いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

自称芸術家田舎暮らしのある一日の記録(3月16日)

3月16日に書いた。

絵が完成したからテキストと併せて記録しておく。

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朝5時に目を覚ました。オーダーされた絵の景色をみつけるために海へ行った。雲があったし、5時30分が日の出だから、期待は低かった。海まで20分。クルマを走らせるとチフミが「空が綺麗!」と声を上げた。朝焼けがはじまっていた。二ツ島観光ホテルの駐車場を借りて撮影した。

ぼくは青色が好きだ。空が好きだ。海が好きだ。空は真っ青だったり、水色だったり、紫色や紺色や、グラデーションを出したり、夕焼けとか、とにかく美しい。そいう景色を絵にすることが最近は多くなった。みつける景色のほかに景色をつくるという制作もやっている。これが今は自分のなかで最前線にある活動だ。環境を彫刻している。

景色をみつけるために早起きして、海から帰ってきてまだ7時だった。桜を植樹をする準備で業者が伐採している山にいって、チフミと木を運んだ。山の所有者のお婆さんが「細くて長い木を何本か貰っとけ」と言ったからだ。山から木を出して8時になった。日課のストレッチをやった。身体の中心を確認して、全身を伸ばす。指先から足の先まで。身体も思考も自分に向き合う必要がある。自分が存在しなければ、見えている世界は消えてしまうし、自分が調子悪くなれば、見えている世界も歪む。それほど世界の中心軸なのに、多くの人は「自分」を雑に扱う。

昨日から3冊目の本を仕上げるために文章に向き合っている。そのやり方が最適なのか分からないけれど、言葉が出てくるままに文章を書いて、どんどん削って無駄を削ぎ落していく。何回も書いていると同じ内容でも違う言葉が出てくる。またそいう言葉を配置して、何度も読み返して、並び変えたりして文章を構成していく。何度も読み直していると、感覚がマヒしてきて、読みにくい文章に慣れてしまう。そうしたら原稿書きの作業は終了する。

薪棚をつくった。薪ストーブでひと冬を越して、どれくらい薪が必要か分かった。廃材で貰ったパレットを使って薪棚をひとつ追加した。それで午前中の仕事を終わりにした。

昼飯は近所のお婆さんの家に食べに行った。チフミは午前中、お世話になっている近所のお婆さんこと澄子さんのジャガイモ植えを手伝っていた。80歳でひとり畑仕事は重労働だ。自分たちの畑をやるより澄子さんの手伝いをした方が勉強になるし、生きるために働く、その活動の境界線が、他者と自己とが曖昧な方がいい。生きるために必要な資源に関しては、水とか食料とか土地とかは、これは俺のモノ、これはお前のモノ、という考え方は古い習慣になればいい。

お昼をご馳走になって、午後は絵を描くためのパネルをつくった。パネルをつくって、額をつくって乾燥させた。15時から仕事の打ち合わせだった。知り合いの会社で人手が足りないから数日手伝って欲しいと相談に来た。ぼくのような生き方をしているとお金に無頓着で、時間だけはあったりする。もちろん暇なんて1秒もなくて、やりたいことで溢れているけれど、文章と同じでやり過ぎると、何がしたいのか見えなくなってくる。たまにはアルバイトなどして、絵を描きたいと強く思うくらいのコントラストがあった方がいい。

打ち合わせが終わって、小林秀雄岡潔の対談「人間の建設」を読んでいたら、文章が書きたくなってこれを書いた。

壊れた「社会」に対抗するための環境彫刻

2021年3月1日に書いた。でも何かが違うような気がした。2021年4月7日に読み直おして手を加えた。

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死は突然やってくる。いつも生きることの隣に死がある。だから、やりたいことを全力でやった方がいい。ぼくの場合は、創作に没頭すること。これを人生の主軸にしている。

「狼と暮らした男」という本を最近読んだ。ロッキー山脈の狼の群れのなかで、生身の人間が2年間も野生動物と暮らすという話。ほんとうにそんなことができるのか信じがたいエピソードが盛りだくさんで、常識的な考え方にはリミッターがかかっていると気づかされた。読みながら、ほんとうなのかと疑う自分がいた。

