いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

生きてきた時間が増えて、生きられる時間は減る。人生の時間は、穴の空いた容器から流れる水のように減っていく。

できるだけ記録しておく。人生の時間は、穴の空いた容器から流れる水のように減っていく。これらはほんとうのことです。

 

3月9日

いよいよ週末に桜の植樹をすることになり、草刈りや産廃の処理の打ち合わせがあった。

人間が活発に動けば景色は変わる。記憶は曖昧で景色が変わってしまえば、そこに何があったのかさえ、思い出すことができない。

北茨城市の山間部の集落では、耕作放棄地をみんなで活用する桃源郷計画が始まっている。少しずつ、この地域の景観は変わっている。

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だから、いまの状態を撮影しておくことにした。人間が手を入れた土地が放置されると「荒れている」と形容される。けれども、これは単に自然に回帰しているだけだ。人間にとっての主観であって自然の側からすれば、取り戻している最中だ。

人間の暮らしも同じで、ぼくはこの数年、自然の側へと歩み寄ってきた。かと言って、自給自足がしたい訳でも、半農半Xとか、パーマカルチャーとか、有機農業とか、そういった何かをしたい訳ではない。

いまはこの土地を有効活用しよう、という話しで、草刈りをシルバー人材センターにお願いしてやってもらうことになった。草を刈れば、自然が回復してきた野生化は休止することになる。なので、この状態を撮影して記録しておいた。なるほど、人間が足をふみいれない場所は、誰も足を踏み入れる気にもならない。当たり前のような話しだけれど、人間が足を踏み入れない場所の方が日本には多い。ぼく自身、アトリエのすぐ裏の荒れた田んぼや川沿いを久しく歩いてなかった。ぐるりと散歩してみると、川で何か遊びができそうだ。サウナとか作って川に飛び込んだらいい。

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草刈りの打ち合わせの後は、産廃を処分する打ち合わせをした。けれども、瓦やタイヤをまとめて処分できるところはないらしく、こちらは行き詰まってしまった。まあ、元々、どうしようもないと考えていた。そこに助け船が現れて手を差し伸べてくれたけれど、こちらの状況を見てお断りされた、そんなところ。なので、この産廃とはもう少し付き合うことになった。

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個展が終わって、ようやく次のフェーズへと動き出した。友達が運んできてくれたパレットで薪棚とウッドデッキをつくることにした。

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