いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

人と人が理解し合える接点=「信頼」で繋ぎ合わさっていれば、相手の世界も共有できる。それをカタチにするもっとも簡単な技術が「感謝」。

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生きることについて考えながら、嫁と2人で、アート作品をつくることや生活を芸術にすることを目指して、やりたくない仕事はやらないで、ひとの役に立つことで生計を立てられないか、と計画してから3年が過ぎた。

ひとりで生きている訳ではなく、社会の中で役割をみつけ、対価を得なければ、経済活動はできない。社会の仕組みは、どうやっても急には変わらないから、その仕組みの中で、どう生活をつくるのかを試行している。

対価も仕事も、人からしか生まれない。畑を耕せば、野菜が得られるが、売らなければ貨幣は手に入らない。結局、どこまでいっても、人は人の間に生きる動物。それが人間で、社会にしか生きられない生物だ。

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生活の基盤となる「家」を生きるための道具に変えたい。と考えて、空き家を探して巡り会った家主さんが、驚くほどの発明家で、彼のアイディアに従いやってみたところ、正真正銘の発明品が誕生した。

まさにセレンディピティの爆発で、これは、ほんとうに驚くことで、ぼくは半年で家を直す技術を身につけることができた。気がつけば、2014年の春に目指した未来に立っている。

何が奇跡を起こすのか。ひとつはっきりしているのは、信じることだ。誰が何と言おうと、世の中の評判や肩書きとは関係なく、きちんと自分の判断で人と接すれば、そこに信頼が生まれる。どんなに大きな仕事や組織に属しても、現場は目の前にある。目の前にいる人を信じることができれば、可能性は宇宙のように広がる。

この宇宙を、単一のユニバースではなく、複数のマルチバースだと解釈してみたらどうだろうか。つまり、現実は生きている人の数だけあり、人と人が理解し合える接点=「信頼」で繋ぎ合わさっていれば、相手の世界を共有することができて、可能性もそれだけ飛躍するという解釈だ。それをカタチにするもっとも簡単な技術が「感謝」。

ぼくは、偶然に出会った家主さんを信じた結果、価値がないとされる空き家から、日本の伝統的な木造建築の魅力を発掘する視点と技術を手に入れることができた。

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これから何処へ向かうのか。
「生きる芸術=生きる技術」をテーマに追求してみれば、その技術とは、繰り返しの身技で、身体が体得することだ。その技術は、死ぬまで失われないし、奪われることもない。
自由に生きることは、自然に従うことで、日本は、春夏秋冬の12ヶ月で回転していて、春は新しく生まれ変わる季節だということ。もう少し、もう少しと積み重ねてきた毎日が、季節と共に移り変わり、新しい未来を運んでくる。それを運命とも言うし、タイミングとも言う。

濁流のように流れていく社会や時代のなかで、明と暗、昼と夜、太陽と月のように、まるで何度も生まれて死ぬような、回転が起こすマジックには種も仕掛けもない。起きることはすべて必然で、すべて受け入れれば未来が開ける。

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逃げさえしなければ、未来は続く。

 
夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/