いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

22世紀の生活芸術家たちへ(作品集あとがきの試論)

妻のチフミとぼくは2021年現在、北茨城市の山間部の集落に暮らしている。東京からクルマで3時間の北茨城市は、小さな山に囲まれ、太平洋沿いに位置している。人々は自然に囲まれて暮らしている。畑を耕し、魚を獲って・・・という暮らしのイメージは、ほとんど、ぼくの幻想でしかない。実を言えば、お年寄りは畑や田んぼをやっているけど、若い世代は、街の方に暮らすのを好む。

自然と共に暮らすという幻想を見ているのは、ぼくだけではなく、北茨城市と共に4年前から取り組んでいる「芸術によるまちづくり」として実践している。だから現実でもある。つまり、理想と現実が揺れる境界線を描いているともいえる。多くの人が街へと流出していく時代のなか、ぼくたちは、山の限界集落へと移り住んだ。そのおかげで、ぼくたちはランドスケープをつくるという、奇跡的な仕事をしている。

6年前にぼくたち夫婦は、旅をはじめた。40歳を前に東京の生活にピリオドを打って、スペイン、イタリア、ザンビア、エジプト、モロッコ、ヨーロッパとアフリカを巡った。そのとき、人間の生活の仕方は、こんなにも違うということを学んだ。それが多様性だとも知った。多様であることは自然そのものだ。けれども、経済成長を目指す社会は、一方向に人々を均質化して、人々もまた同じ方向を目指して競争してしまう。

スペインでは舟を自作する作家と、身の回りの素材で彫刻をつくる作家に出会い、イタリアでは田舎で制作する経験をした。ザンビアでは、身の回りの素材、泥で家を建てた。エジプトでは、革命の余波のなか、不安定な社会情勢のなかでも人々は生活を営んでいた。その人々に理想の暮らしについてアンケートした。モロッコでは、現地の人の生活、とくに田舎の方で、馬に乗る姿や、大地を耕して野菜をつくること、羊を殺して祝祭や肉を得ること、身の回りの素材で窯をつくりパンを焼くこと、地面に穴を掘って、鍛冶をやる様子などを観察した。

このような経緯で、アートとは何か、という問いにひとつの道を発見した。アートとは生き延びるための技術だった。それを「生きるための芸術」と名付けた。これは、答えではない。ぼくの奇妙な閃きに過ぎない。だから、日本に帰国して、旅のなかで遭遇した出会いと発見をコラージュして、理想のライフスタイルをつくりはじめた。ぼくたち夫婦の旅は、まだ続いているらしい。

絵画や彫刻のように、想像力によって自分の目の前の現実を作り変えることができる。それを証明するために実践している。

ヨーゼフ・ボイスは「社会彫刻」という概念を提唱した。言葉の通り、社会を作り変える表現行為を意味している。エジプトのアンケートの作品には、その言葉を引用した。しかし「社会」という言葉は、いくらか古い概念になっている。というのも「社会」という語は何も具体的に示さない。いつ、どこで、誰が、何を、そのすべてに答えない。ここで伝えたい最深部へと案内するには、この概念をアップデートする必要がある。彫刻するべき対象を、社会という曖昧な概念ではなく、より具体的にする必要がある。社会を変える起点は、一人ひとりが自分の目の前を彫刻することだ。つまり、自分自身の周辺環境を彫刻すること。それを新たに「環境彫刻」と呼ぶことにしたい。例えば、ひとりの作家が環境彫刻をするということは、大地を耕すことに似ている。それは作品という果物を実らせるための土壌をつくること。つまり環境彫刻とは、2重の意味でカタチをつくっている。自分自身の周辺環境を構築すること、作品自身の環境を構築すること。これはゴーギャンの傑作の題名「我々は何処からやってきて、何者なのか、そして何処へいくのか」に対する返答でもある。

芸術作品が、美しい絵を描けばいい、ということではなく、どのように暮らして、どのような素材で制作するのか、その視点から、作品が生まれてくる土壌から作ることで、作家の生活から作品まで、何処からやってきて、何処へいくのか、それに答えることができるようになる。表現行為を通じて。それを社会という曖昧な対象ではなく、自分自身の見ている世界で実践することで、芸術活動を、実社会を変えていく運動へと変換することができる。もちろん、これは、人類にとって未来が少しでもマシになればと願うのであれば、という前提もある。

