いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

ストッカーメモランダム/思考の付箋

1.

どこまでいけるのか。夢を見てそれが叶ったらすぐ次の夢へと潜る。夢は途方もないのがいい。イメージできることは何らかの手段で実現できる。まるで脱獄だ。ほとんど不可能とすら思えるけれど、針の穴ほどの可能性を検討して、夢と現実の間に穴を開けるルートを発見する。小さな発明だ。

 

2.

生きるとは死ぬことで誰にでもやってくる。新しく生まれたアイディアは広告や商品に魂を奪われて奴隷となってその輝きを失う。ホタルのような自然の光の代わりにギラギラしたネオンのような魂を与えられる。騙されない。想像力をマーケットに売り飛ばさない。けれど、どう抵抗しようとも生まれたアイディアは、それがポップであるほどにマーケットに流通する。踊らされない。流れを自分で作り出す。

 

3.

アートとは発明だ。もしくは、編集、リミックス、ブリコラージュ。稀に無邪気な子供のような爆発する想像力が発揮されることもある。それが欲しいと思うこともあるけれど、大丈夫。退化するほどに過去へ遡るほどに、想像力はオリジナルへと接近する。

 

4.

次の本の構想が浮かんだ。未来だ。社会が壊れることが予言される。妻がどういう訳か、この予言をキャッチしてしまう。二年後にあらゆるインフラが機能しなくなる。社会は何もなかったかのようにカウントダウンし、夫婦は嘘か本当か分からない予言に翻弄される。会社を辞めて、都市を離れ、疎開する。来るべき絶望の世界へ向けて。水があるところ、野菜が育てられる場所、薪が手に入る場所を求めて旅をする。同じように脱出した若者、もともと田舎に暮らす人、何十年も前に予言に従って生活をつくる達人。人との出会いのなかで、その生活が絶望でもないと思うようになる。そして二年後、電車が信号が停止し、ネットも遮断された最後のニュースと共に世界は予言の向こう側へ。

 

5.

9月になったら廃墟を再生する。来年からは地域全体をアート作品にする。お金のことは後回しにする。売れるもの、お金になることを優先してしまえば、アートは死んでしまう。自分が表現したいモノを創造して、それが美しければ、死なない。それは賭けだ。そのギリギリのラインを歩くことが道を作ることでもある。安全安心な舗装された道にアートはない。なぜアートにこだわるのか?なぜならアートは永遠に夢の中にあるから。もちろんアートの多くはマーケットに刈り取られていくけれど、まだ純粋な想像を遊ぶ余地がある。

この道で生き延びるには、思考し実践するのみ。インプットは日々の暮らしの中にある。アウトプットも日々の暮らしにある。循環する創造システムを自分の内に構築する。

 

*ストッカーメモランダムとは、頭の中にあるアイディアや言葉を取り出して記録しておく遊び。