡國強は遠く及びもしないけれど、僅かな接点ながら、ぼくにとって学ぶところがある先輩でもある。

 

今日、ギャラリーに来てくれた人が、いろんな企画に応募して、知られる機会を増やしたらいいとアドバイスしてくれた。そういうタイミングが来たのだと感じた。それはギャラリーいわきという場所が、次のステップへの足場を固めてくれたのだとも感じた。

ぼくも、これまで関わってくれた人たちに希望の物語でお返ししたいと思う。忠平さんにも、この先の未来で恩返ししたいと思った。

 

偶然が一致するほど、美しいことはない。予想もしない合致なのだから。しかし、それに気がついて喜ぶ観察の眼差しは、いつも感度を上げておかなければならない。一致していることに気づいて、それを次のステップにできることが成長ということだから。

大地は地球だし、空は宇宙に繋がっている。その天と地の間で、やれることは果てしない。やればやるほどスタートラインに立っている。

アート作品は見られて成長する。

ぼくは妻と二人で芸術家を仕事にしている。一緒にひとつの作品をつくる。いまギャラリーで個展をしている。展示をする目的のひとつは作品を売ること。もうひとつは作品を鑑賞してもらうこと。たまに「作品を買えなくてごめんなさい」と言ってくれる人がいる。けれども作品は見てもらうことで成長する。それを知っててほしい。だからすぐに売れなくても、作品は、数多くの目に触れることで強くなっていく。美しくなっていく。余計なことを言わずにそっと静かにしていられるようになる。つまり自立する。

今回の展示でもいろいろな言葉を貰った。

「初めて見るマルチエールですね」

マルチエールとは、絵肌のことだ。ぼくたち夫婦の作品は、コラージュから始まった。紙を切って貼って剥がしたり、貼る予定の紙の裏側を貼ったり、絵を予想外の方向に壊しながら絵をつくっていく。

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原風景 | 生きるための芸術

2017

上記の作品はまさにコラージュ作品で、ここから数年の時を経て、下記の絵画へと変わった。これは最新形。丸いパネルと額をつくれるようになったのは新しい技術。

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河口の夕焼け | 生きるための芸術

大きな変化は、絵の世界が空想ではなく現実になった。ここは茨城県北茨城市の通称「河口」と呼ばれる場所。紙を切って貼るコラージュではなく、絵の具をコラージュのように塗っている。だからここにはコラージュの痕跡がある。

ひとつの作品のなかに、自分たちが重ねてきた表現が地層のように重なっている。人生のように。そこには、最も古い表現の核をみることもできる。だから、たまに昔の作品を眺めるのも悪くない。それは自分が何者なのかを教えてくれる。

 

ギャラリーで鑑賞者と対話することは作品と話をすることだ。まるで鏡を覗き込むように。


「次はどんなことをしたいのですか?」と質問された。

「紙をつくりたいんです。身の回りに楮(こうぞ)があって、それを使ってやってみようかと思うんです。」

「紙は難しそうですね。道具とかも必要ですし」

「どんな技術も難しいです。でも始まりは単純だったんだと思うんです。その始まりまで遡って技術を獲得することがぼくの目的なんです」

そんな話をした。

 

ぼくのテーマは生きるための芸術で、それは生きるための技術であり、人間が生きるためにしてきたことの源流を探求する冒険でもある。この冒険にはカテゴリーがない。芸術の源流を探索しているから芸術と呼んでいるけれど、それをカタチにするまで、理解は得られない。「紙をつくる」ためにまずは楮をみつける。説明するのが難しい。絵を描くわけでもないし、オブジェでもないし、すぐにはお金にもならないだろう。けれども炭窯で土器をつくることに成功した。それと同じ何かを感じている。言葉未満のとき「感じる」と言うしかない。

 

遊んでいるのかもしれない。それでもぼくは十分に大人だし、やることはやる必要がある。その柱ができつつあるような気がしている。絵を描くこと。実は絵を描くのは妻チフミがやっている。続けていくうちに彼女の性格が絵に反映されて、独自のマルチエールを獲得していた。チフミはぼくのように能天気でも自信家でもない。だから絵に自分の筆跡が入るのを極端に嫌がっていた。笑えるほどの逆説だけれど、妻が自分を消した結果、ありえないほどのオリジナリティがそこに現れた。