アメリカのSF作家、カートヴォガネットは、芸術家をカナリヤに譬えた。炭鉱を掘り進めるとき、ガスが出る危険を察知するために最前線にカナリヤを連れていく。人間より敏感なカナリヤは、鳴き喚いて、その危険を知らせる。これもアップデートしよう。なぜなら、ぼくら夫婦の作家名、檻之汰鷲とは、檻から自由になることを意味している。籠から飛び出したカナリヤは、大空を羽ばたく鷲になる。鷲は、自分が生きるための生命活動をする。自然のバランスのなかで。実は、何千年、何万年もの遥か太古に、人類にとって必要なエレメントは出揃っていたのではないかと想像する。表現をするということは、芸術に限ったことではない。仕事にしろ、会社にしろ、何をしていても、そこには表現がある。そもそも、日々何かを選択して編集しながら生きていること自体が表現だ。

だから、「サバイバルアート」「生きるための芸術」「生活芸術」というコンセプトを編み出しながら、人間の生命活動の原点を表現したいと企んでいる。

地球儀を目の前にこの先の物語を想像している。地球儀を回転させ、指で止めた任意の地で営まれている生活様式を採取して、それを作品にしたい。都市を中心と呼ぶのなら、世界のほとんどは端っこだ。その端っこにはまだきっと、古くから営まれてきた生きるための技術たちが棲息している。特別な何かである必要はない。この世界に中心はない。社会はピラミッド型でもないし、競争や勝ち負けもない。日常生活のなかにあるアートを拾い、磨いて、人々に宝物として提示してみたい。


(2021.2.19/作品集あとがきの試論)

英語練習帳日記/Practice thought In English

6年前、モロッコで滞在制作したときの展示で、お金を稼ぐことより、どうしたら「欲しい」という感情を引き出すことができるのか、それを知りたくて、物々交換を条件に設定していた。お金を払わなければ「欲しい」という感情が出てきやすくなる。無料でも欲しくないものは欲しくない。

ロッコの展示では、レジデンスのオーナージェフが交換を申し出てくれた。すっかり忘れていたのだけれど、ジェフから昨日メールが届いた。

「作品を交換すると言って、あれから6年やっと絵が描けた。もしかしたら呆れて怒っているかもだけど、久しぶりだしZOOMで話でもしよう」

と書いてあった。交換したことすら忘れていた。

自由な暮らしをしている身分になって、やりたいことは湧き水のように溢れている。そのなかのひとつに英語という課題がある。適当には勉強しているけど、Netflixを英語字幕で観たり、英語の歌詞を訳してみたり。来週、ジェフとZOOMで会話するので、英語で近況を書いてみることにした。酷い英語なのは承知。あるとき、英語圏の人に英語が下手だからというようなことを言ったら、返された。

英語圏の80%が第二言語として英語を使用している。だから、ネイティブなんてのは逆に少なくて、みんなデタラメな英語を話しているんだよ。誰もそんなことで笑ったりしないよ」

Now Chifumi and I are living in countryside where name is Kitaibaraki city. It took from Tokyo 3 hours by a car. Kitaibaraki city is sorrunding small mountain and on pacific ocean. Pople live with nature, like cultuvate and fising ... These are  almost my imagenations. To tell the truth, Only old generation live with nature so young generation live in the town.

I'm working with city office. Because their plan is to make better city with art. We moved this town 3years ago. Now we are living in the small village in this city. almost people want to live city. so in Japan so many countryside might disappear as town and village.

6 years ago, We traveled around Mediterranean sea, stayed Spain, Italy, Zambia, Egypt, Morocco. That time, I understand way of livings are very different in the world. It is diversity, It is natural system. That time, I understand way of livings are very different in the world. It is diversity, It is natural system. but progress try to make people same, or people want competitions.

at Morocco, with a help you and green olive art, we stayed a week countryside. we wanted homestay because we wanted to know local daily life. you introduced to us a family. that house was modern family. That was very comfortable. They realized what we want, so they offered us to go countryside. 

That way we experienced local moroccan life. They cultivate land to get vegetables, They make oven with earth, water and fire to get bread. Ride a horse, kill the sheep, on the ground smithery.

Like this, I found what art is. Art is to make living, to make useful things from around ourselves. This might be my strange imagination. so I had to practice this concept in Japan. Therefore when I went back Japan, we started to make our own lifestyle.