この本のなかで、野生の狼と暮らした経験が「犬のしつけ」という仕事に展開していく。どうにも「野生」での経験が「しつけ」に変換されることが、受け入れがたかった。この違和感に向き合うと、意外な側面が見えてくることがある。今回は動物を飼うという行為に賛成できないので、犬のしつけのページは適当に読み飛ばしていた。

ところが、だ。妻チフミのお父さんが倒れた。70代半ば。家族は死を覚悟した。緊急手術のおかげで一命を取り留めている。チフミのお父さんが倒れて、お父さんが飼っている犬を一時的に預かることになった。犬を飼う? 犬を飼うなんて、微塵も考えたこともなかったのに、あの本で働いた感情は予感だったのか。というわけで数週間後には犬と暮らすかもしれない。予測できないことを受け入れられるキャパを持っていたい。人生は作るよりも作らされることの方が多い。

ぼくは学者でも教授でもない。肩書は芸術家。自分はアートを研究している。生きるとは何か。表現とは何か。言葉の定義から作り直している。言葉はオブジェだ。あらゆる角度から読み解くことができる。ぼくは「アート」を語源のアルスから読み解き「技術」と解釈している。アートは技術である。それはどんな技術かといえば、源流まで遡るアート(技術)だ。だから自分のアートを他者のそれと区別して「アルス」呼ぶことにした。

例えば、今日は炭焼き窯をつくる準備をした。前回失敗して壊れた窯の土をスコップで掻き出した。パワーショベルでやればすぐ終わる仕事だけれど、手でやると細部を観察できる。ここは焼き締まっているけれど、ここは脆いとか、状況を知ることができる。おかげで検証できた。炭窯を失敗するという事件の現場検証だ。炭焼き窯づくりは過去に2回失敗している。前回の敗因は、パワーショベルで土を載せたこと。土を叩き締めるチカラが足りなかったこと。その2つと推測される。人力でコツコツと作業すれば、丁寧に土を叩き締めることができる。パワーショベルを使うと機械のペースで作業が捗り過ぎて、細かいところが雑になってしまう。

たぶん「炭窯をつくる」とか「犬と暮らす」とか、そんなことはいわゆる学校で教える「アート」ではない。けれども、ぼくが考える「アート」とはこれであって、世間の言葉と自分の言葉が乖離している。これでいい。だからその溝を埋めるなり、橋を架けるなりするために、言葉を費やしている。書くという行為そのものもまた別のレイヤーで表現している。探求している。同時に幾つもの経験を積んでいる。

この数年「社会彫刻」という言葉を使ってきた。このヨーゼフボイスの概念を引用してきたのだけれど、ここ最近「社会」という言葉が分からなくなった。何を指しているのかイメージできなくなった。で幾つか本を読んで「社会を知るためには(筒井淳也著)」で、思わず笑ってしまった。

社会とは「わからないもの」と書いてあった。しかも、理解するために論理化するほどに複雑になっていく。あまりに複雑になり過ぎて、現在はこれだとひとつの回答を出すのではなく、ある視点からの読み解き方を提案する方法論になっているという。世の中には、分かっていることより、分からないことの方が多い。なぜ人は生きるか。いつ死ぬのか。なぜ犬を飼うのか。これをこうしたら社会はこう変わるという方程式が成り立たない。「風が吹けば桶屋が儲かる」だ。

ぼくは「生きる」の探求者として、2つの方法論に従って人生を進めている。ぜひ覚えておくといい。ひとつはコラージュ。ここにはセレンディピティと呼ばれる「何かをしているときにその目的は違う何かを発見する」秘儀がある。妻の父の病気によって、まさか犬と暮らすことになって、ぼくはその経験から何かを発見する。これがセレンディピティーだ。コラージュはアート技法だけれど、これのおかげで予想外の出来事を受け入れられるようになった。

もうひとつは「社会彫刻」を発展させてつくった「環境彫刻」という概念。ここでの環境とは、自分を起点に広がる周辺環境のことを指す。自分自身の周辺環境を彫刻して、理想の生活空間をつくること。「社会」という言葉は、いつどこで誰が何をするのか、それを明らかにしない。社会には主語がない。主語がないから、行動する言葉に変換できない。社会にはアクセスする回路がなくて、政治とカネが操作する手段だけれど、完全に壊れている。だから自分の目の前から広がる世界をつくること。それを環境彫刻と名付けた。

