いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

消費者になるか、提供者になるか。人を信用するべきなのか、する必要はないのか。

家を改修しながら暮らす、未体験の連続の日々で、毎日疲れ果て温泉に行っては、すぐ寝る日で気がつけば1週間、日記を書いていなかったから自分と向き合う暇もなかったようだ。

うっかり罪を犯した話
今日は温泉に入っていると女湯から女性一同の声に「誰か入ってる?」と呼ばれ、女湯のお湯が出ないから、男湯の湯量を調整してくれと頼まれ、声に導かれるままに蛇口をひねったりした。

その時は、男湯には自分ひとりだったが、後から何人か常連さんがやってきて蛇口の状態を見ただけで「お、誰か男湯の湯量を触った奴がいるな。知らないのに調整する奴がいるから困るな。」という話になり、コイツだな、という空気にすっかり気まずくなって出ることにした。

風呂から上がってみると「絶対にお湯の量を勝手に調整しないこと。」と張り紙があちこちに。

男湯からはどうやら自分が犯人になっているような会話が聞こえていた。単なる好意でやったことが仇となり、終いには犯人になってしまった。

人を信用するかしないかの問題
いま家の改修に取り組む機会を与えてくれた大家さんとだって、すでに知り合ってから1年が過ぎていて、挫折を経験した仲からこそ、協力体制が整った訳で、知り合ってすぐに今のように始めていたら確実に失敗していた。

別の家の大家さんから「いい人と知り合っていろいろ教えてもらった」とメッセージがあって、何やら便利な商品を買うことを検討しているらしかった。

買い物は誰もが好きにすればいい。でも、もし新たにビジネスを始めるために買い物をするつもりなら、よっぽど考えて購入した方がいい。次会ったときにそう話すつもりだ。
なぜなら資本主義社会では「消費者」か「提供者」の2択しかないからだ。

ビジネスを始めるのなら、とことんまで商品の成り立ちを追求して、その原型を捉えた上で、何を買うか判断して「提供者」側に接近するべきだ。簡単な話、部品を買って商品をつくるのか、商品を買って消費するかの違い。

もし、部品から商品をつくれば、消費する予定だった商品に比べて、よりよいサービスや商品を開発する可能性がある。もちろん消費するだけでは永遠に消費者のままだ。

今日の温泉での出来事が教えてくれた。知り合って間もない人が教えてくれる「○○した方がいい」の商品を買うことは100%単なる消費者になるだけだ。
温泉の声は、ぼくが誰で何をしようとしているかなんて1mmも考えていない。温泉の声は、自分のお湯のことしか考えていない。ぼく単なる道具にされたって話。

大切なモノはどこかの遠くではなく、身の回りに既に揃っている
だから、ビジネスを始めるなら、身の回りの人間と始めたらいい。そういう相手がいる環境をつくることが生き方に反映される。初めましての相手では、到底クリアできない壁があり過ぎる。万が一、一期一会のタイミングでピンと来るなら、長い期間をかけて育むしかない。
考えてみれば、自分の周りには、損得を抜きに協働できる未来をつくる可能性がゴロゴロしている。そういう仲間となら駄目でも何でも、諦めることなく何度だってやればいいし、話し合いを繰り返して答えをみつければいい。

 
夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/