Art can create the reality in front of you, "not us, each of you and me". Like a to make paintings or sculptures by imaginations.

Do you know Joseph Beuys?  

明日はヨーゼフボイスの社会彫刻について書きます。

桃源郷づくり2年目。

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藪の整理が完了した。春に向けた準備が始まる。何が終わり何か始まる。循環している。冬から春へ。夏秋冬とまた季節が巡る。

図書館に予約した本が届いて、昨日の夕方取りに行った。朝、ヘルマン・ヘッセの「庭仕事の愉しみ」を読み始めた。ちょうど、春に向けて準備する冬についての文章ではじまった。すっと言葉が入ってきて、これは必要な本だと感じた。渇いた大地を潤すような読書がしたい。

本を数ページ読んだら、自分の庭が気になった。本を閉じて見回りの散歩に出た。庭と言ったけれども、庭だけではなく、揚枝方という北茨城市の集落全体の景観づくりをしていて、荒れ地を畑にしたり、草を刈って木を切ったり、桜を植樹して、耕作放棄地には菜の花を、休耕田には蓮を植えた。これを「桃源郷づくり」と名付けて、市役所と地域と協働している。広さは1キロ四方で、約30万坪、もしくは100町ほど。

ここに自分の土地はない。誰かの土地で、ほぼ放棄、放置してある。それだったら、整備して何かに使いましょう。単純な話。ここが銀座だったら、そうは単純な話にならない。けれども、ここは利用価値がないと思われているから、捨てられている。ぼくは、それを考えただけで、心の中で笑いが溢れる。

だって、土地は土地だ。大地だ。耕せば、食物を育む。何も悪くない土地だ。けれども、人間が積み上げている「価値」というものがこの土地には1ミリも積もっていない。大人たちは「この土地は幾らですか?」そうやって値踏みする。「この土地には資産価値なんてないですよ」と言われた途端、興味を失う。

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おかげで、ぼくの目の前には、自分の土地ではないけれど、自由に使える大地が広がっている。だからと言って、線を引いて、こっからここは俺の土地だ!とは主張もしない。価値のない大地のうえに、架空の価値を創造している。種を播いた。けれど、まだ花は咲いていない。今年で2年目になる桃源郷は、まだ目には見えない。それが素晴らしい。自然だから、結果が出るまでに10年近くかかるだろう。ここはゼロの地平。開花したとき、桃源郷が現れる。それまでは、ここに現れるだろう景色を心に描ける人だけが愉しむことができる。それは、この桃源郷づくりに参加した人だけが描くことができる。その資格は、この土地に魅了された心に芽生える。

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小さな理想を描く世界を創造する手段。

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藪の整備をした。自分たちだけでは、気が遠くなるので、植木屋さんに依頼して、妻と自分も参加した。おかげで、予想以上に片付いた。全4日予定の1日が終わった。それだけでも書きたいことがいつくも浮かんできた。

藪とは、木や竹が自由に伸び放題になっていることを言う。聞く話によると、50年前、60年前のこの地域、北茨城市の山間部には、藪なんてなかったそうだ。藪がない理由は、牛や馬がいて、その餌にするために草を刈り込んでいたからだ。

ところが現在は馬も牛もいないし、畑も田んぼもやらなっているから、至るところ草や木が伸び放題になっている。ある意味では、この方が、人間の手が入らないまま、草木は自由に繁茂している方が自然だ。

それでも「景観」という観点では、人間の手が入っている方が美しい。そう感じる。そもそも「美しい」という概念自体が人間のものだから、人間の一方的な感覚でしかない。自分も人間だからやっぱり美しい方がいいと思う。そういう理由で藪を整備している。

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しかし、この藪に生えている草木も、そもそも理由があって先人たちは植えた。目下の敵は竹なのだけれど、竹はかつては、プラスティックの代わりだった。皮はサランラップのように食料を包んだし、籠を編んだり、生垣だったり、建材としても重宝されたらしい。が、いまでは、あまり利用価値がなくなってしまった。ぼくは竹を材料に舟を作るつもりだ。(今回はその話しではないので割愛する。)