2021年になっていよいよ「社会」という概念自体が機能しなくなったと感じている。10年前には東日本大震災による原発事故があり、いまではコロナウィルスとの共存を強いられている。こうした災害は、社会の機能を麻痺させる。しかし社会は止まることがない。機能が弱まって動きが鈍化するだけだ。けれども競争が冷戦状態のとき、社会のスピードが遅くなったとき、この暴走する社会から脱出するチャンスがある。社会に飲み込まれて生きるのではなく社会と距離を取りながら、自分自身の環境を構築するチャンスだ。

例えば、ひとりの社員が会社全体の体質を変えるのは難しい。けれども、会社で所属する部署の環境を変えることならできるかもしれない。もっと言えば会社の自分の机の周りの環境ならきっと変えることができる。同じように社会を変えることはできなくても、自分が住んでいる街なら住みやすい環境に変えることができるかもしれないし、自分の家の周りならきっと変えることができる。

ソーシャルネットワークの出現から「共感」が世の中を支配してきた。けれども同じ気持ちなんてひとつもない。気持ちもまたオブジェだ。多角的に観察すれば同じことを言っているようで全然違う。むしろそれが豊かさだ。大切なことは誰かのアクションに反応する傍観者としてではなく、主体として主人公として生きることだ。

生きているだけで奇跡だ。どうして「生きているだけで、最高!素晴らしいね!」とならないのか。命という祝福されるべき奇跡が社会に放り込まれることで、傷つき輝きを失うのならそんな社会に接続するべきではない。

生きると死ぬは一直線に繋がっている。けれども社会を通した直線は、まったく予想外に展開していく。思い通りになることなんてない。濁流に飲み込まれていく。アートは社会に押し流されていく、本来的な大切なものを杭のように打ち付けていく。人間として忘れてはならない感情を。

優れているとか劣っているとか、勝つとか負けるとか、そういうことではなく、生きていることそのものに価値がある。等しく。しかし、その喜びは残念ながら、社会と闘わなければ手に入らない。まだ2021年は、その程度の自由しかない。けれども動き始めればその自由を手にすることができる。なぜなら、これは競争ではないから。それぞれが望んだ場所に向かうだけのことだから。

妻チフミのお父さんは、ぼくの生き方に何も言わなかった。いつも受け入れてくれた。それは、どんな言葉よりも、励ましであり応援だった。

 

何かをしたときに別の何かを手に入れること。

天気はよくて空は青いのに、門の外には出れない。朝から夕方まで工場を整備する部品を削っている。

友達の会社の人手が足りないからと、8時30分から17時まで工場で3日間働いた。ぼくも毎日仕事をしているし働いているけれど、いまは納期もないし、ある程度調整できるし、友達が困っているからその仕事をやることにした。工場での労働はいつもに比べて不自由で無口になった。感情を押し殺した方が過ごしやすかった。工場が悪いという話ではなく、そこにはぼくの仕事はなかった。たった3日間離れただけで、自分がつくった生活が愛おしくなった。妻と二人で絵を描くこと、桃源郷と名付けた景色をつくること、地域のお年寄りたちと可笑しく楽しくお話すること、その日常のなかに自分の仕事があることを再確認した。

友達の仕事は3日間で充分間に合いそうだったので、やるべきこと、やりたいことは山のようにあってずっと自分の生活を仕事を作り続けていることに気がついたから、それで終わりにした。実際、桜の植樹の準備もしなければならなかった。

工場での仕事は必要な時間だった。離れて分かることがある。工場で一緒に働いた人に自分が何をしているのか説明することも、いま書いている本の参考になった。絵を描くということだけでも何をしているのか想像もつかないのに、さらに生活をつくっていると言えば余計に意味不明だろう。自分と社会との距離もよく分かった。

もっとも大きな収穫は軽トラックだった。友達にいま軽トラックが欲しくて、オートマ限定解除の教習に通っていると話すと、ちょうど軽トラックを買い替えて、処分する古いのがあるから使うか?と言ってくれた。一番欲しかった軽トラックを手に入れることになった。

