いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

炭窯づくり3度目の正直者はバカを見るのか。

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暖かくなってきたので、窯づくりの準備のため、土を掻き出した。ユンボでやればすぐ終わるけれど、誰かに頼んだり借りてくるよりも、まずは自力で、スコップでやってみた。おかげで、細かいところを観察できて、土が叩き締まっているところ、脆いところがあることが分かった。どうして前回失敗したのかいろいろシミュレーションして、ご老人たちの話を聞くうちにひとつ分かったことがある。

前回は、土木を仕事にしている人がスーパー助っ人としてユンボを出してくれ、それで大量の土を載せて叩き締めた。お年寄りの話では、むかしは人力でコツコツとカチカチになるまで叩き締めたということだった。

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ユンボがあったら楽だね。もうなしじゃ炭窯つくれないな」

こんな会話をしたのを思い出した。

人力には、そのペースならでは力学がある。次もユンボのお世話になりたいけど、肝心なところは人力でやる。人間の手や身体は、繊細な仕事では機械より優れている。

たぶん、これで3度目は正直者がバカを見ることはないと信じたい。

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日記のような経過としての2月23日

書くという習慣のために、起きた出来事を記録している。思考するために文章を書いている。その習慣のおかげで本が手元に2冊、完成しつつある。本をつくりはじめる前は、その工程を想像しただけで、途方もない山に登るような気持ちになる。けれども遠くへ行くという覚悟をするよりも、書くべき言葉に日々向き合うことで、一歩ずつ山を景色を楽しみながら歩き進んでいくように、言葉を書き続けることで、本はやがてカタチになる。大切なことは、小さなことを捨てないで集めておくことだ。

「生活をつくる」という活動をしてきた。生活をつくるとは、生きるために必要なことに向き合い直し、必要に応じて自分の環境を作り変えていく作業で、今の世の中では、そのような活動に与えられる社会的立ち位置は存在しない。自分の生活をつくっても対価は発生しないから仕事ではないし、便利で快適な方へ向かっていくのでもなく、むしろ不便な方にシフトしていくこともある。生活をつくるという活動は、自分から見える世界に対しての必要に応じた結果で、そのニーズは何に対して応答しているかと言えば、この時代の要請だと思う。この時代の要請はどこからやってくるかと言えば、それは直感としか言いようがない。直感に従って行動するには、社会的な意義を一旦捨てて、それに何の見返りがあるのか分からないことをやってみる覚悟が要求される。覚悟と言うと厳しく重い感じになるけれど、やりたくて仕方ないことを自分にやらせてやる、と言い換えたら、同じ意味でもまた響きが違うかもしれない。

6年前のちょうど今頃の時期に、モロッコのアーティストインレジデンスに2カ月間滞在した。そのときに伝統工芸とコラボレーションしたくて、カーペット職人にデザインを渡してラグを制作してもらった。その橋渡しをしてくれたのがレジデンスのオーナーのジェフだった。当時、旅をしながら絵を描いていたので、絵を売るばかりでなく、物々交換なんかもした。アート作品の成立要素のうちの「欲しい」という感情を抽出したかった。お金を排除すればずっと「欲しい」という感情は出て来やすくなる。

ジェフが欲しいと言った絵と彼の作品を交換する約束をしていた。けれども口約束だろうと、すっかり忘れていた。ところが、ジェフは覚えていてくれ、6年経った先週、やっと渡せる作品ができたよ、と突然メールをくれた。

昨日ZOOMでミーティングして、不自由な英語ながらも久しぶりにコミュニケーションして、改めて世界と繋がる喜びを再確認した。例えば、日本に理解者が3人しかいなくても、地球全体には、その何倍もの理解者が存在しているという希望を思い出した。

ジェフは、6年前のぼくたちの活動に刺激を受けたと話してくれた。特にカーペットをつくった職人は、それ以来、アーティストとのコラボレーションに目覚め、彼女の人生が変わったというエピソードを披露してくれた。ジェフが描きあげた絵も簡単に描いたような代物ではなく、妻チフミとぼくをモデルにした愛に溢れた絵だった。これは確かな実験結果で、お金以外のモノで取引すると人と人は繋がりを強くする。そして、たまにこうしたミラクルが起きる。

現在の生活をつくる活動の原点に、2013年から2014年にかけての旅がある。いまは北茨城市で、当時からは想像もできない生活をしている。はじまりは、東日本大震災だから10年前のことだ。旅から戻った2014年は、40歳で無職だった。それが今は北茨城市と共に景観をつくるアートプロジェクトに取り組んでいて、それが仕事になっている。これも直感に従ってたどり着いた未来だと言える。

