いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

原始未来生活のススメ<原案>

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2035年
ぼくは60歳。どんな社会で、どんな暮らしをしているのだろうか。人口は2010年をピークに減少し、2100年には明治時代の中頃まで下がると予想され、人が集まる都市部では、高齢者が100万人増えるのに対し、若者は100万人も減ってしまい、予想できる2035年の未来、若者たちは、働いても働いても豊かにならない。

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高度成長期から2020年頃まで、100年後なんて予想も計画もせずに、目の前の経済成長ばかりを目指して建てまくったビルやマンションは老朽化して、ゴースタウンになってしまう都市も現れる。しかし、当時、建設した会社は倒産し残ったのは、巨大な廃棄物の山。
つまり、東京は、この地球が未だかつて体験したことのない超高齢化社会に突入する。想像するだけでも、ハリウッドのパニックムービーのように。君は生き延びることができるのか。その準備はできているのか。


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ずっと時代を遡ってみよう。高度成長期の時代。その10年後にはバブル景気がやってくる。テレビゲームが家庭にやってきた、ぼくはそんな時代に生まれた。両親は、懸命に働いて、持ち家を東京に買うのが夢だった。ひとりっ子の息子には国立大学に入学させて、大企業に就職するか国家公務員にさせ、安定した生活を送らせてあげたかった。

ところが、いま現在41歳のぼくは、地方都市で築80年の長屋を改修して、テレビも洗濯機も冷蔵庫もない、親に言わせれば「みんなが懸命に働いて脱出したかった貧しい生活に、なぜ逆戻りするのか、わたしには理解できない」と。

そう、ぼくは、古い木造建築を直して暮らすうちにタイムスリップをしてしまった。築80年のボロ家は、まだまだ現役で生きていて、家が建てられた頃のライフスタイルをぼくに語ってくれる。どうやら、少々アタマがイカれてきたようだ。

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1900年の暮らし方
明治時代。まだテレビも洗濯機もなく、電気、ガス、水道もない。食事は炭で調理して、井戸から水を汲み、油で明かりを灯していた。橋のない川も多く舟が生活の一部でもあった。もちろん自動車もないので、身の回りのモノをフル活用しなければならなかった。家は、畑の土を壁にして、近くの森から切り出した木を製材して、近所の人たちとチカラと材料を出し合って建てられていた。多くのひとが畑を持ち、食べ物を自給していた。生活の道具も自然から作り出し、壊れたらまた直して使っていた。子供のうちから働き、一汁一菜の質素な食事だった。

ぼくの祖父や祖母は、そんな時代の少し後に生まれる。曽祖父は、まさにそういう時代を生きていたんだろう。

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生活芸術のつくり方
どんな暮らし方が、未来に必要なのかを考えている。ぼくは、死ぬそのときまで、何かをつくり表現しながら生きると自分で決めている。芸術で何を表現すれば、人の役に立つのか、何を表現すれば、社会がよくなるのか。

2013年から2014年の間にヨーロッパとアフリカを周り、この時代に、他の国の人々がどうやって生活しているのかを体験したとき、日本で起きていることは、ほんの一部でしかないと知った。アフリカのザンビアでは、今この瞬間も明治時代のような暮らしが営まれている。どこかが幸せで、どこかが不幸なのではなく、国境も宗教も貧富の差もなく、ひとりひとりの人間のなかに、幸せはあるのではないだろうか。

そう考えるうちに、
人間に普遍的に通用する貨幣のような「幸せ」を、つくってみたい
と考えるようになった。

生活と言っても、現在、過去、未来、それぞれ状況は異なるし、幸せのカタチも違う。しかし、ひとつハッキリ言えるのは、今、わたしたちが日々の暮らしで選択するひとつひとつの行為が積み重なって、未来をつくっている。自分の幸せのために選択するひとつひとつが、できるだけ誰かの幸せに繋がること。どうすれば、そんな生活をつくれるのか。少なくとも、誰かより自分の方が「たくさん持っている」という量や質で、優劣をつけるようなライフスタイルを望んでいないことに気が付いた。

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想像してみて欲しい。君の2035年を。
現時点でのシナリオは、ハリウッド級のパニックムービーだけど、その未来に繋がるひとつひとつを丁寧に選んで編集すれば、君の物語は変わる。その可能性溢れる選択編集の仕方を「生活芸術」と名付けた。材料は、日々の生活と過ぎていく時間。つまりその人生をどう生きるのか。

どんどん生活は便利になる一方で、不便で重労働な自然は、生活から遠く離れ、壊されていく未来に気がつかないまま問題を先送りにしてしまう現代のライフスタイル。これの流れに反抗して、ヒップでスタイリッシュでお洒落な生き方に変えようぜ、という遊びの提案。

路傍の石を磨け
ぼくは、貧しい生活に逆戻りをしているのではなく、むしろ、新しい生活をつくる素材を探して、現在、過去を行き来している。

例えば、空き家として放置される木造住宅を活用した豊かな生活の仕方を提案したい。古ければ古い家ほど、自然の素材=木と土と紙でつくられている。そんな美しい造形が、ぼくらの生活を優しく包む家だとイメージする。

その家が100年にも及ぶ役割を終えたとき、それでも自然のものしか残らない。ぼくは、この美しさを伝えていきたい。新築の家では再現できない、自然そのものの家を日本人は、捨てている。この価値をヴィンテージハウスとして、ブランディングしていきたい。

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価値を創造しよう。
過去未来の古今東西
情報網を旅しながら
原始まで遡り、
お気に入りの材料を
採取して
編集して
それぞれの生活芸術をつくる。

時代は変わる。
動けば変わる。
未来をつくるのがぼくらの仕事だ。

原始未来生活のススメ(原案より)

夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/