いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

ユースレスホーム。存在するだけで役に立っていることの証明。

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もう終わらないんじゃないかと思うときもある。廃墟の規模が大き過ぎて、やってもやっても課題が出てくる。だけど、誰かのためでもなく自分のためでもなく、ただこの地域に廃墟があって、それを美しくしてみたい、と思った。だからやる。もちろん、閃きをカタチにするのは、自分のためであり、土地が美しくなることは地域のためでもある。矛盾しているけれど、肝心なところは、目の前に廃墟があった、ということ。だから、お金のためでもなく、ただやりたいからやる。ここに生き甲斐がある。楽しみがある。

今日、鶏小屋を解体しに行った休憩の時間にシゲ坊さんに

「あんな大きな倉庫要らないだろ、木も腐っているし、半分壊して半分だけ使え。なんだって身分相応ってものがあるんだ」

と言われた。

これまでも何かをしようとするとき、やめた方がいい、と言われてきた。だからシゲ坊さんに「違うんです」と言いたかったけれど、何も言わなかった。結果が答えてくれる。

自分で考えて行動していけば必ず理解されない場面に遭遇する。失敗すれば、だから言っただろう、となる。そこで諦めれば、やめた方がいい、と言う側の人間になる。けれども、諦めずに続ければ、理解されないこと、理解できないことの向こう側に、生き甲斐や喜びがあることを知る。

チフミに「今日、シゲ坊さんに半分にしろって言われちゃったね」

と話すと

「シゲ坊さんは、自分だったらどうするか、って考えてくれているんだよね。だから、半分にしろって言うんだよね」

と言った。

 

それから、いろんなことのタイミングが合わなくなった。雨が続いて、鶏小屋の解体作業ができなかった。注文したトタンが届かなくて、屋根を修理できなかった。屋根を修理するために借りていたローリングタワーを2週間ほど、使うから返して欲しいと連絡があった。

だから今朝は、無口になった。明日の予定の話をチフミとしていたら「見通しが甘い」と言われた。そうじゃないと思った。じっくり言葉を選んで「見通しが甘いんじゃないよ。焦っているんだよ。屋根が直せないから」

と言った。

チフミは

「やれるところをやっておけば大丈夫だよ」と言った。その日のチフミは、とても明るかった。

そもそも、今回の廃墟の改修は、どれもこれも人の好意で成り立っている。廃墟と土地もそうだし、鶏小屋の解体も材料を提供してくれるし、トタンも何十枚も在庫している分を無償で提供してくれ、更に追加注文した分は70枚も運送してくれる。ローリングタワーも何かチカラになればと無料で貸してくれている。

今日の午後は、市議の方が、隣町のスポーツイベント会場で不要になった廃材を貰えるように手配してくれた。ぼくら夫婦がトラックがないと言うと、トラックも運転手も声をかけてくれた。現場に行くと、大工さんたちが何に使うのか、と聞くので、廃墟を直していると言うと、面白がって、たくさんの廃材をトラックに積んでくれた。

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廃墟に戻って荷下ろしをすると、貰った材料で床張りができそうなので作業することにした。

するといつのまにか、廃墟の再生を楽しみにしてくれ、手伝ってくれる、地域のご老人たち、スミちゃん、カセさん、シゲ坊さんが集まった。みんな、床が出来上がるのを見ながら、ボロボロの家なのに、これは立派な御殿になるぞ、これはいい家になると喜んでくれた。

この家は、水道もトイレもないし、不便な場所にあって、ゴミだらけで、ほんとうに役立たずで、迷惑な家だったのだけれど、それでも、たくさんの人の協力で、愛すべき場所になろうとしている。ぼくは、この家をユースレスホームと名付けたくなってチフミに話したら「そんな名前じゃ家が可哀想」と言われた。

まだこの家に名前はない。この家は、ぼくらの作品だ。役に立たたないものが集まって人を楽しませる、そういう心が温まる作品にしたい。