工場で働くことを選択したことによって、金額には換算できない豊かな収穫があった。実際、手伝った分の給料はまだ貰っていない。貰ったら幾らか分からないけれど、少し足して、絵を買おうと思う。ぼくは絵を描くけれど、絵をたまに買う。なぜなら、絵を買うとその価値を知ることができる。絵のチカラを体験することができる。5万円とか10万円で絵を買うことは、人生になんの足しにもならないようで、体験してみると分かるけれど、もちろんその絵が良い絵ならだけど、そのお金は消えてしまうようだけど、その対価として与えてくれる豊かさがある。毎日眺めることや、それ以外のもっと想像以上の、ぼくが工場で働いて手に入れた収穫のような何かがある。

ぼくは、そうした経験を制作に反映させて、絵を描き人生をつくっている。想像もしなかった何かを手に入れるときぼくは、人生は正しい方向に進んでいると安心する。

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楽園を目指している。

文章を書き続けていて、やっぱり本が好きでモノとしてつくりたいという想いがあって、続けているうちに少しずつ成長していく手応えがあって、それは今書いている文章がよくないと感じる時がきっかけで、その違和感をどう乗り越えるか考えてまた書いてを繰り返して、ようやくそのときに感じていることを言葉にできるようになる。

今は三冊目の本を書いていて三カ月前に第一稿を書き終えた。一旦製本してみてサンプルで20部つくった。出版社が決まっているわけでもないし編集者がいるわけでもないから、やれるところまで全部自分でやっている。いないからというよりも本が好きだからレイアウトもデザインもやりたい。だから執筆と編集もひとりでやっていて、どうしても前のめりになって客観的に読めなくなってしまって、三カ月前に寝かせることにした。その期間はまったくこの本に触れないでいた。三ヶ月経って新鮮な気持ち読み直してみたら、書き足りないところ、余計なところがはっきり見えてきた。

誰に向けて本を書いているのか、それを明確にすると文体や内容が決まると編集をやっている人に教えてもらった。誰にむけているかと言えば、妻の両親、甥っ子や姪っ子がもう少し大人になったとき、友達の子供が大人になったき、そういう人たちに届けたい。

こんなことを書いて何になるのか、という話もあるけれど、文章を書くことは内容は何でもよくて、それが書けるかどうかが問題だと思っている。絵も同じで何かを狙い過ぎて描けなくなるよりも、描きたいものを描くのが精神的にも生き方としても気持ちがいい。

三カ月間寝かした本に手をつけたので頭のなかで書き足したいことがグルグルしている。昨日は目を覚ましてから夕方までずっと文章を書いた。この本はまだ下絵ができたレベルなので先は長いけれど、そうやって表現に没頭して向き合える時間を持てることが何よりも楽しい。

もちろん本を読むのも好きで、寝かしていた三カ月間は図書館で借りたり、買ったり、10冊くらいの本を読んだ。とくに面白かったのは「楽園への道」、「極北へ」、「狼と暮らした男」、「新・冒険論」、「人新世の資本論」。

ところが、寝かしていた本に手を出したら途端に本が読めなくなってしまった。だから「オン/オフ」は必要なんだと実感した。言い換えるとインプットとアウトプットの時期というのがあるのだろう。でも絵に関しては、インプットはもうほとんど目の前の景色、つまり自然がメインだから誰かが作ったモノからの影響は少なくなった。この数年に影響受けたのは、熊谷守一、柚木沙弥郎、田中一村熊谷守一と柚木柚木沙弥郎の絵を単純化する技に引っ張られつつ、田中一村の描写に学びながら、自分の絵画表現を追求している。絵を描くというよりは額も含めてモノ=オブジェとして作品を制作している。

文章を書くことと作品をつくることの間に生活をつくるという活動がある。いま書いている三冊目の本はその橋渡しをするために書き続けていると、これを書きながら気づいた。創作活動は、ほんとうに人それぞれのペースがあって、他者と比較したらそれはストレスと失望以外の何物でもないけれど、競争のためにしているのではないから、モノづくりしている人は、そんなことに苦しむ必要は微塵もない。自分にそう言い聞かせている。こうした文章を書くのも自分の表現のフィールドを耕すためにしている。

表現することの意義をお金に換えてしまえば、それは多くの収穫を取りこぼすことになる。大地から食べ物を手に入れることに例えるなら、食べ物を掴むことが成果なのではなく、それに至るまでのすべての経験が糧になる。ぼくの場合は、絵を描くこと、文章を書くこと、生活をつくること、そのほか、やってみたい表現に手を出すこと、すべてが人生を豊かにしている。