藪を整理していくと、トタンやら廃材やら、土に埋まっているモノが発掘された。この場所で養鶏をやっていたと聞いたことがある。実は、5〜60年前には、環境に対するモラルは今よりずっと低かった。だから、見えなければ良いという感覚で、その辺に埋めていた。そういうモノがたくさん地中に隠されている。今だったら犯罪と言えるレベルの不法投棄が行われていた。それは、今よりもずっと自然が豊かで、自然環境が損なわれるとは想像できなかったからだ。

藪を整備しただけでも、時代の流れ、感覚や常識の変遷を体感する訳で、今が特別、環境に対して負荷をかけているのではなく、常に人間は自然に対して何かしからの過ちを犯していて、宗教が示すように、反省、懺悔の生き物なので、その点、過去より今の方がずっと環境に対して意識は行き届いている。もちろん、かつての投棄と同じような誤ちは、今でもカタチを変えて行われているだろうとは予測できる。自覚できない次元で。

今できないことを嘆いても前には進まない。何より社会の課題と感じるのは、目の前の問題を全体論にすり替える議論について。

つまり「そんなことをしたら社会全体が〜」みたいな話のこと。そんな言い分は何の解決にもならない。例えば、原発を止めたら社会全体の電力が〜、みたいなことよりも、君はどう感じて、それに対してどうアクションを起こすか、もしくは起こさないのか、その二択でしかない。そうすれば、答えは明快に出てくる。個人的にも、全体的にも。

これだけ社会全体が見渡せる時代なのだから、目の前の問題の最大公倍数を語るのではなく、ひとつひとつの問題を自分に手繰り寄せて個々が解決していけば、世界は美しくなる。世界とは、一人ひとりが見ている現実。

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目の前の藪を整備している。ここの藪はこの数年間の課題だった。景観を作るというプロジェクトで、やっとこの藪に辿り着いた。ぼくと妻は、北茨城市の山間部で、目の前の問題をひとつひとつ片付てみている。それこそが、ヨーゼフボイスが提唱した社会彫刻と呼べる現代のアートの実践だと思う。目の前の課題と向き合うこと。最先端の表現は、目の前を美しくすることにある。一人ひとりの人間が目の前に理想を作り出すことができれば、どれだけ世界は美しくなるか、そう想像すること自体、人間のエゴでしかないのかもしれない。何もしない方が地球環境には良いという結論かもしれない。それでも、ぼくは、小さな理想を描く以外に世界を創造する手段を知らない。

脱・現代社会。ポスト自由人へ。

友達のDくんと電話で話した。面白い状況にいたので記録してみることにした。D君は、肩書で言えばアート・プロデューサー。高円寺を拠点にアートホテルの立ち上げに関わったり、街中に巨大な壁画を出現させるプロジェクトを手掛けてきた。

けれどもDくんは、そういう方向性ではなく、自分がやりたいことを直感的にやっていきたいと言う。つまりお金を稼ぐということではなく、そういう計算とは別のところで活動してく方向を模索していると話してくれた。

これまで育ててきたプロジェクトは、できるだけ人に譲る方向で調整しているらしい。そうやって少しずつ自由になろうとしている。しかしD君は、自由になるほどにある問題に気が付いた。自由になるほど、いくらでも怠けることができてしまうことに気が付いた。「面倒臭い」という言葉で幾らでも先延ばしにできてしまう。というものD君には、これまで手掛けてきたプロジェクトの不労所得が十数万円ある。おまけに高円寺という街で活動してきて、スキル・トレードという貨幣価値に依存しない仕事のやり方を模索してきた甲斐あって、飲食店でお金を払わずに食事できる環境にもいる。もちろん対価としてやるべきことはあるとしても、お金を勘定しなくても生きていける状態にある。何をしてもいい、という状態は、自由な自分を思い通りに動かさなければならないという、自由ならではの不自由さに直面している、という話だった。

つまり簡単に言えば、D君は東京に暮らしながら、働かなくても生きていける環境を手にしている。働いていない訳ではないけれど、会社に行っているのでも、どこかに所属しているのでもない。無職やフリーターというのもまた違う。これまでしたきたことの余剰分で生きている。ずっと続く訳でもないだろうし、一時的な安全地帯に生きている。なんて呼んだらいいのか、名付ければいいのか、これもまた新しいライフスタイルだと思った。当たり前のように働いて、お金を増やして、肩書や地位を向上させて、その競技に参加するのであれば、そんな状態にはならいだろうけれど、このコロナ禍では、今までの社会が強制してきたようなパワーゲームから外れてしまうことも、洗脳が解けるように、D君のような状態になることもありえる、と感じだ。

