あなたはどこにいる?
In the place to be / いるべき場所
ぼくはどこにいるのか、と問われれば北茨城と答えることができる。ぼくは茨城県に暮らしている。けれども、毎日、同じ場所にいるのではなく、移動している。たまに東京へ行ったり、水戸に行ったりもする。けれども仙台や千葉にはいかない。まだネットワークがない。けれども明日、スカイプでミーティングするアイルランドの友達はいる。人との繋がりが人生を豊かにする。日本中に世界中に友達が欲しい。
ひとは、暮らしている家を中心に、移動しながら、ひとりひとりが異なった活動範囲を持っている。それを「生活圏」呼ぶ。
「あなたの生活圏はどの範囲ですか?」とはあまり使用しなけれど、これからは便利かもしれない。家から会社や、遊び場、友達や趣味、いろんな人間の側面をこの地図は明らかにしてくれる。今日は自由に地図をつくる方法について書こうと思う。
先週のこと。
以前、本の出版企画を持ち込んで相談に乗ってくれた三輪舎の中岡さんに会うため、水戸に行った。中岡さんは、いま茨城県の県北クリエイティブの編集を担当しているとのことだった。その日は、北茨城市に暮らすアーティストを紹介したホームページをつくった山根さんと、茨城大学の民俗学の先生と呑むとのことで合流した。稀にまったく関係ない流れで出会った人同士が繋がることがある。そんなときは、面白いことが起きる予兆かもしれない。人が流れている。循環している。
生活芸術の原点
ぼくは、芸術をやっているつもりだけれど、世間のそれからはかけ離れてる。何せ、影響を受けているのは、宮沢賢治、宮本常一、宮本武蔵なのだから。そういう訳もあって、民俗学の本は好きで読んでて、自分なりの考えもあって、その研究者に会えるのはとても楽しみだった。
テーブルを囲んでみれば、民俗学から哲学まで、幅広く話題が尽きない文系男子飲み会だった。ぼくがなぜ、北茨城市に暮らし、どんなアート活動をしているのかを説明した。
アートを表現するには、まずライフスタイルを整理する必要がある。そう考えた。活動しやすい環境を持つこと。そのために、世界中の有名ではない表現者たちが、どう生き延びているのか、調査するための旅に出た。ヨーロッパとアフリカを旅した。アフリカのザンビアでは、アートどころではなく、日々サバイバルしている人々に出会い、生きる技術こそがアートだと発見した。その本質だと感じた泥の家をザンビアで建てた。泥の家をきっかけに、家は道具だと気がついて、日本に帰国して空き家を探し、木造住宅を改修できるようになった。木造住宅の木がどこから来たのか調査するために、岐阜県の里山に暮らした。空き家を旅して辿り着いた三重県の伊勢志摩安乗では、海の暮らしを調査して、かつて海賊と呼ばれた人々がいたことを知った。
そこで語られた海賊とは、人を襲うのではなく、国家に従わない人々だった。乱暴者ではなく、国賊だった。その理由も、とても納得のいくものだった。
海で魚が捕れるので、生活には困らない。けれども、国家は田んぼをやって年貢を納めろと圧力をかける。それは生きるための労働ではなく、国家の支配による労役だ。それに抵抗して、独立国家のようになっていたこの地域の人々が海賊と呼ばれたという話だった。
そのエピソードをきっかけに、民俗学の先生から「ゾミア」という本についての話が始まった。
その本の原題は「the Art of Not Being Goberned」
先生は、タイトルに書かれた「アート」の意味が、日本語の芸術とは違うと教えてくれた。日本語には翻訳されていないアートの意味があると。タイトルを訳すなら「統治されない技術」となる。
先生はその本の内容をこう説明してくれた。
「未開民族と考えられている人々のなかに、実は国家の管理を逃れるために、敢えて、そうした暮らしを選んでいる民族がいるんです。いままでは、遅れていると考えられていたが、それはむしろ生き延びるための戦略とも解釈できるんです。」
アフリカのザンビアで出会った人々のなかには、未開拓な土地へ、転々としている人々がいた。ぼくが滞在させてもらったンデケビレッジも、まだ住所がなかった。開拓されて10年も経っていなかった。物価の高い中心市街地を離れて暮らす人々は、貧しいという理由だけでなく、独立するために、そうした選択をしていた可能性もあると知った。そしてぼく自身も、より自由なライフスタイルを手に入れるために、生活芸術というコンセプトをつくったのだと原点を再確認した。
そう。ぼくたちは、自分の地図を描くことができる。それは「生活圏」。すべてに対して、自由に距離を編集することができる。貨幣から、都市から自然から、テレビから、仕事から、ネット、SNS、友達、楽しみや趣味から。
ゾミアとは、東南アジア8ヶ国に跨る、複数の山岳民族の総称で、彼らは、原始的な暮らしをしながら、国家による支配から逃れ続けていた。
支配という大袈裟なことでなくても、ぼくたちは、ゾミア的な生活圏をつくることができる。そう。己をコントロールすることで。それは距離感とバランスだ。流されるものなかに流されない何者かになる。
ライフスタイルをつくる冒険は、続いている。何をどれだけやれば、理想の生活が完成するのだろうか。まるでそれは、青い鳥だ。もしくは、永遠の命を約束する火の鳥かもしれない。そうだ。鳥だ。飛べば見えるかもしれない。
檻之汰鷲(おりのたわし)とは、檻のような社会のなかで、アートのチカラで大空を飛ぶ鷲のように自由になること。
飛べ。
(つづく)
夫婦芸術家
コラージュアート
生きるための芸術
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/