2年前にバリ島で描いた絵に額を閃いたので、作って額装して完成した。いい絵が描けるということも大切だけれど、描いたものを暖めたり、寝かしたり、その作品に必要なだけの時間を与えてやれる余裕を自分に持つことも大切だと思う。なにより死ぬまで創作を続けることが目的なのだから。

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3.11から10年。そして次の10年へ。生きるための芸術として。

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昨日で東日本大震災原発事故から10年が過ぎた。何度も文章を書いては消しているうちに思った。過去と現代社会について書くよりも、建設的な個人の未来について書いた方がいい。

「社会」について考え方が改まったのでメモしておく。単語だけ引用するなら「共同幻想」だということ。(これは吉本隆明の有名な本のタイトルだけれど、時代が違い過ぎて読むことができなかった)

この数年「社会彫刻」という言葉を使ってきた。これはヨーゼフボイスの提唱している概念を引用しているのだけれど、ここ最近「社会」という言葉にも違和感を持つようになった。つまり「社会」という単語が何を指しているのかイメージできなくなった。何かそれ関係の本をと「社会を知るためには(筒井淳也著)」を読んで、思わず笑った。

社会とは「わからないもの」と書いてあった。しかも、専門家が理解するために論理化するほどに複雑になっていく。解き明かすために複雑な理論を並べると、それがそのまま社会の理解の仕方だと回答例になっていく。解き明かした数だけ社会の理解があって、あまりに複雑になり過ぎてしまい、現在はこれだとひとつの回答を提出するのではなく、社会学とは、ある視点からの読み解き方を提案する方法論になっているという。

ぼくはこう理解した。なにか社会的な方向へと活動していくと社会に飲み込まれてしまう。「わからないもの」の一部になってしまう。共同で社会なる幻想を生み出しているだけなんだ。そんなバカげた話があるだろうか。だから「社会彫刻」というコンセプトも社会から脱出してその取り組みを「環境彫刻」と名付けることにした。

 

この言葉については数日前の記事にも書いた。

norioishiwata.hatenablog.com

していることは、絵を(描くではなく)つくる。景観をつくる。生活をつくる。やろうとしていることは、炭窯をつくる。土器をつくる。紙をつくる。これらの活動全体を「生きるための芸術」と総称して本を出版している。現在2冊出ていて、いま3冊目4冊目を準備している。この本は「アートとは何か」「生きるとは何か」を追求するシリーズだ。何かが仕上がって整えて振り返るのではなく、その時々をドキュメントしていく。ジャンプ世代だからコミックスを目指している。誰かの人生がそまま10巻ぐらいの本になっていたら面白い。死ぬまで。余談だけど安楽死がいい。死に対する考え方が変わってほしい。人生をつくるなら自分の最後もつくりたい。死を創作する。

10年前には想像もしなかった生き方をしている。「芸術によるまちづくり」を目指す北茨城市のサポートによってぼくたち夫婦はコロナ禍を生き延びている。そしてこれからの10年をスタートする。今から想像もできないような地点に向けて歩き始める。

指向するのは、ひたすらに自然の利用だ。人間と自然。生活芸術家と名乗るそのクリエイティブは太古の技術や思考をサンプリング&エディットして現在にアウトプットする。していることのほとんどはお金にならない。きっと。お金にならない代わりにお金で買う商品をプロダクトしてその隙間を埋める。お金の利用価値、その存在意義を変更したい。現行社会とは一致しないエラー環境のなかに生きる。現行社会にとってはエラーでも、ここのレイヤーではフル機能する一時的自立ゾーン。それを密かに桃源郷と名付けた北茨城市里山で実験している。

同時に身の回りのモノを駆使してアートを生み出していく。極力商品に接続させないように逃走線を引きながら作品をアウトプットしていく。要はお金の問題だ。社会はお金に絡めとられていくから、絡めとられないように活動と作品の純度を維持する。つまり商品化できないもの。この時代に商品化しないならば、それは何になるのか。考えたい。一方で絵画やオブジェは贋金として貨幣と等価交換していく。思考の武器をつくってきた。贋金づくり、サバイバルアート、環境彫刻、生活芸術、アルス、それが目次になる本が書けそうだ。