そんなD君に「欲はないのか」と質問してみた。
「世界平和」とD君は答えた。そして付け加えた。「世界平和と言っても、誰かを直接的に支援するということじゃなくて、自分のすることが世の中を良くしていくような活動はしたいと思う。だからお金じゃないところで行動しているんだけど。無償でやってもいいと思えることだけをやっていて。最近感じているのはSNSも結局は、同じ価値観の共有だし、優劣とか強いモノへの追従とか、そういうの飽きたし、むしろ、リアルなところ、つまり現実、目の前のこと、自分がやりたいと感じることを自分にやらせたいなと思っている」

つくること日記

今日していることは、これまで自分がしてきたことの延長にある。まったく新しいことを突然に始めることはあまりない。

制作している肖像画は、よい新作に着地できそうだ。ベニヤと木材でウッドパネルをつくり、額を鑿で削る。ウッドパネルにペインティングとシルクスクリーンをする。できるだけ作れるモノはつくる。持っている技術を投入して、できるだけベストな品をつくる。作品はいつも王様に捧げる気持ちで作る。なんなら神と言っても構わない。奉納するために作る。制作することは1日を祈りに変えてくれる。

作品の制作が生活の中心にあって、その他にストレッチや筋トレ、英語の勉強、文章を書くこと。これを全部やれたら、充実した1日になる。それ以外には、音楽を聴くこと、バンドのことを考えるという活動もある。あと本を読むことともある。どれも生きていくうえでの歓び。

自分にとっての表現は、混沌としている。整理されていない。けれどもアウトプットは、作品と文章がメイン。それをするために筋トレやストレッチやランニングや読書、音楽がある。

そもそものはじまりは、読書にある。本だ。絵本とか漫画とか。その延長にアニメソングとかの歌。ここに全部揃っている。文章、絵、音楽、キャラクター、色、モノのカタチ。ヒーロー。物語が創作の根源。

夜は本を読む。昨日は、夢枕漠原作、谷口ジロー絵の漫画「神々の山嶺」を読んだ。チフミは、手塚治虫の「ブッダ」を読んでいた。どっちも生涯ランキングに入る傑作。今夜は井筒俊彦さんを特集した本を読んだ。ここに、岡倉天心鈴木大拙井筒俊彦という系譜があると書いてあった。大学時代の恩師、上野俊哉も文章を掲載していた。そもそも上野さんに井筒俊彦を教えてもらった。今はかつて岡倉天心が拠点にした北茨城市に暮らしている。そして舟をまた作ろうとしている。天心も、ヨットと和船をハイブリッドにした舟を制作している。

鈴木大拙は、音楽を聴き漁ってるうちにジョンケージを知り、それで本を読んだ。それで禅を知った。信仰というよりは、生きるための知恵として仏教も取り入れている。考え方に。今年になってから、姿勢の中心を取るために座禅をしている。左足首を自分で治すことを試みている。こうした影響はモノのカタチや見方として作品に反映されている。なぜなら、ぼくは日本人だから。

オリジナルであるということは、根源にどれだけ素直に従うか、ということだと思う。それがジャンルや肩書きに収まらなかったとしても、己の中に流れている血脈のような影響、影響が星座となって照らし出す道を歩く。なんなら芸術と呼ばれなくても構わない。

奉納すると書いたけど、神といっても、いろいろある。偶像や外の神ではなく、ひとつ言えるのは、それは自分の中にあって、内なる声に耳を傾けて、その声を聞くことだ。本で読んだことがある。そう思ってやってみると確かに聞こえる。

そいつが「走る」と決めたら走る。「絵を描く」と決めたらやる。「文章を書く」と決めたらやる。自分を思い通りに動かすことができれば、人生の数多くの困難を克服できる。パーフェクトに操ることができれば金メダルを獲れる。とてもシンプルだ。しかし、それが難しい。だからいつも矛盾する。だからいつも矛盾を心掛ける。

自分を動かすこと。表現することで生きていく基本。そんな日々だ。表現のなかのいくつかが社会の役に立ったり、誰かのニーズを満たして、お金として対価を得る。そうやってかろうじて生きている。いまは景観をつくる桃源郷づくりが主な仕事になっている。奇跡の仕事だ。そのおかげでコロナ禍を表現者として生き延びている。感謝。

