いまいる場所を確認するために文章を書く。どこかに届けるためでもなく、出来事を並べて生きるための地図を出現させ、そこに現在地を記す。いまいる場所が分かれば、進むべき先も浮き彫りになる。
有楽町マルイでの個展が終わった。2週間の開催で、北茨城のアトリエから軽トラックに作品やら備品を積み込んで、有楽町まで3時間走り、8時間ほどで設営して、一旦、東京の家に帰って寝て、翌朝出勤して、それから2週間。通勤と有楽町マルイでの店員をして、久しぶりに東京で暮らした。おかげで都市生活者の感覚が戻ってきた。とにかくよく歩いた。おかげで痛んでいた左足が治ってきた。回復した要因に靴を買ったのもある。いつもサンダルか長靴で、さすがに都内の冬、サンダルも格好がよくないので、3万円のニューバランスのスニーカーを買った。
パピエマシェで作った黒ヒョウの作品が3万円で売れたので靴を買った。自分の作品とニューバランスの高級品が同じ価格なのは嬉しいと同時に責任も感じる。それだけの価値を自分が創り出しいるのか。自分では確信している、このまま我が道を進んでいけば、きっと作品を所有する人たちにサプライズをギフトできると。
アート作品が売れる理屈を言葉で説明できない。それは作品について語り尽くせないのと似ている。作ったモノを作品として提示することはできても、モノと人が出会ったときの感情まではコントロールできない。すべての人が欲しいモノをつくることはできないし、むしろ、誰かひとりに響くほどの確率の方が奇跡が起きる。それは恋とか愛に似ている。
拾った廃材に値段をつけて販売した。それは朽ちていて、そのままで完成していた。タイトルは「でくの坊」。展示をじっくり見て回ってくれた人が、これが欲しいと言ってくれた。その人は「理解できないモノが好きで、今日出会ったモノのなかでこれが最も意味不明だね」と言ってくれた。「いいね」という言葉やSNSの評価がいくら集まっても、欲しいという情熱には及ばない。
ぼくは作品を売って、そのお金で現代の「桃源郷」を作ろうとしている。したいことは、現実を変えること。想像の世界だけでなく、アートを表現するように現実を塗り替える。ヨーゼフボイスの社会彫刻を実践すること。ただし自分のやり方で。
作品をつくっていると、ときに似ている作品に出会うことがある。偶然の一致もしくは、運命の出会いか勘違いの思い込み。どれだとしても、それは何かが交錯して火花が飛ぶクロスポイントでもある。そのサイン、合図を見逃さないためにも文章を書く。言葉たちが暗号となって地図を描き、大空を飛ぶ鳥のように俯瞰した眼差しを与えてくれる。
軽トラックを返却しに行く途中で、BOOK OFFを見つけて、バリ島の友達が購入してくれた作品と一緒に、本を届けようと考えていたのを思い出した。本棚から届けたかった本を偶然にも発見して、ついでに読みたかった「空をゆく巨人」も買った。(新品で買ってないのは作者に申し訳ないので、何かのカタチでお返し致します)
「空をゆく巨人」は、中国出身の現代アートの作家、蔡國強(さいこっきょう)が、いわき市を拠点に活動した友情のドキュメント。ぼくが暮らしているのは隣町の北茨城市で、この本に登場する何人かと知り合っている。断片的には蔡國強の話を聞いていて、当時のことをもっと知りたいと思っていて、ようやくそのタイミングがきた。
蔡國強と自分を重ねるほど、自分は何もしていないけれど、そのアートに対する姿勢から勇気をもらった。この本を読んで勉強になった。現代アートには正解も答えもないけれど、ひとりの作家が、地方を拠点に世界へと活動の場を広げていく姿は自分にとってこれからの夢と希望そのものだった。
友情の物語のもうひとりの主人公、志賀さんのことは、話だけは聞いていた。直接の面識はないけれど、いわき市の山に桜を植えていることを読んで驚いた。いわき万本桜のことは、聞いたことがあったけれど、それがまるで「桃源郷」のようだ、と書かれているのを読んで驚いた。偶然にも自分がいま手にしているテーマが桜と桃源郷だった。
北茨城市で、芸術祭をやるときに名前を考えて、中国の説話から「桃源郷」を引用した。実は、北茨城市の市長が芸術の里をつくるという構想を持っていて、その名前が陶芸郷だった。ぼくはコラージュ作家だから、素材をあらゆるところから引用してくる。ぼくがアトリエにしている地域に暮らす、地域のアイドルことスミちゃんは、自費で桜を50本地域に植樹した。想いは、自分が死んでも、この地域が美しく愛される場所であるために。こうして北茨城で活動して出会う人たちの想いをコラージュしていった結果、この地域の景観をつくるアートのモデル地区として2020年から新しいプロジェクトがスタートする。
個展で作品を売ったお金は、この地域をつくる資金にする。井戸を掘る。トイレをつくる。まずは、産業廃棄物を処理したかった。北茨城に帰ると早速、産廃を処理する打ち合わせが設けられ、そこに4メートルの桜の木が植樹される計画になった。ぼくたち夫婦の表現活動は、作品と現実がこうやってリンクしていく。
コラージュされた現実と、作品を鑑賞した人たちの想いと、まったく異なる方向から、まったく別の方向に伸びていく、いくつもの物語が交差した日だった。作家は作品をつくるだけでいいのだろうか。ぼくは、作家が作品を制作するように、その生活も制作するようになったとき、アートはこれまでとは、まったく違った表現になると信じている。その意味で「空をゆく巨人」は未来を描く教科書だった。
今回の展示でこの5年間目指してきた場所に到達することができた。足場ができたから、もっと作品をつくり、自分が進みたい道へと踏み出して、理想とする未来を描いて、それを然るべき場所へと提案していく。次の5年間で目指したい先が見えてきた。ぼくはアートが社会を変えるツールになると信じている。