いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

どうして、檻之汰鷲は、こんなライフスタイルを送っているのだろうか。「よく奥さんが耐えられるね」と言われてしまう暮らし方について。

よくある会話ー自己紹介。
石渡さんは、何の仕事をしているんですか。

「絵を描いて売っています。」
「画家ですか。」
「画家というか、いろんなタイプの作品をつくるのですが、コラージュという手法で、嫁と2人で活動しています。」
「絵だけで食っていけるんですか。」
「それだけでは、収入が足りないので音楽イベントの制作もしています。あと、いまは空き家を活用する活動もしています。」
「空き家の活用?」
「日本には820万戸の空き家があると言われています。その空間をつかえるようにするんです。」
「どこから収入を得るんですか?」
「いまは、まだ仕事になっていません。」
「ずいぶん、優雅な生活だねぇ」
と年配の方に言われたりする暮らしについて、説明する代わりにここに書いてみたい。

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すべての人が芸術家になれる時代へようこそ。
自分の頭がイカれているんじゃないかと思うほど、いまの社会のビジネスやお金の流れについて納得ができない。ひとはお金を稼ぐために生まれてきたんじゃない。ましてや、家を買うことが人生の目標でもない。自分がやりたい、したいと感じる事に全力を注いで生きることができたら、幸せにその生を終えることができると信じている。どんな生き方をしたってみんな死ぬんだから、好きなように人生をデザインしたらいい。死に際のその時まで。

いま現在どんな状況下にいたとしても、原発が稼働してもしなくても、事故を起こしても、安保法案が可決され戦争に加担するようになっても、原子爆弾が落ちたあの日だって、人々は日常を生きている。政治や国家の選択は、ぼくらひとりひとりの生活を無視して決定されていく。人類の歴史はずっとそうやって繰り返してきた。何千年分もの反省が積もってもすぐに忘れてしまう。
しかし、ぼくらの日々の生活も、社会やこの時代の状況と無関係ではなく、むしろ、ぼくらが生活で選択するひとつひとつが、経済に直結して「今」を「未来」をデザインしている。
喉が渇いてコンビニで買うペットボトルのひとつが未来を左右し、スイッチひとつで快適な温度にしてくれる便利なクーラーの使用が、原発の是非を問い、クソ暑い夏をつくっている。賛成反対をいくら唱えても、生活のなかで選択したひとつひとつが、経済を通じて、その現実をつくっている。何千万、何億という人々の選択が、この時代をつくっている。
インターネットが発達して、誰でも望めば、いくらでも情報が手に入り、この世界の構造も透けて見えるようになったいまこそ、ぼくらは自由に生活をデザインするべきだ。自分の暮らしをマクロからミクロへ、社会、経済、地球規模な視点から捉えて、それぞれが編集するべきだ。その意味で、すべての人は芸術家になることができる。

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「常識」という共通認識が、人々の思考を停止させている。
ぼくが取り組む日本の空き家問題も、ひとりひとりの選択の、より便利で快適な暮らしを求めた結果だ。日本には820万戸の空き家が放置されている。衣食住のひとつとして人間に欠かせない重要なアイテムにも関わらず。これはこれでかなりの異常事態だと感じている。

なぜ、古い家が放置されているのか。古い木造建築は、大きな地震があったとき壊れてしまう。だから、新しい安全な家に住みなさい、という考え方が常識になっている。しかし、家が倒壊するほどの地震はいつ来るのだろうか。明日か、1ヶ月後か、10年後か。もしかしたら、来ないかもしれない。いや、むしろ、すべての建物が崩壊するほどの大地震がすぐに来るかもしれない。

「耐震」というキーワードは「安全」という言葉に担保されて最強のカードに化けてしまった。耐震化されない建物は、危険物として扱われ、すべて捨ててしまうほどに。それほど、ぼくら日本人は常識を前にすると考えなくなってしまう。しかし、その安全を手に入れるために何百万円もの対価を支払う必要があるのだろうか。

生きるために必要なのは「安全」ではなく「家」だ。
夜に町屋の大家さんが訪ねてきて家の活用について話しあった。いつも核心になるのは耐震化について。その解決方法がみつからずに迷宮入りする。この日は、地震のときに守るべきものは、家ではなく「命」だという答えが零れ落ちた。その場に居合わせた3人は、ハッとした。

つまり、命さえ守ることができればいい。究極の目的は生きることだ。家の中に一箇所、壊れない頑丈なシェルターをつくればいい。建物全体の耐震化を考えなければ、もっとシンプルに空き家をそのまま活用することができる。

 

常識を突破して、その向こう側を選択すれば可能性はどんどん拡大する。

ではテストしよう。30万円で買える古い家と5000万円の新築。どちらが、よりよい未来をつくる選択肢だろうか。

王様は乞食を演じるほど狡猾で、いつだって矛盾したところに真理が働く。だから答えは、5000万円の新築を買って、30万円の古い家も買って別荘にする。「ほんとう」は右でも左でもない、いつだって真ん中にある。

だから、ぼくは絵を描いて、社会を彫刻して、経済がまだない領域を開拓して、仕事をつくろうとしている。道になる前の荒地を耕しながら、日々を優雅に暮らしている。未来のためにより豊かな暮らし方をデザインするために。しかし、そんな仕事はないので人は呆れて「よく奥さんが耐えられるね。」と言う。

夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/