ずっと違和感があった。したいことがあった。子供のように遊び戯れていたかった。けれども、そんなことは許されない。そんな空気が社会にはある。
重圧はあるけれど、何のために働かなければいけないのか、それに対する明快な答えはずっとなかった。
結局のところ、自分で判断するしかなかった。やるしかない。ぼくは、距離を取ることにした。都市と経済と。便利さ、楽しさ、快適さ、競争することとはまた別の何かが必要だと感じていたから。
夏が近づいてくると海もどんどん近くなってくる。物理的な距離は同じでも、身体的にずっと近くなる。
朝5時や6時に目を覚まして海へいく。海で何をしようかと波の状況を見て考える。今日は波がなかったので、ペットボトルの筏で、魚を釣ることにした。エサは磯のカニだ。カニを岩についている貝で釣る。
波が少ないとは言え、筏にバケツと竿を乗せて海に出るからひっくり返っては困る。波のリズムに合わせて、引いたときに海へと漕ぎ出す。
筏や小舟で釣りをするために、竿を自作した。竹で作った短い竿だ。1mもない。海底が岩場だろうポイントをみつけて、カニを針につけて糸を垂らす。竿を揺らすと、何かがかかった?と引いても上がらない。強く引っ張ると、なんと海底の海藻に引っ掛かって針がとれてしまった。2時間の努力は一瞬で終わった。
何も成功していないけれど、朝早くから起きてしまうほどの楽しさがある。筏を作ったり、竿を作ったり、カニを獲ったり、海のうえを漕いだり、生きるために必要なものを買うのではなく作る喜びがある。
家に帰ると、妻チフミがアトリエへ早く行きたいと待っていた。朝9時に10kmほどクルマを走らせ山の集落にある古民家に着く。山の匂いがする。
今週は、オファーがあった仕事を片付けている。最近ぼくのところに来る仕事は、デザインと絵のオーダー。デザインは5万円くらいで、絵は10万円。デザインはCDの表紙、イベントのチラシイメージ、Tシャツのデザインなど。
チフミは、最近、アトリエの周りの環境整備をしていて、草刈りや栽培している野菜の面倒を見ている。これこそがいま自分たちのアート活動だと思っている。モノをつくることや売買することばかりがアートではない。生きるための糧をつくるや空間をつくること。
食べ物をつくるのは、生きることの基本だとアフリカのザンビアで教わった。ぼくは数年前まで野菜の育て方も知らないし、そんなことに興味すらなかった。50年前には当たり前だったことがぼくの世代では特別なことになっている。当たり前が特別になる瞬間、その境目にアートがある。古民家もそうだ。単なる古い家だったものが古民家というヴィンテージに変わっている。
ぼくたち夫婦がアトリエにして制作活動をしている北茨城市の古民家は、再生した。アトリエを訪ねて来る人がたまにいる。何もない山の集落に。今日は、そこで絵が売れた。売りに行かなくても、この場所で価値が生まれた。
午前中はデザインの仕事をして、午後はアトリエから2分のところにある廃墟を整理した。
アトリエは北茨城市の持ち物なので、ここには暮らさないことになっている。だからアトリエとは別の家を探しているときに、この廃墟を直すことを思いついた。
荒地や廃墟を使える空間に変えること、マイナスをプラスに転じることもアートだと思う。これがビジネスだったら、まったく費用対効果も悪いし効率もよくない。誰もやる理由がないことをやるのが楽しい。それは山に登ることのようだ。新しい遊びでもある。
廃墟の再生。ここには経済的な意義だけではない、プラスを世の中に増やせるという魅力が詰まっている。
こうやって自分のアートを模索しながら、ひとつずつ、できないことをできることに変えて、社会に依存なく生きていけるように工夫している。それを生活芸術と呼んでいる。自分で生きていける環境をつくること。
家、食料、道具、それをつくること。どれもこれもアートでいい。人生を消費させない、むしろ生産に向かわせるものはすべてアートだ。料理、サーフィン。
ぼくは、人間について考えるために、田舎に暮らしたり、家を直したり、野菜を作ってみたりして、新しいアートの概念、歴史から捉え直した「生活芸術」を表現しようとしている。
人間社会は地球という自然環境のうえに成り立っていて、人間社会がすべてをつくったわけではない。ぼくらは間借りしているに過ぎない。
ぼくが生きているという存在自体が周囲に影響を与える。死ぬということもアクションのひとつ。最後のパフォーマンス。ひとつのアクションが波紋のように社会を変える。それを可視化できたら作品にできるかもしれない。鑑賞者を傍観者ではなく主役にしたい。いまは、みんな観劇してしまう。ほんとうは、ひとりひとりの行動が社会をつくるのに。
メモは作品と人生をつくる。思考を耕すことだ。きっと種が芽を出す。