こうして俯瞰して考えられるのも、作品を並べて多くの人に鑑賞してもらったからだ。作品が売れることも必要だけれど、展示をして鑑賞してもらい、言葉を重ねてもらうことで、ぼくは作品がどういう状態になっているのかを客観的に知ることができる。その視点は展示する以外に知る手段はない。

 

「窓の外から景色を見ている」

そう言ってくれた人がいた。

絵はもうひとつの世界だと思っている。ぼくたちが生きている現実と絵画の世界を分け隔てるのが額だ。額は文章の「。」と同じ。英語でのピリオド。はっきりと世界を切り分けてくれる。だから額は窓だ。

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道 | 生きるための芸術


2021年9月の頭はまだ緊急事態宣言が出ていて、県を跨ぐ移動は自粛が要請されている。ぼくたちも、展示に毎日立ち会うか悩んだけれど、結局、ギャラリーでお客さんと話をすることを選んだ。なぜなら、それはぼくたちの仕事だから。表現を伝えること。ここに人生を賭けて取り組んできた大切なことがある。それは行動して感じ取ることと言葉の間に横たわっている。

「桃源郷へ」個展

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いわき市のギャラリーで個展が先週末から始まった。アートで生きていく。これがこの10年の目標だった。それをするために生活そのものを作ってきた。なぜなら、作品はその人間を表現する。何を食べて何を見て何を考えて、その日々の所作が作品に反映される。

コロナウィルスは収まることなく、展示をやってもぜひ来てください、と大声でアナウンスする気持ちにもなれなかった。SNSで宣伝して、代わりにWEBSHOPで作品を観て買えるようにした。

そして北茨城市に暮らして現在に至るまでを書いた本も先行で販売をはじめた。

やっと望んでいたサイクルがスタートした。日々作品を作って暮らす。その生き方を本にして記録する。

展示では、大成功というほど売れてはいないけれど、この状況下では充分続けていこうという気持ちになるぐらいは売れてくれた。不思議と今回はむかしの作品が売れている。

一昨日、展示に来てくれ、新しい本を買ってくれて、また翌日に来てくれて、別の2冊の本を購入して絵を予約して、たくさん話しをしてくれた。

展示をするのは、自分という表現を伝えるためだ。作品が「売れた/売れない」は、絶対の評価ではない。いつも揺らぐけれども、もちろん売れたらいいけれど、売るために売れ筋の作品を揃えるということはしたくない。なぜなら作品はそれぞれが意味を持って生まれている。

ぼくの表現は音楽が原点にある。メッセージだ。もっと言えば、ものがりを創造している。何才からなのか覚えてもいないけれど、いつも粘土で遊んでいた。捏ねてはカタチをつくりものがたりと共に破壊と創造を繰り返した。

ぼくの表現は、偶然が重なって必然的に生まれる。井戸を掘って粘土が出た。どうやって焼くか決めていなかったけれど、カタチを作った。炭焼きをやることになって、炭窯のなかで、そのカタチを焼いた。結果、陶芸作品と呼ぶには未熟なそれでも土器程度には焼き締まった作品が生まれた。

昨年、水が沸いている休耕田をみつけて、蓮を植えた。昨年は失敗して今年も植えた。景色を作って、それを絵にするのを楽しみにしていた。展示の2週間前に蓮は花を咲かせた。

それぞれの作品をSNSにアップしていたら、友達が炭窯で焼いたカタチは、パドマーサナのポーズだと教えてくれた。ヨガの蓮のポーズだった。

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そうやって作品は自らものがたりを編み出していく。ぼくは、それを彫り出している。現実を作り出し、その現実を作品化する。その意味では強烈に現実的な表現をしている。シュールレアリズムの真逆の。けれども社会自体がSFを超えた速度で崩壊してくように見える。だからこそ、空想の世界を開拓するのではなく、現実の世界を現実社会とは別の、つまりオルタナティブな世界をつくっている。

次のタームは、景観作りと絵画と土器。この二つを探究していくだろう。現実と平面と立体。それに加えて英語の勉強を再開しよう。世界中の端っこと連携して、生きるための芸術を探究したい。展示は終わりの始まりで、始めたことが終わるときだ。「Befor After the end」これもぼくを貫くテーマだ。

そして等身大の馬を作ったけれど、それが何なのかまだ分かっていない。きっとこの馬のたちも新しいものがたりを語ってくれるだろう。

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WEBSHOP覗いていってください。

https://artsales.theshop.jp/

展示は9月12日まで

ギャラリーいわき

http://gallery-iwaki.moo.jp

本を個人で出版すること。

やりたかった夢のひとつに本を出版することがあった。理由は本が好きだからで、とてもシンプルなことだ。しかし、本を出版するということは、なかなか難しくハードルが高い。本をつくるだけなら、まだ比較的難易度は低い。何か書いてある紙を束ねれば、それは本になる。この種目を難しくしているは「出版」だ。