目標は70歳。自分の名前は平仮名で「のりお」と書く。ほんとうは「矩生」という漢字があった。当時は当用漢字じゃなかったので平仮名になった、と父親から聞いたことがある。何かの本を読んでいたとき「七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」という文章に出会った。孔子論語。知ってはいたけれど70歳は考えたことがなかった。でも田舎に暮らして70〜80代と接するうちに見えてきた。周りを見て焦ったり、評価に舞い上がったり、そういうことに惑わされることなく、自分の仕事を進めていく。まず次の10年。完成は70歳だ。

40にして不惑だ。自分の仕事はみつけた。やっと10年前から続いた物語は、次の10年へとスタートできる。進もう。

炭窯づくり3度目の正直者はバカを見るのか。

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暖かくなってきたので、窯づくりの準備のため、土を掻き出した。ユンボでやればすぐ終わるけれど、誰かに頼んだり借りてくるよりも、まずは自力で、スコップでやってみた。おかげで、細かいところを観察できて、土が叩き締まっているところ、脆いところがあることが分かった。どうして前回失敗したのかいろいろシミュレーションして、ご老人たちの話を聞くうちにひとつ分かったことがある。

前回は、土木を仕事にしている人がスーパー助っ人としてユンボを出してくれ、それで大量の土を載せて叩き締めた。お年寄りの話では、むかしは人力でコツコツとカチカチになるまで叩き締めたということだった。

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ユンボがあったら楽だね。もうなしじゃ炭窯つくれないな」

こんな会話をしたのを思い出した。

人力には、そのペースならでは力学がある。次もユンボのお世話になりたいけど、肝心なところは人力でやる。人間の手や身体は、繊細な仕事では機械より優れている。

たぶん、これで3度目は正直者がバカを見ることはないと信じたい。

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日記のような経過としての2月23日

書くという習慣のために、起きた出来事を記録している。思考するために文章を書いている。その習慣のおかげで本が手元に2冊、完成しつつある。本をつくりはじめる前は、その工程を想像しただけで、途方もない山に登るような気持ちになる。けれども遠くへ行くという覚悟をするよりも、書くべき言葉に日々向き合うことで、一歩ずつ山を景色を楽しみながら歩き進んでいくように、言葉を書き続けることで、本はやがてカタチになる。大切なことは、小さなことを捨てないで集めておくことだ。

「生活をつくる」という活動をしてきた。生活をつくるとは、生きるために必要なことに向き合い直し、必要に応じて自分の環境を作り変えていく作業で、今の世の中では、そのような活動に与えられる社会的立ち位置は存在しない。自分の生活をつくっても対価は発生しないから仕事ではないし、便利で快適な方へ向かっていくのでもなく、むしろ不便な方にシフトしていくこともある。生活をつくるという活動は、自分から見える世界に対しての必要に応じた結果で、そのニーズは何に対して応答しているかと言えば、この時代の要請だと思う。この時代の要請はどこからやってくるかと言えば、それは直感としか言いようがない。直感に従って行動するには、社会的な意義を一旦捨てて、それに何の見返りがあるのか分からないことをやってみる覚悟が要求される。覚悟と言うと厳しく重い感じになるけれど、やりたくて仕方ないことを自分にやらせてやる、と言い換えたら、同じ意味でもまた響きが違うかもしれない。

6年前のちょうど今頃の時期に、モロッコのアーティストインレジデンスに2カ月間滞在した。そのときに伝統工芸とコラボレーションしたくて、カーペット職人にデザインを渡してラグを制作してもらった。その橋渡しをしてくれたのがレジデンスのオーナーのジェフだった。当時、旅をしながら絵を描いていたので、絵を売るばかりでなく、物々交換なんかもした。アート作品の成立要素のうちの「欲しい」という感情を抽出したかった。お金を排除すればずっと「欲しい」という感情は出て来やすくなる。

ジェフが欲しいと言った絵と彼の作品を交換する約束をしていた。けれども口約束だろうと、すっかり忘れていた。ところが、ジェフは覚えていてくれ、6年経った先週、やっと渡せる作品ができたよ、と突然メールをくれた。

昨日ZOOMでミーティングして、不自由な英語ながらも久しぶりにコミュニケーションして、改めて世界と繋がる喜びを再確認した。例えば、日本に理解者が3人しかいなくても、地球全体には、その何倍もの理解者が存在しているという希望を思い出した。

