いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

時代を変えるのは、ひとりひとりの個人がその人生に目覚めることだ

はじまりは「自分で家を建てたい」だった。でも日本でそれを実現するには土地が必要だった。なので、あれこれ検討しているうちに空き家が日本中にたくさんあることを知った。
「空き家を自分で改修して暮らせるようになれば、空き家を転々とした生活できるかもしれない。」

いま、これをやるための準備中だ。ぼくは3.11をきっかけに自分の生き方を見直している。その答えを探してヨーロッパとアフリカ大陸を旅した。明確な回答は得られなかった。当たり前だ。答えなんかなくて、いまこの瞬間の生き方がその答えだ。「どう生きるのか」という問いに即答すること。いまできることをやる、それが生き方をつくる方法だ。

いまは自分自身を整理している。モノや情報に関する。自分とはなにか。それは情報の集積。生まれてから選び取ってきたものが個性をつくりだしている。ほとんど無意識の無自覚のまま選び取ってきたモノの集合体=私。

ぼくは1974年東京に生まれた。これだけの情報でも同世代以上の年齢の人であれば共通の話題がいくつもあるだろう。例えば、ぼくが住んでいるのは板橋区→東京→日本。これもぼくを表す情報のひとつひとつだ。ぼくはこのようにたくさんの情報を抱えて、ぼくという人格をつくっている。その要素を”アドレス”と呼ぶことにする。

アドレスの整理とは、なにとなにを基盤として自分をプログラムするのか。大きなテーマは「人間と芸術」。ぼくは、ひとりひとりが、その人生をつくることこそが芸術だと思っている。もっとたくさんの人が意識的に自分の人生をつくるようになれば、社会のカタチも変わっていくと信じている。

いま現在は、空き家を改修して日本を転々とするために、できるだけシンプルになるように編集作業をしている。例えば、身軽になりたい。持ち物を減らしたい。時間を好きに使いたいので、縛られる仕事を減らしたい。好き勝手に生きるのであれば収入は少なくなる。という具合に、Aを選びBを捨て、ときにはAもBも捨てる。ぼくは、この「アドレス編集作業」も生きる技術のひとつに数えようと考えている。このテキストはその試論でもある。

昨日、テレビでニュースで経済格差の話をしていた。「これから、ますます富裕層は富を蓄え、労働者たちは、お金が貯まらない時代になっていきます」と。妻のチフミが「ねえ、貧しいと思ったことある?」と言った。「お金持ちではないけど、」とぼくが言うと「貧しいなんて感じたことないよ。」と答えた。

ぼくは、自分が進んでいる方向でいいと感じた。ぼくたち夫婦は、それぞれ仕事をやめて、アート活動で生きていくと決めて2013年に旅に出た。帰国して、それは難しいことだと分かったけど、さらに冒険を続けることにした。
生活の軸は作品づくりにある。2人で、作品をつくっている時間がもっとも充実しているし、その作品がお金になって生きる糧になる、この喜び。だからこそ、お金の価値を身を持って知るようになった。そんな状況でも妻が「貧しいと思わない」と言ったのが嬉しかった。生きる芸術というコンセプトで自分の生き方をつくる冒険は、ずいぶんと道の途中だけど、完成は死ぬときだろうから、こうしてテキストにしている瞬間もひとつの作品だったりする。

ぼくが持つアドレスのひとつひとつは情報で、大きければ大きいほど、それは共同幻想だと気づかされる。国家なんて会社と同じようなものだ。あらゆる共同体の上位に、人間ひとりひとりが尊重されるような社会に変わらなければならない。ぼくは、それが革命だと思っている。変わるのは政治でも社会でも国家でもない。そんなものは、幻想でしかない。来るべき時代とは、ひとりひとりの個人がその人生に目覚めることだ。それが生きる芸術だと、伝わる日を目指して。


夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/

生きる芸術のための生活者
石渡のりお
norioishiwata@gmail.com