出版するとは、出版社から本を出すことで、編集者がいて、出版社がお金を出し本を印刷して売ってくれる。だから出版社は売れる本を探している。まず売れる見込みがないものは出版社から出してもらえない。だから売れる本をつくろうという話になる。

ぼく自身、何度か出版社に営業してみたり、編集者に打診したりしたこともある。もちろん編集者も出版社も売れるものを掘り出す使命がある。値打ちのない壺みたいな本を掴まされたくない。だからとても慎重だし、よし!君の本を売ってみよう!とはならなかった。当然と言えば当然だ。近頃はSNSやインターネットを通じて、作家どれだけ認知されているのかを測ることができる。そんなに数字を持っていないぼくを商品にするのはリスクが高い。もちろん、作品が奇跡的に素晴らしければ、出版してもらうメダルを与えてもらえるかもしれない。しかしそれがノーだとして、それでゲームオーバーなのか。

ずっとこの出版することの難しさに悩まされてきた。幸いにも「生きるための芸術」と題したぼくの本は、理解ある出版社に巡り合い、世の中にリリースされた。夢とは儚いもので叶った途端に現実となって輝きを失う。叶った途端にその光を見ることはもうできなくなる。だから栄光なのかもしれない。出版されれば、次は何冊売れたかというレースが始まる。売れなければ市場から撤退する運命になる。本屋さんの棚のスペースには限りがある。新しい本は毎日出版されている。そのひとつひとつが命がけで棚を狙っている。

ぼくは去年から今年にかけて3冊目の本を書いた。それを察したのか、これまで出版してくれた会社が新作を出版する体力がない申し訳ない、と連絡をくれた。本を流通させるには、流通会社を経由する必要があり、2000冊は刷らないとレースへの参加資格を手に入れることができない。それでいて売れなければ2000冊は返品され、機会を失った本の山となる。そもそも自分で、そんな数の本を売ることができないから出版社のチカラを借りて、流通会社を経由して読者のもとへと届けようとするのだから、返品されてしまえば、もう売り捌く手段も気力はどこにもない。ずっとこの出版に関するねじくれた状況について自分のスタンスを模索していた。頭の中で。オブザーベーションだ。自分が本を出版するという意味を捉え直す作業をした。

本が好きで、読むだけでなく、本そのものを作りたい。これがそもそも初期衝動だ。そのために文章を書き、絵を描くようになった。だからレイアウトもデザインもすべて自分でやるようにもなった。作ったら、それを誰かに読んでほしい、楽しんでもらいたい。それが原点だ。その対価として本が売れてお金になれば、それは嬉しい。好きなことがお金になって生きていくことができる。
つまり自分が作った本を読み手に届けることさえできれば、極論、出版社も流通会社もいらない。「たくさん売れる本でなければならない」という呪縛から解放されれば、本を出版するということは、信じられないほどシンプルになる。

というわけで出版レーベルを作った。名前は「地風海」妻の名前チフミとサーフィンをイメージした。社会や会社は好きではないので「社」は付けなかった。出版者になるのは今は簡単で、ISBNという出版コードを申請するだけ。一冊から可能で、ぼくは3年間で10冊出せるコースにした。Janコードという流通させるのに必要なナンバーと合わせて30000円だった。ただ全部自分でやっていると、誰にも認められないからだな、と思われたくないので、これまで出版してくれた会社にも協力してもらっている。あとコピーライターの友人に表紙まわりのテキストを作ってもらった。印刷は、ネットで調べて、比較的安いところにお願いした。サンプルを5部だけ刷ってもらい手元に届いた。やっぱり本は楽しい。ページをめくって展開していく世界。文字しかないのに広がるイメージ。行間、フォント、余白。バランス。

サンプルを色見本にして、調整して、テキストの最終校正をして今日入稿した。本がモノとして仕上がる。ここからは本を売っていく作業が始まる。これを読んでくれた方。ぜひ買って読んでください。販売できるようになったらまたここでお知らせします。

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「廃墟と荒地の楽園-生きるための芸術3」
9月の上旬に発売予定です。Amazonでも買えるように登録中です。

