いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

誰かと一緒にやる、ということはそれぞれのなかに、戦う場所をみつけることだ。

スタンリー・キューブリックの映画「ロリータ」のサウンドトラックを聴いているうちに胸が苦しく切ない気持ちになった。たくさんの目を逸らしたい現実があって他人のせいにしようとする自分がいる。人はひとりで生きていくことはできない。でも自立することを目指すべきだ。そういう意味で、自分をいくらでも悪く考えることができる。片付けも掃除も金の管理もできない。悪口はいくらだって書ける。ぼくはそんな事にも耳を貸して生活してみようと思っている。

天啓というものは確かにある。それはタイミングだったり、なんかの拍子に見た広告の文字だったり、カフェの別の席で聞こえてきた言葉だったり。

昨日、電車の向かいに座っている人が「アレクサンダー・テクニック」に関する本を読んでいた。それが、どんなテクニックなのかネットで調べてみると、問題の原因を究明して解決に取り組むテクニックのことだった。
たとえば、激しく運動して左足を怪我してしまう。それをカバーするために、左足を鍛える。しかし、原因は怪我をして弱くなった左足ではなく、どうして左足を怪我してしまったのか。そのことを知ることが解決へと繋がる。
なるほど。最近の自分は、夫婦でアート活動をしているということに拘る傾向があった。チフミが別の予定を週末に入れてしまうと作業が進まないと焦っていた。しかし、進まないのは、スケジュールが合わないからではなく、自分が率先としてやらないからだ。クリエイティブの芽は本来、自分のなかに訳で、一緒に活動しているという考えが、却ってやる気を麻痺させていることに気がついた。これはアート活動に限らず、すべての活動に当てはまる。

チームを組んだら、ソロでやる以上に実力を発揮しなければならない。ひとりでは生きていくことはできないが、ひとりで戦わなければ掴めない物事がたくさんある。自力でやらなければ、山を登ることは決してできない。

 

 

夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/

生きる芸術のための生活者
石渡のりお
norioishiwata@gmail.com