いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

草刈りと芸術について。それは作品になるのか。

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草刈りをしている。茨城県の端っこの限界集落に暮らして、景観を作るために桜の苗木を地域の人たちと植えた。桜を守るために草刈りをしている。今年で4年目で、耕作放棄地も増えてきた。誰も手を入れないなら、ついでにやりますよ、と面積が増えてきた。

山を登るような気持ちで草刈りをしている。放棄された土地はかなり広い。とくに7月から8月は暑さとの戦い。戦いというより、どうやって負けないか、だから朝早く起きて2〜3時間で勝負している。妻と2人で草刈りして里山の景観を維持するのは、バカげているようにも思えてくる。

けれども草刈りは修行だ。いやしかし何で修行なんかするのか、と自問自答もするけれど。草刈り、とくに土手の草刈りは、体幹が鍛えられる。自分の場合は、数年前から左足の動きが悪くなっていて、それが明らかになる。だからストレッチが必要になる。なぜかタバコを吸うとストレッチしなくなる。タバコのせいではないにしろ、足が動かないのは困る。のでタバコを止めてストレッチをする。もしかしたら将来歩けなくなるかも、と悪い空想をしてしまう。だとして20年前の交通事故で歩けなくなったら表現をして生きようと覚悟したのだからそれも受け入れる。だとしても80歳になっても土手を草刈りできる健康も諦めたくない。草を刈りながらそんなことを考える。

途方もなく広い面積の草刈りをしているということは、その面積を使えることでもある。所有はしてないにしても。つまりその広い面積で展示ができる。野外展示。縁もない土地でやらせてくださいとお願いしたら、そう簡単にはできない。けれども草刈りをして管理してるからそれが可能なわけだ。考え方次第では、広大な敷地を持つ王様のようでもある。自分で手入れしている。ありえないか。

屋外に展示したいと以前から考えている。これはフェスを仕事にしてた経験から発している。デコレーションといってステージや会場を装飾する。設営して撤収する。それがやりやすく計画する。クルマで運搬できるほどのパーツに分解されていて、組み合わせると巨大なオブジェになり、雨風に耐える。

ぼくにとってのそのツールは布。これまでも布の作品をつくってきた。それと記号。自分の創作の原点でもある記号と文字。そのモチーフが巡り巡って現れてきた。布と記号の屋外展示。妄想のなかで、ぼくは桃源郷の領主だから、企画書をつくって、評価してもらい、やっと展示できるのではなく、普段から自分がつくっているフィールドで実験できる。ここまでやれば納得できる。草刈りはキャンバスを作っていると。ぼくたちは、この里山をギャラリーにできる。屋外の展示スペース。草刈りはその下地づくり。生きているキャンバスをつくっている。

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