今日をつくる。イメージすること。

今年のお盆は雨が降り続いて、西日本では災害も起きるほどだった。自分が暮らしている場所は、夏が終わってしまったようだった。けれど雨が続くと、屋外の仕事がなくなり、創作活動に専念できる。サーフィンにも行こうと考えなくなる。

雨が続いている間、冬から作っている馬を仕上げる作業をした。終わらせないと永遠に作業は続くようにも思える。締め切りは仕事に区切りをつけてくれる。馬は、パピエマシェという技法で、新聞紙、段ボールと小麦粉を煮た糊で作っている。ほぼ実寸大で、可能なら屋外に展示したい。しかし紙でできているから何かしらの加工が必要で、できるだけ天然素材と考えていたけれど、結局、エポキシ樹脂で固めることに落ち着きそうだ。

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こんなに大きな馬を作ってどうするのか、とも思う。思い付いてしまったのだ。馬を作ろうと。アイディアが湧いてくるとき、それは意図しないところからやってくる。馬を作ろうという発想は、この環境が源泉になっている。つまりぼくが発想したというよりは、自分は媒介であり、周囲の環境がそれをイメージしたと言うことができる。だから売れるかどうかは問題じゃない。その懸念は純粋なクリエイティブができたとき解決される。すぐではないにしろ、それが役に立つときが来る。むしろマーケットを意識した時点でそれは使い古された記号に囲われる。

例えば、2年前に廃墟に捨てられたタイヤを単なるゴミで終わらせないため、タイヤを使ってペインティングをした。閃きがあった。それはタイヤペインティングという連作の絵になった。あれから2年経って、先月アトリエ&ギャラリーを訪れてくれた人が3枚まとめて購入してくれた。このタイヤシリーズは、タイヤに働いてもらって処分費用を自分で稼いでもらうというプロジェクトでもあった。ついに完結の目処がたった。

表現するということは、純度が高いほど商業的ではなくなる。商売するのが悪いという話しではなく、商売に寄せることで、生まれてくる表現が変更されることを危惧している。

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長雨が終わって、夏日が戻って早速、波乗りに行った。夏は海に入らないと何かを損した気持ちになる。海が好きだ。だからサーフィンをしている。最近たくさん海に入って上達した気になっていた。だからどんな波でもとりあえず海に入っていたら、コツが分からなくなって、波に飲まれまくった。たまにケガをしたりして妻に隠したりしていた。どうして上手くできないのか「波に巻き込まれない方法」を調べてみた。驚く解決方法だった。それは「成功をイメージする」ということだった。

波に巻き込まれるのを恐れると、タイミングを見失ってしまう。成功するタイミングは、恐れの向こう側へいかないと掴むことができない。だから、失敗をイメージするよりも成功をイメージしろ、という説だった。

絵を描く、立体をつくる、という表現も同じなのかもしれない。絵を描いて失敗するということは1ミリも考えないし、立体もそうだ。いつもこうなるというイメージがある。それは今日一日という単位にも当てはまる。今日はどこまでやれるか。そのイメージがあるかないかで全く違う今日になる。まだお昼た。どこまでやろうか。とりあえず馬の色塗りの下準備は終わらせておきたい。

サーフィンでぶつけた腿が痛いが、これは秘密の話。

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夕方前には馬の色が決まった。

進むべき道を照らすための日記

1週間にひとつぐらいは考えたことやしたことをメモしておきたい。昨日は友人の音楽家松坂大佑のアルバムのブックレット・デザインをした。

1日という単位のなかで、仕事や遊びや楽しみや不安や未来への投資など、できることを展開している。投資と言ってもお金じゃない。自分の持ち時間を純粋に未来に投資している。

最近の心情としては、何が仕事で何が遊びだか分からなくて、つまりのところ日々はとても素晴らしく充実している。その一方で現在の社会はコロナウィルス蔓延が続き、その状況も2年目になっていて、自分の生活がいつまでこうしていられるのか先行き不安な状況でもある。

現在の記録としては、9月の個展に向けて新作をつくっている。夫婦で一緒に制作するスタイルは、それぞれの性格や得意なところ、お互いを補い合うバランスで役割が少しずつ変わっている。今は、絵のアイディアと下描き、パネルや額づくりは自分の担当で、絵を描くのと仕上げは妻が担当している。会社で例えるなら、営業や企画は自分がやっていて、経理と制作と社長は妻が兼任している。