ジェフは、6年前のぼくたちの活動に刺激を受けたと話してくれた。特にカーペットをつくった職人は、それ以来、アーティストとのコラボレーションに目覚め、彼女の人生が変わったというエピソードを披露してくれた。ジェフが描きあげた絵も簡単に描いたような代物ではなく、妻チフミとぼくをモデルにした愛に溢れた絵だった。これは確かな実験結果で、お金以外のモノで取引すると人と人は繋がりを強くする。そして、たまにこうしたミラクルが起きる。

現在の生活をつくる活動の原点に、2013年から2014年にかけての旅がある。いまは北茨城市で、当時からは想像もできない生活をしている。はじまりは、東日本大震災だから10年前のことだ。旅から戻った2014年は、40歳で無職だった。それが今は北茨城市と共に景観をつくるアートプロジェクトに取り組んでいて、それが仕事になっている。これも直感に従ってたどり着いた未来だと言える。

ここでの生活の基盤は、豊田澄子さんという女性との出会いにある。肝っ玉かあさんのような澄子さんが、廃墟の改修を快諾してくれ、その環境をギフトしてくれたおかげで今がある。澄子さんは、居住空間を提供してくれただけでなく、日々の食事の面倒も見てくれている。買い物に出かけるとぼくたちの分も買ってきてくれる。食事をつくれば食べに来いと電話をくれる。澄子さんは畑で採れた野菜を分けてくれる。ここには現代社会には存在しない経済がある。もしかしたら、澄子さんがこういう経済態度を持っていて、それは50年も前の日本人の気質なのかもしれない。

という具合に何も考えずに文章を書いてみたら、どうやら経済についての話に展開した。

お金は必要なときに必要なだけあればよくて、必要なモノも、ほんとうにそれが必要なのか、代用はできないのか、作ることができないのか、検討することで、消費を生産へと変換させることができる。その創造活動を生活芸術と名付けている。

作品集の英訳をシンガーソングライターの友人に依頼して、その前に自分でも翻訳してみた。できない英語で思考すると、少ないボキャブラリーで思考をサバイバルさせるから、より単純化して洗練される。

「多い」よりも「少ない」方が機能的に働くことがある。少ない方を目指すことで解決できることがある。つまり、減らしていくことは、成立する最低条件を追求していくことで、それ以上減らしたら成り立たない限界を知ることが、その行為の本質を明らかにしていると言うことができる。

ジェフの絵には、和船を漕いでいるぼくが描かれていた。ジェフは、日本の大工技術に惚れ込んで自分でも家の改修をやるようになったらしい。だからか、息子とボートを作りたいんだ、話してくれた。モロッコのテトウアンの川がいい感じに開発されて、カフェとボートのお店なんかやれたら最高だね、と盛り上がった。

それが夢物語でもなんでもなく、きっとできるとイメージできる。というのも、ぼくはお金を増やすことは考えないから、移動する予算さえどうにかなればいい。この夢の最低限成立条件は、川で遊ぶボートをつくることだ。川にボートが現れれば、誰かがまたボートを作るだろうし人が集まればカフェもできるだろう。増殖させることよりもはじまりをつくることに興味がある。

だから本をつくることの意義も変わってきた。本を作ったら出版社から流通してもらい、たくさん売らないと、と考えていた。けれども、たくさん売るために文章を書いているのではなく、この時代のこの先に求められるモノを直感で拾い集めていて、その活動について正直にまとめたモノをカタチにするのだから、まずは自分が納得する本をつくることに意義がある。そして結果はどうあれ、それを世の中に届ける努力をする。それが本というモノの最低成立要素だと考えるようになった。増殖させることは、その先に起こる話だ。

こういう考え方を支えているのは、心の繋がりを持つ相手がいることだ。金銭を抜きにした繋がり。命の繋がり、自然との繋がり。

言葉は、今見えていることと見えていないことを明らかにしてくれる。

昨日ふとこんな考えが浮かんだ。

波風立てて騒ぐことを活躍と呼ぶなら、波風を抑えて、静かにすることを何と呼ぶんだろうか。

If people act in a way that makes waves and makes a lot of noise is called being active, what is it called to keep the waves down and be quiet?