いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

9年前、東日本大震災を経験した君はそれからどうしたんだっけ?今、このウィルスが沈静化したら、君はどうするの?

東京、有楽町マルイでの展示は残り2日になった。まるでウィルスのカウントダウンのようだ。東京は静かにパニックを起こしている。電車の中、人々は見えないウィルスに怯えながら通勤している。ぼくは、少し遅く朝9時過ぎてからの電車を利用している。

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震災があった9年前を思い出す。都市の機能は麻痺して、ぼくらの生活は成り立たなくなった。それでも、都内の回復は早かった。一か月もすれば、いつものような生活が戻ってきた。けれども、ぼくは知ってしまった。社会のインフラがいとも簡単に崩壊することを知ってしまった。ぼくの心は社会から離れた。もっと大切なものがあると思い、社会に依存しないライフスタイルを望んだ。それがどんなものなのか想像もできなかったけれど、これだけ便利が発達した時代なら、どうやったって生きていけるという思い込みと確信だけはあった。勘違いでもそれを信じれば、やがて現実化する。

 

今、ぼくは東京で地下鉄で通勤している。けれど、これは仮の暮らし。ぼくの暮らしの拠点は都内から3時間ほど離れた茨城県北茨城市にある。井戸がある。畑がある。広い空が見える。海がある。里山に生活がある。9年かけて自分の生活を変えた。

このウィルスの騒動は、それほどは長引かないだろう。数ヶ月で沈静化するだろう。オリンピックがあってもなくてもぼくの人生に影響はない。そうしていられるように、どんな場所で、何をして、どんな家に暮らしていくのか、イチから取捨選択して自分の生きる環境を作り直した。

歴史の中でも何度もあった、疫病、伝染病。問題の核心は病原菌じゃない。いまこの状況で感じたことを、行動に移すことができるか。問題は人間が変わらないことだ。きっとたくさんの不満や違和感があるはずだ。それを誰かのせいにしたり、ウィルスが収まれば何もなかったかのように元の場所に戻る、それでいいのか?

 

社会をつくるのは、政治家じゃない。ひとりひとりが日々の中で取捨選択して、ライフスタイルをつくる。それは表現だ。今のような状況に感じる違和感や世の中のエラーを生活の中で改善していく。それは「ノー」と言うことじゃない、何なら「イエス」なのか、行動で示すことだ。満員電車に乗る奴がいなければ、満員電車はなくなる。それだけだ。

お金なんて幾らあっても幸せにはならない。よく見たらいい。オリンピックの利権に群がる老人たち。権利を握って離さない亡者たち。あんなに富を蓄えても誰ひとり幸せそうな顔をしていない。騙し嘘をつき、私欲に呑み込まれ、人間の心を失っていく。彼らのようになりたければ、その影を追い続ければいい。

 

9年前、東日本大震災を経験した君はそれからどうしたんだっけ?今、このウィルスが沈静化したら、君はどうするの?

忘れないで欲しい、社会をつくるのは君だ。この社会に参加してない奴なんていない。すべての「君」が主人公だ。その日々の中、何をして何をしないのか、その選択、これが社会をつくるツールになる。君がこの社会と未来を作っているということを忘れないで欲しい。ぼくは、自分が選んだ道を先へと歩いていく。水のように。少しでも役に立てるように、より低い場所へと水が大地を潤すように言葉を置きながら歩いていく。

 

頭の上の蠅を追え

Mind your own art