芸術で生きていくと決意したのが20年前。仕事を辞めて専業にしたのが10年前。安定は永遠にないけれど芸術家を職業にしている。何にせよ、この社会で生きていくにはお金を手に入れなければならない。働いても働いてもお金が余るなんてことはなかなかならない。だから、お金をあまり使わない生活スタイルを選んだ。それでもやっぱりお金はあったほうがいい。その矛盾の間で右往左往している。

つまりは理想と現実の乖離が問題で、現実社会は、燃費の悪いクルマの如く、永遠に働き続けるようなシステムを設定してくる。それに対抗していまのライフスタイルを作った。だからと言って、このままでいいということはなく、足元は自分の理想で固めて、この社会に挑戦していきたいとは思う。挑戦するとは、数字の獲得のことだ。現代社会は数字で評価される。中身は問わず10冊売れる本よりも1000冊売れる本のほうが価値がある。挑戦するために、出版するアカウントをつくった。いわゆる出版社だけど「社」という単語が気に入らないのでアカウントと呼んでいる。「地風海」と名付けた。妻チフミから戴いた名前だ。3年間に10冊の本が出せる。権利に2万円を払った。安いのか高いのか分からない。ISBNというコードがないと書店での販売やアマゾンでの取り扱いがしてもらえない。これもまたシステムだ。

本をつくることは自分のライフワークで、そもそも本をつくることから自分の決意は始まっている。27歳のときに決意したのは本をつくることだった。本が好きで、なかでも文章のレイアウトが狂っている本を集めていた。面白いというだけで、なかには読めないものもあった。ほとんどの本は売ってしまい手元にないのだけど、ジョンワーウィッカーという人の本は大切に今も手元にある。この人はUKのテクノで知られるアンダーワールドが所属するデザインチーム「トマト」の首謀者で、この人が手掛けた「The Floating world:ukiyo-e」は自由なページづくりの傑作だ。文字が様々なサイズやフォントで踊っている。天空の星のように散りばめられている。四角いボックスに収めていく通常のデザインとは一線を画している。

そうだ、話は理想と現実の乖離だ。ジョンワーウィッカーに影響を受けたぼくは、数年かけて一冊の本を完成させた。それが2011年のことだ。最初の作品がフルスイングでホームランのはずだったが、意味不明だと理解されなかった。でも数人の理解者は傑作だと褒めてくれた。最初の作品は創造力の果てまで旅をした自分の記録だった。遠くまで行けることが分かった。だからいつでもそこまで行くことができる。理解されるものが素晴らしいとは限らない。いまは理解できなくても、未来に受け入れられる作品もある。そういう作品に影響を受けてきたから仕方ない。宮沢賢治カフカ、郵便配達員のシュヴァル、アルクトゥルズへの旅、レーモンルーセルラメルジー

作品をつくることは、理想をカタチにすることだ。頭のなかのイメージをカタチにする。ぼくは妻と共同作業することで、頭のなかのイメージをカタチにする過程に起きるエラーを作品に取り入れている。妻といくらコミュニケーションしても、伝わらないところはあって、それが作品に反映される。予想もしなかった何かが作品のなかに現れている。そこにこそ檻之汰鷲というカップル芸術家にしか表現できないオリジナリティがある。

しかし作品をつくることと、それを社会へと送り出し貨幣へと換金する作業はまったく別の次元。惑星が違う。言語が違う。とにかくそれぐらい違う。しかし、この社会では、それをやらなければ作品をつくって生きていくことはできない。自分がやらないなら誰かにやってもらうしかない。しかし待っていても白馬の王子様はやって来ない。ギャラリーがあなた素晴らしいですね、わたしのところで個展やりましょう、その結果バカ売れ大ヒット、なんてことは滅多に起きない。

ところが今回は、珍しくギャラリーのオーナーがぼくたちに個展をやろうと声を掛けてくれた。ぼくは「ノーエクスペクテーション」という呪文を知っていて、何かオファーがあったとき、起きた出来事以上の期待をしないことにしている。もしかしたら、こうなるかも!という期待は、期待しているだけなら実際には起きないことのほうが多い。期待の対義語は失望だ。またはもうひとつの呪文「貪・瞋・痴(とんじんち)」を唱える。これは人間のもつ根元的な3つの悪徳のこと。自分の好むものをむさぼり求める貪欲,自分の嫌いなものを憎み嫌悪する瞋恚,ものごとに的確な判断が下せずに,迷い惑う愚痴の3つから逃れるための呪文。

