いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

理想のつくり方

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イメージが湧いてきた。これは物語になる。断片。世界を描く。都市生活者。ノラ猫。予言。崩壊。繰り返す出会い。ノアの箱船。動物のカップルが列を成して歩く。たどり着く、自然との共生。100年前の暮らし。小説のメモ。

 

生きるための芸術シリーズ3冊目を書く。このメモは、その本の最終章になる。北茨城市に移住して、アトリエに改修した古民家を舞台に3年間「桃源郷芸術祭」をやって、その結果、地域の人たちが土地と労力を提供し合って、ほんとうの「桃源郷」をつくる計画が動き出した。

耕作放棄地は、梅畑に変わって、道路沿いには桜の木が植えられる。廃墟を改修して作ったD-HOUSEには、薪風呂が運び込まれる。処分できなかった産廃の山は市の協力で撤去されることになった。そこには4メートルの雨情のしだれ桜が植樹される。北茨城市で生誕した野口雨情は栃木県宇都宮市で亡くなる。その邸宅にあったしだれ桜は「雨情枝垂」と名付けられた。その桜が里帰りする。

 

行政と市民が一丸となって地域をつくる姿がここにある。「芸術によるまちづくり」が実現している。想いはそれぞれ異なっていても、目の前を美しくしようとする目的はひとつ。何か必要があっての公共事業ではなく、市民の想いに行政が応える。あくまで行政はサポートで実行するのは地域。

ぼくたち夫婦にも仕事がある。ここに移住した芸術家として、この地域に暮らしながら、つまり、この地で創作活動をしながら景観をつくっていく。茨城県北茨城市富士ヶ丘の揚枝方という地域がランドスケープアート作品になる。人との出会い、歴史、文化、環境、土地をコラージュした作品になる。完成は100年後。

 

ぼくたち夫婦は、今のところこの地域で一番若い世帯だから「桃源郷づくり」のバトンを受け継ぐことになる。目標は、このバトンを受け取る魅力があるものにすること。10年後なのか20年後なのか、あらゆるモノコトから距離を保ったエデンをつくりたい。断絶も批判もなく、ただ自立した地域をつくってみたい。それか何なのかは、まだ分からない。

 

社会システムがいかに薄弱かは今回のコロナで痛いほど分かった。もちろん社会は何度でも立ち上がる。そうでなきゃ困る。でも、社会の構造に欠陥があるのを分かりながら、その崩壊に巻き込まれていては、短い人生がもったいない。大切なことは何か。

経済成長なのだろうか。だとしたら何のために誰のたの成長なのだろうか。大切なことは、とても小さなことのように思える。身の回りの人が楽しいと笑顔でいられるような。その姿は未だ国家が存在していなかったような時代。もしくは、国家はあるけれど、まったく負担を感じないほど、ささやかな心地よい風ほどの搾取。それなら寄付と思えるほどの負担をシェアするような。

計画図はなく、まったくバラバラに立ち上がってくる出来事に関連性をみつけ、繋ぎ合わせて現れたイメージは、ここにしかない、唯一無二。オリジナル。

 

想像をメモする。

ここから始まる。

「書く」は「掻く」跡を残すこと。

 

想像やイメージは日々、浮かんでは泡のように消えていく。それを捕まえることでゼロだった空想の産物は0.1になる。それは実在している。

 

ぼくは小説を書き始めた。

ぼくは3冊目の本を書き始めた。

もっともっと途方ない夢を見よう。