いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

夢を追い続けるサッカー選手に出会い、デュアル・キャリアをプロデュースすることになった話

スポーツ選手は、みんなが充分なギャランティを貰える訳でもなく、続けるためにアルバイトをするケースもあると知ってビックリした。
ぼく自身も、ずっと音楽を仕事にしてきて、ミュージシャンが音楽だけで食べていくことが難しい現実を知っているし、いまもアート活動をしている身として、それだけで食べていくことができないことも知っているので、他人事ではない問題だった。

ミュージシャンが就職して音楽活動をしながら仕事をしてもいいし、画家が絵を描きながら企業で働いてもいい。もちろん、そういう事例はあるだろうけど、仕事一筋に打ち込まなければならないという常識が強く根付いている日本の社会ではまだまだ、そんな生き方はスタンダードではない。

それは日本にある独自な習慣に感じる。ひたすらにひとつのことに邁進することへの賛美に近頃、違和感を持ってしまう。古くから二足の草鞋という言葉がありながら、そうした生き方は、まだまだ一般的ではない。
ぼくが出会ったサッカーの河内選手は、それを「片足にスパイク、片足に革靴」と例えた。河内選手は、サッカー選手としてのキャリアを歩みながら、もっと先の将来を見据えて企業で働くという、アスリートによるデュアル・キャリアの前列をつくりたい、と考えている。

背景には、ぼくの知らなかったアスリートの世界の厳しさがある。特にサッカー人口は多く、充分なギャランティを得ている選手は、ピラミッドのほんの頂点の人間だけだという。ぼくが知っているスポーツの世界はまさにその頂点だけだった。
ぼくが知る音楽家や画家と同様に、好きなことに取り組むあまりに、社会に居場所を見失っていたり、就職できなかったり、選手生命が絶たれて始めて、次を考えるケースも多い。そのときは、まさに白紙の状態だという。

夢を持つこと人生を冒険することを支援する人はたくさんいても、それが継続できなくなることについては自己責任という、しかし、人生にはさまざまな困難が待ち受けている。未来のことなんて誰もが分からないのだから、挑戦者たちをサポートする仕組みがもっと充実してもいい、企業や社会が手を差し伸べて、両者が協力して、そういう環境をつくるのも必要なことだと感じた。

この問題は、スポーツ選手やアーティストだけに限らない。新卒の就職活動中の大学や転職を検討しているサラリーマン、フリーで長く活動してきた自営の人にも当てはまる。
仕事を一本に絞らずに、夢や希望を持ったまま働くことができれば、その人生を冒険し続けることができる。もちろん、二足の草鞋で歩き続けるのは、並大抵の努力では乗り切ることができるものではない。だからアスリートがする、このチャレンジを応援したくなった。

現在、社会全体のみならず、国家や世界中が利益を追求して、格差や環境破壊、武器の販売や戦争すらも辞さない状況で、人々は必ずしもお金の量と幸せが一致しないと考えるようになってきた。僅かながらに、そういう方向にライフスタイルを模索する人がぼくの周りにたくさん現れ始めている。
河内選手に共感したのは、好きなことを続けられる環境をつくりたい、という想いだ。たくさんのお金よりも、夢と共に生きていく日々の方が重要だということ。もし、これが実現して社会に認知されれば、新しいライフスタイルをつくることができる。こうして、社会のカタチを変えることもアートのひとつだ。

高度成長期には、家庭すらも犠牲にして経済成長に貢献した世代からすれば、甘いことを言いやがって、そんなことを言ってては仕事なんかないし、雇ってくれる企業もない、という話しかもしれない。
だったら、そういう企業を探して、もしなければ、そういう前列になってくれる企業をつくって、そういう働き方の前列をつくろう! 

これが、このプロジェクトの想い。デュアル・キャリア応援団。近く、誰でも参加できるようになるので、またお知らせします。

ひとりひとりがつくる未来ために

夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/

生きる芸術のための生活者
石渡のりお
norioishiwata@gmail.com