いずれにしても、予期するものを待つだけでは手に入らない。代わりに、そのイメージした期待が現実になるようにオブザーベーションする。オブザーベーションとは、ボルダリングの用語で、どのルートを通ってゴールへ到達するか、コースを目視で検討することだ。つまり、自分の期待にどうやって到達できるのか、そのルートをみつける。

だとして9月の個展で起きるだろうミラクルは作品が売れることだ。では、どうしたら売れるだろうか。お知らせをすることだ。それから作品を買いたいと言っていた人はいなかっただろうか。作品を見せたい人の顔を思い出してメッセージを送る。次に展開したい場所や人に連絡する。SNSに投稿する。それ故にぼくは営業を担当ということになる。

社会は複雑だけれど、どうやっても人と人の繋がりでしかない。コロナウィルスで、人と人が出会えない期間が長引いているけれど結局のところ社会とは人だ。というわけで、この文章を書いて、そろそろ個展のお知らせをする時期だったと気がついた。

ぼくはぼくでしかない。けれども、そのぼくがどんなぼくだったのかさえ忘れてしまう。忘れてしまうと自分と対話しなくなる。対話を怠ると、人生のどこを歩いているのか地図を確認しなくなる。コトバは世界を理解する唯一のツールだ。だからこうやって文章を書いている。自分をオブザーベーションして進むべき道を照らすために。

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理由もなく気に入らないという気持ち

自分にとってのアートの最前線は「桃源郷づくり」で、これは景観をつくって、訪れたひとに「ここはいいところだね」と感じてもらうランドスケープアートであり、大地から溢れる草たちを美容師のように刈り込んでいくおよそ芸術っぽくない作業でもある。

限界集落に12世帯。まわりのほとんどは耕作放棄地。所有者はいるけど使っていない。草が生え放題。なので、所有者に許可をもらって草刈りをはじめた。初年度は、もはや雑草というレベルを超えて木になっていたり、それは大変な作業だった。2年目は、まだ草の背丈が小さい6月から草刈りをはじめたおかげで、草たちと仲良く過ごせているような気がする。

この集落に自分の土地はなくて、誰かの土地の草刈りをしている。一応、地域の有志で協議会を立ち上げて、協議会名義で使ってない土地を借りて、代わりに草刈りをしている。ところが、いろんな人がいるから、それを快く思わない人もいる。そういう人は直接何かを言ってくることはなくて、ふんわりと風のように噂となって伝わってくる。

ある場所の草刈りをしていると、遠くからクルマを停めてこっちを見てる土地の所有者Sさんがいた。たまにそうやって見ているのが分かった。たまたまその人が、いつもお世話になっていると人と立ち話をしていて、無視するのも何なので、話しかけてみた。

Sさん「いや草刈りご苦労さんだね。なんであんたがやってんの? あんた芸術家だろ? そんな人が草刈りなんて俺は納得いかないんだよね。あんたはもっと絵を描くとか、そいうことをしなきゃいけなんだろ? 誰がやらせてんのさ?」


「誰がやらせてるっていうか、ぼくが自分で好きでやってるんですよ。草が伸び放題より刈ってあるほうが、見た目がいいじゃないですか」

Sさん「そりゃそうだけどさ。あんた、そんな無償で働くわけか」

「タダってわけでもなくて、ぼくは集落支援員といって、この地域のためにここにいて役に立つことをして、それが給料になっているんですよ」

Sさん「なんだ。じゃあ、お前は役所の人間か。つまり当局の使いってわけだな。俺は気に入らんのだよ。俺は腰が痛くて草刈りが思うようにできなくてよ、そこに付け込んで土地を貸せというわけだ。毎年契約更新で嫌だったら返してくれるって話でよ、気に入らないね。第一偉そうなんだよ」
(何が気に入らないのかまったく理解できない)

「そうなんですね。嫌だったら草刈りしないので言ってください」


Sさん「いや、だからね、芸術家の先生をね、草刈りさせて、うーん、気に入らないんだけど、、あんたが当局の回し者だってことも気に入らない、、けど、草を刈ることがあんたは自分で好きでやっているっていうのか?」

「そうですよ。だっていろんな理由で草刈りができないのだから、それを放っておくよりいいと思いますよ」

Sさん「とにかくだ、俺は気に入らんのだよ。しかし、あんたを悪く言うつもりはないよ」
「じゃあ、また気に入らないことあったらいつもで言ってくださいね」

と言って別れた。分かったのは、その人はただ気に入らないということだった。それだけってこともあるんですね。人間って面白い。