いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

3.11から10年。そして次の10年へ。生きるための芸術として。

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昨日で東日本大震災原発事故から10年が過ぎた。何度も文章を書いては消しているうちに思った。過去と現代社会について書くよりも、建設的な個人の未来について書いた方がいい。

「社会」について考え方が改まったのでメモしておく。単語だけ引用するなら「共同幻想」だということ。(これは吉本隆明の有名な本のタイトルだけれど、時代が違い過ぎて読むことができなかった)

この数年「社会彫刻」という言葉を使ってきた。これはヨーゼフボイスの提唱している概念を引用しているのだけれど、ここ最近「社会」という言葉にも違和感を持つようになった。つまり「社会」という単語が何を指しているのかイメージできなくなった。何かそれ関係の本をと「社会を知るためには(筒井淳也著)」を読んで、思わず笑った。

社会とは「わからないもの」と書いてあった。しかも、専門家が理解するために論理化するほどに複雑になっていく。解き明かすために複雑な理論を並べると、それがそのまま社会の理解の仕方だと回答例になっていく。解き明かした数だけ社会の理解があって、あまりに複雑になり過ぎてしまい、現在はこれだとひとつの回答を提出するのではなく、社会学とは、ある視点からの読み解き方を提案する方法論になっているという。

ぼくはこう理解した。なにか社会的な方向へと活動していくと社会に飲み込まれてしまう。「わからないもの」の一部になってしまう。共同で社会なる幻想を生み出しているだけなんだ。そんなバカげた話があるだろうか。だから「社会彫刻」というコンセプトも社会から脱出してその取り組みを「環境彫刻」と名付けることにした。

 

この言葉については数日前の記事にも書いた。

norioishiwata.hatenablog.com

していることは、絵を(描くではなく)つくる。景観をつくる。生活をつくる。やろうとしていることは、炭窯をつくる。土器をつくる。紙をつくる。これらの活動全体を「生きるための芸術」と総称して本を出版している。現在2冊出ていて、いま3冊目4冊目を準備している。この本は「アートとは何か」「生きるとは何か」を追求するシリーズだ。何かが仕上がって整えて振り返るのではなく、その時々をドキュメントしていく。ジャンプ世代だからコミックスを目指している。誰かの人生がそまま10巻ぐらいの本になっていたら面白い。死ぬまで。余談だけど安楽死がいい。死に対する考え方が変わってほしい。人生をつくるなら自分の最後もつくりたい。死を創作する。

10年前には想像もしなかった生き方をしている。「芸術によるまちづくり」を目指す北茨城市のサポートによってぼくたち夫婦はコロナ禍を生き延びている。そしてこれからの10年をスタートする。今から想像もできないような地点に向けて歩き始める。

指向するのは、ひたすらに自然の利用だ。人間と自然。生活芸術家と名乗るそのクリエイティブは太古の技術や思考をサンプリング&エディットして現在にアウトプットする。していることのほとんどはお金にならない。きっと。お金にならない代わりにお金で買う商品をプロダクトしてその隙間を埋める。お金の利用価値、その存在意義を変更したい。現行社会とは一致しないエラー環境のなかに生きる。現行社会にとってはエラーでも、ここのレイヤーではフル機能する一時的自立ゾーン。それを密かに桃源郷と名付けた北茨城市里山で実験している。

同時に身の回りのモノを駆使してアートを生み出していく。極力商品に接続させないように逃走線を引きながら作品をアウトプットしていく。要はお金の問題だ。社会はお金に絡めとられていくから、絡めとられないように活動と作品の純度を維持する。つまり商品化できないもの。この時代に商品化しないならば、それは何になるのか。考えたい。一方で絵画やオブジェは贋金として貨幣と等価交換していく。思考の武器をつくってきた。贋金づくり、サバイバルアート、環境彫刻、生活芸術、アルス、それが目次になる本が書けそうだ。

目標は70歳。自分の名前は平仮名で「のりお」と書く。ほんとうは「矩生」という漢字があった。当時は当用漢字じゃなかったので平仮名になった、と父親から聞いたことがある。何かの本を読んでいたとき「七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」という文章に出会った。孔子論語。知ってはいたけれど70歳は考えたことがなかった。でも田舎に暮らして70〜80代と接するうちに見えてきた。周りを見て焦ったり、評価に舞い上がったり、そういうことに惑わされることなく、自分の仕事を進めていく。まず次の10年。完成は70歳だ。

40にして不惑だ。自分の仕事はみつけた。やっと10年前から続いた物語は、次の10年へとスタートできる。進もう。