いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

今いるべき場所、今するべきこと。

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創作に没頭するための場所を作っている。ひとつ作ったけれど、それは公共の場所となったので、自分たちが暮らす場所も作ることになった。気がついたら場所を作ることに没頭している。

「場所」

今いるべき場所=in the place to beというヒップホップの名フレーズがある。日本語に訳したのは日本のラッパーECD。知らない人は調べたら新しい世界に出会うだろう。音楽に興味があるなら。

ぼくたち人間は、場所を巡って翻弄されてきた。歴史を見れば明らかだ。土地を巡って争ってきた。兄弟、隣人、境を隣にする何ものかと、争うことを避けられない。争いの結果、境界線が引かれ、区別される。

ぼくたちは生きる場所を求めている。学校や職場、遊びに趣味に、それぞれに所属するコミュニティーがある。アートも同様に場所を求める。展示する場所、創作する場所。なかでも、人を集められ、経済効果を生み出す場所はギャラリーとして求心力を持つ。価値を持った場所は○○ギャラリーとして、その名前自体がチカラを持つ。

 

競争は高みを目指す。最高峰へと。その過程で権利や利権が生まれる。手に入れたチカラを手放したくない欲望が。

 

ぼくは東京に生まれ、東京に育ち、40歳を過ぎて、地方へと移住した。場所を求めて、北茨城市にたどり着いた。ぼくは、作品を展示するスペース、創作活動するスペースが欲しかった。東京で、それを手に入れようとすれば、どれだけ絵を売っても、高騰した付加価値に奪われる。そこに支払われた対価は誰の利益になるのだろうか。そんな都市のブラックボックス、もしくはブラックホールに吸い込まれるよりも、地方の困っている土地なり建物を活用すれば、結構な広さのスペースを利用することができる。そう考えた。

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何のために家賃を払うのか。縮尺を変えて、地図を拡大していけば、東京から数時間の範囲には、安い土地も建物もゴロゴロしている。それこそ石ころのように。

 

10年前、音楽関係の仕事をしていたとき、当時、板橋区に住んでいたのだけれど、業界の人には「なんで板橋区なんかに?港区や渋谷区の方がいいですよ、便利だし」と言われた。

すべて付加価値だ。本質的な価値に付け加えられた価値。それにどれだけの犠牲を払うのだろうか。

 

今は北茨城市の山の集落の荒地を開拓している。誰も見向きもしない捨てられた土地。と言っても東京からクルマで3時間だ。

毎日、トタンで屋根を再生している。一日に8枚。10枚張れたらかなり進む。全部で80枚ほど張る予定。ところどころ木材が腐っていたり折れているから継いだり取り替える作業もある。材料は鶏小屋を解体して手に入れた。労働力、経験値を対価にゼロ円で採取した。

建物としてはバラックだ。身の回りの材を組み合わせたブリコラージュ。何十年も前に大工さんが作ったもの。それをトレースするように直している。

 

生活にリズムが出てきた。ほかの予定がないから没頭できる。今日やったことが明日へと繋がり、廃墟が再生されていく。

何で読んだか忘れたけれど、上手くいったときや、成功したときにしていたことを継続することが大切だ、という文章を思い出した。ぼくの場合は、30代半ばに、ランニングを始めて、ボルダリングをやるようになった頃。身体をトレーニングする習慣が身について、同じ頃にメモを書くようになった。思い付いたことを記録するメモだ。それが日記になって、このブログになっている。

自分をつくる基本は、メモとトレーニングだ。それを続けることが何より大切だ。思い出した。

 

タイミングというものがあって「おカネになる/ならない」は関係なく、それぞれひとには、今やるべきことがあって、それを全力でやっていれば、物事は展開していく。けれども、やるべきことから目を背けて、いろんな理由を付けて、やらない選択をすれば、物事は停滞する。なぜなら、今やるべきことは、未来への投資だから。

ぼくはまず場所をつくる。話はそれからだ。