いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

死者を蘇らせる現代

1月は暖かくて地球は大丈夫なのか心配になるほどだった。2月にはちゃんと寒くなって、それはそれで「寒い寒い」と呟いてる。風が強く吹いて、夜には地震があって、ネットでは中国のウィルスのニュースが騒ぎになって、ずいぶん、世の末に接近しているような気分にもなる。

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それでも、世の中の流れとは関係なく一日中、制作に没頭している。週末も休日も関係なく、毎日、遊んでいるようなことを真剣に仕事としてやっている。それがしたくてこの生活を選んで、ライフスタイルをつくってきた。

社会に強制される人生計画に従わなくても生きていけることを提示したいと企んできた。つまり、レールの上を歩かなくても、レールそのものをつくって生きていけることを。

 

けれども「すること」は、真っ直ぐには進んでいかず、いくつもの誘引力によって不安定に歪曲していく。例えば「生きていく」ということに集中するだけなら、猫のように生きられるかもしれない。何も難しいことはないように思える。自然の恵みに従うだけだなのだから。

想像するのと実行するのには、雲泥の差があって、自然は、そう簡単に食物を差し出してはくれないし、地球のことを考慮しないプロダクトが流通し、不安と競争心を煽りぼくらの生活を誘惑する。

 

妻のチフミとの作品づくりの日々も、コツコツと表現していけば、それが何かしらのカタチで生きていく糧になるように思えるけれど、毎月幾らになるとか、年収が幾らとか、老後の貯金がとか、そういう未来的展望は約束されない。だから、死ぬまで働く覚悟でいる。死ぬ間際まで表現できれば「いきるための芸術」は完成する。そこに希望を託している。

何にしても、終わりも完成も、死んで目の前が消えてなくなるまでやってこそ、そのときに到達するように思う。つまり、ぼくは人生の頂上を踏んでその景色を見ることはできない。だから、ぼくのしていることを誰かに伝え続けて、死んだ後にでも、多くの芸術家がそうであったように、何かのカタチとして残るモノがあればいいと思う。こうして作っては考え、考えては作るを繰り返して、それでもやっぱりまだ足りない。

 

ウィルスのニュースに混じって、AIが手塚治虫のストーリーや絵を学習して漫画を描いている、という情報を見かけた。年末にAIが再現した美空ひばりが歌を唱ったことが話題になったばかりだ。きっとこういう話題は増えていくだろう。

生きているうちに働かなければならないのは、何かの償いだと思う。人間が働かないで生きていければ、どれだけ楽だろうか。環境も汚れないし、争いもない。いや、もしかしたら、食べ物も家も、服も生きるために必要なものに満たされても人間は争うのかもしれないけれど。

 

だとして、何のために死者を働かせるんだろうか、と思う。音楽では、作家の死後、未発表音源が発掘されてリリースされることがある。ジミヘンドリックスは、10年に一度は新作をリリースしている。この類は死者を働かせるのとはまた違う話で、1970年に彼の魂は消滅して、その時点までに燃やしたエネルギーで未だに輝いている星だ。

作家が作品をつくるのは、その命を燃やしているからで、その命は、日々の生活のなかで積み上げた経験や想いが作品として結実する訳で、それこそ生命のサイクルであり、頭上の星と言うことができる。植物が太陽と大地から養分を吸収しながら、枝葉を広げ、実りをもたらす果実にも例えられる。

だから、手塚治虫の漫画をAIが描くのは、枯れた木を媒介にして果実をもぎ取ろうとしているようで、そもそも本人の意思がない今となっては、まるで悪魔の囁きに操られているような、それこそ、ファウストメフィストフェレスの仕業のようだ。あらゆる欲望に心を奪われた迷妄のようで、そこに命も魂も感じられない。

 

他人の企みはぼくには関係のないことだ。いよいよ、世の中とはまったく別の方向に理想は進んでいく。流されるものの中に、流れに逆らって漕いでいく小さな舟のようだ。手造りの。手塚治虫という表現者が追求し提示した世界観の、ある意味、悪い方に予言が的中している展開になっていることに興味が湧いて、言葉にしてみた。

言葉にしてみれば偶然にも2月9日は、手塚治虫さんの命日だそうだ。「火の鳥」「アドルフに告ぐ」「ブッダ」「シュマリ」は、影響を受けた作品たちだ。手塚治虫さんが生み出した名作の数々と、その働き方に励まされると共に、まだまだやれると自分を戒める。

先人達の到達した頂きからの景色を鏡にして、自分の人生を照らし、明かりを灯し、希望として進むしかない。自分を表現することほどシンプルなことはないのだから。ぼくはまだまだ魂の燃焼が足りてないから、他人のことに首を突っ込む余裕があるわけで、まだまだ、もっともっと深く。

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