ここでの生活の基盤は、豊田澄子さんという女性との出会いにある。肝っ玉かあさんのような澄子さんが、廃墟の改修を快諾してくれ、その環境をギフトしてくれたおかげで今がある。澄子さんは、居住空間を提供してくれただけでなく、日々の食事の面倒も見てくれている。買い物に出かけるとぼくたちの分も買ってきてくれる。食事をつくれば食べに来いと電話をくれる。澄子さんは畑で採れた野菜を分けてくれる。ここには現代社会には存在しない経済がある。もしかしたら、澄子さんがこういう経済態度を持っていて、それは50年も前の日本人の気質なのかもしれない。

という具合に何も考えずに文章を書いてみたら、どうやら経済についての話に展開した。

お金は必要なときに必要なだけあればよくて、必要なモノも、ほんとうにそれが必要なのか、代用はできないのか、作ることができないのか、検討することで、消費を生産へと変換させることができる。その創造活動を生活芸術と名付けている。

作品集の英訳をシンガーソングライターの友人に依頼して、その前に自分でも翻訳してみた。できない英語で思考すると、少ないボキャブラリーで思考をサバイバルさせるから、より単純化して洗練される。

「多い」よりも「少ない」方が機能的に働くことがある。少ない方を目指すことで解決できることがある。つまり、減らしていくことは、成立する最低条件を追求していくことで、それ以上減らしたら成り立たない限界を知ることが、その行為の本質を明らかにしていると言うことができる。

ジェフの絵には、和船を漕いでいるぼくが描かれていた。ジェフは、日本の大工技術に惚れ込んで自分でも家の改修をやるようになったらしい。だからか、息子とボートを作りたいんだ、話してくれた。モロッコのテトウアンの川がいい感じに開発されて、カフェとボートのお店なんかやれたら最高だね、と盛り上がった。

それが夢物語でもなんでもなく、きっとできるとイメージできる。というのも、ぼくはお金を増やすことは考えないから、移動する予算さえどうにかなればいい。この夢の最低限成立条件は、川で遊ぶボートをつくることだ。川にボートが現れれば、誰かがまたボートを作るだろうし人が集まればカフェもできるだろう。増殖させることよりもはじまりをつくることに興味がある。

だから本をつくることの意義も変わってきた。本を作ったら出版社から流通してもらい、たくさん売らないと、と考えていた。けれども、たくさん売るために文章を書いているのではなく、この時代のこの先に求められるモノを直感で拾い集めていて、その活動について正直にまとめたモノをカタチにするのだから、まずは自分が納得する本をつくることに意義がある。そして結果はどうあれ、それを世の中に届ける努力をする。それが本というモノの最低成立要素だと考えるようになった。増殖させることは、その先に起こる話だ。

こういう考え方を支えているのは、心の繋がりを持つ相手がいることだ。金銭を抜きにした繋がり。命の繋がり、自然との繋がり。

言葉は、今見えていることと見えていないことを明らかにしてくれる。

昨日ふとこんな考えが浮かんだ。

波風立てて騒ぐことを活躍と呼ぶなら、波風を抑えて、静かにすることを何と呼ぶんだろうか。

If people act in a way that makes waves and makes a lot of noise is called being active, what is it called to keep the waves down and be quiet?

22世紀の生活芸術家たちへ(作品集あとがきの試論)

妻のチフミとぼくは2021年現在、北茨城市の山間部の集落に暮らしている。東京からクルマで3時間の北茨城市は、小さな山に囲まれ、太平洋沿いに位置している。人々は自然に囲まれて暮らしている。畑を耕し、魚を獲って・・・という暮らしのイメージは、ほとんど、ぼくの幻想でしかない。実を言えば、お年寄りは畑や田んぼをやっているけど、若い世代は、街の方に暮らすのを好む。

自然と共に暮らすという幻想を見ているのは、ぼくだけではなく、北茨城市と共に4年前から取り組んでいる「芸術によるまちづくり」として実践している。だから現実でもある。つまり、理想と現実が揺れる境界線を描いているともいえる。多くの人が街へと流出していく時代のなか、ぼくたちは、山の限界集落へと移り住んだ。そのおかげで、ぼくたちはランドスケープをつくるという、奇跡的な仕事をしている。

6年前にぼくたち夫婦は、旅をはじめた。40歳を前に東京の生活にピリオドを打って、スペイン、イタリア、ザンビア、エジプト、モロッコ、ヨーロッパとアフリカを巡った。そのとき、人間の生活の仕方は、こんなにも違うということを学んだ。それが多様性だとも知った。多様であることは自然そのものだ。けれども、経済成長を目指す社会は、一方向に人々を均質化して、人々もまた同じ方向を目指して競争してしまう。