目指している表現は、簡単なようで難しい。お金を得るために作るのでなく、評価されるために作るのでもなく、自分を形成してきた影響を混ぜ合わせて、捏ねて、そこから何かを創造して社会に提示してみる。神様が土を捏ねてアダムを作った神話のように。それは自分を形成してきた文脈の最前線であり、また誰かを形成する糧になることを願う。表現が、予言のように時間的にも先取りして提示したい。アメリカの作家カートヴォネガットは、芸術は炭鉱のカナリヤであるべきだと書いている。最前線で危険を知らせる役割をする。意図をも超える純粋さ、透明だから輝きが生まれる。クリスタライズド。だから、作るというより、環境や状況によって必然的に作らされている。吸収してきた影響が川となって流れている。そこから、掬い上げるカタチを。

景観を作るために竹藪を伐採することにした。そこに大量の竹がある。竹を素材に作品をつくることにした。頭の中で舟を構想している。アイルランドのボート、カラックをモデルに竹と木材での制作を企んでいる。こうやって素材と出会うとき、制作は未知の冒険となる。竹の筏はあるけれど、竹の舟はあまりない。けれども太古であれば、そこにあるものを駆使して便利を生み出したに違いない。道具も素材も発達した現在、素朴で新しいモノを生み出す可能性を提示したい。新しい民族である。

非常事態にも変わらない暮らし。

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シンプルな暮らしが続いている。朝起きて、薪ストーブに火をつけて、お湯を沸して、と、チフミがやった後に起きて、餅かパンをストーブの熱で焼いて食べる。お喋りして、ストレッチと筋トレをする。

9時になったらアトリエへ移動する。歩いて2分。今はオーダーを貰った肖像画を制作している。まさに芸術家らしい仕事だ。オーダーをくれた人は、ぼくらの作品を何点も所有している。だからパトロンとも言える。

チフミは肖像画の色付けをして、ぼくは額を鑿で削る。ひたすら。音楽を流して作業を始めようとしたら、建具職人の横田さんが現れた。ここを気に入って毎日訪ねて来る。今日は、シゲ坊さんが死んだことを知らせてくれた。ぼくたちは、昨日もう聞いていた。そう伝えると、別の人にも知らせると出て行ってた。

作業は、鑿で削る。音楽はジョンコルトレーンがハマった。ひたすら削って、お昼になった。家へ帰って、横田さんの奥さんが焼いてくれたパンを食べた。このパンがとても美味しい。奥さんは、パンを焼くと食べて、と持ってきてくれる。有難い。

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こんな風だから、あまり食費もかかっていないような気がする。具体的なお金のことはチフミが把握している。ぼくはそんなことを気にせずに制作に没頭させてもらっている。

午後は、肖像画にちょっとした工夫をするために磁石を町まで買いに行った。クルマで30分。その間は、RadioGardenというアプリで外国のラジオ番組を聞いている。今日はサンフランシスコ。アメリカは、なんとなく西海岸がいい感じがする。偶然、日本語の歌が流れた。イースタンユースだった。

100円ショップセリアで磁石を買って、帰りに、前に住んでいた家の荷物をクルマに積んで帰った。今年度中に退去の予定なので、少しずつ片付けている。

アトリエに戻って、再び削る。ひたすら。嬉しいのは、自分で研いだ鑿がよく切れること。道具を手入れできて、やっと技術が身につくように思う。

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17時になったので今日の作業は終わりにした。家に帰ると、薪風呂が沸いているとチフミが教えてくれた。買い物の後に沸かしておいたらしい。夕飯は、昨日貰ったおでん。貰ったビールを飲みながら食べた。そのあと、薪風呂に入って19時頃から、作品集の編集作業をはじめた。こんな風な日々を過ごしている。

ところが、いま世の中はコロナウィルスで異常事態となっている。もう1年以上も、警戒状態が続き、今年に入ってからは緊急事態になっている。ニュースで電通のビルが売却されると読んだ。

たぶん、人は、戦争になっても緊急事態になっても、生きていくための営みは必要で、シンプルな暮らしを作れば、何にも振り回されることなく、淡々と日々を過ごすことができる。ぼくは東日本大震災のときに感じたことを反映させて自分のライフスタイルを作った。その結果がいま実践になっている。

ぼくの暮らしはとても小さくなって、世界全体の何かが変わろうとしている。