スペインでは舟を自作する作家と、身の回りの素材で彫刻をつくる作家に出会い、イタリアでは田舎で制作する経験をした。ザンビアでは、身の回りの素材、泥で家を建てた。エジプトでは、革命の余波のなか、不安定な社会情勢のなかでも人々は生活を営んでいた。その人々に理想の暮らしについてアンケートした。モロッコでは、現地の人の生活、とくに田舎の方で、馬に乗る姿や、大地を耕して野菜をつくること、羊を殺して祝祭や肉を得ること、身の回りの素材で窯をつくりパンを焼くこと、地面に穴を掘って、鍛冶をやる様子などを観察した。

このような経緯で、アートとは何か、という問いにひとつの道を発見した。アートとは生き延びるための技術だった。それを「生きるための芸術」と名付けた。これは、答えではない。ぼくの奇妙な閃きに過ぎない。だから、日本に帰国して、旅のなかで遭遇した出会いと発見をコラージュして、理想のライフスタイルをつくりはじめた。ぼくたち夫婦の旅は、まだ続いているらしい。

絵画や彫刻のように、想像力によって自分の目の前の現実を作り変えることができる。それを証明するために実践している。

ヨーゼフ・ボイスは「社会彫刻」という概念を提唱した。言葉の通り、社会を作り変える表現行為を意味している。エジプトのアンケートの作品には、その言葉を引用した。しかし「社会」という言葉は、いくらか古い概念になっている。というのも「社会」という語は何も具体的に示さない。いつ、どこで、誰が、何を、そのすべてに答えない。ここで伝えたい最深部へと案内するには、この概念をアップデートする必要がある。彫刻するべき対象を、社会という曖昧な概念ではなく、より具体的にする必要がある。社会を変える起点は、一人ひとりが自分の目の前を彫刻することだ。つまり、自分自身の周辺環境を彫刻すること。それを新たに「環境彫刻」と呼ぶことにしたい。例えば、ひとりの作家が環境彫刻をするということは、大地を耕すことに似ている。それは作品という果物を実らせるための土壌をつくること。つまり環境彫刻とは、2重の意味でカタチをつくっている。自分自身の周辺環境を構築すること、作品自身の環境を構築すること。これはゴーギャンの傑作の題名「我々は何処からやってきて、何者なのか、そして何処へいくのか」に対する返答でもある。

芸術作品が、美しい絵を描けばいい、ということではなく、どのように暮らして、どのような素材で制作するのか、その視点から、作品が生まれてくる土壌から作ることで、作家の生活から作品まで、何処からやってきて、何処へいくのか、それに答えることができるようになる。表現行為を通じて。それを社会という曖昧な対象ではなく、自分自身の見ている世界で実践することで、芸術活動を、実社会を変えていく運動へと変換することができる。もちろん、これは、人類にとって未来が少しでもマシになればと願うのであれば、という前提もある。

アメリカのSF作家、カートヴォガネットは、芸術家をカナリヤに譬えた。炭鉱を掘り進めるとき、ガスが出る危険を察知するために最前線にカナリヤを連れていく。人間より敏感なカナリヤは、鳴き喚いて、その危険を知らせる。これもアップデートしよう。なぜなら、ぼくら夫婦の作家名、檻之汰鷲とは、檻から自由になることを意味している。籠から飛び出したカナリヤは、大空を羽ばたく鷲になる。鷲は、自分が生きるための生命活動をする。自然のバランスのなかで。実は、何千年、何万年もの遥か太古に、人類にとって必要なエレメントは出揃っていたのではないかと想像する。表現をするということは、芸術に限ったことではない。仕事にしろ、会社にしろ、何をしていても、そこには表現がある。そもそも、日々何かを選択して編集しながら生きていること自体が表現だ。

だから、「サバイバルアート」「生きるための芸術」「生活芸術」というコンセプトを編み出しながら、人間の生命活動の原点を表現したいと企んでいる。

地球儀を目の前にこの先の物語を想像している。地球儀を回転させ、指で止めた任意の地で営まれている生活様式を採取して、それを作品にしたい。都市を中心と呼ぶのなら、世界のほとんどは端っこだ。その端っこにはまだきっと、古くから営まれてきた生きるための技術たちが棲息している。特別な何かである必要はない。この世界に中心はない。社会はピラミッド型でもないし、競争や勝ち負けもない。日常生活のなかにあるアートを拾い、磨いて、人々に宝物として提示してみたい。


(2021.2.19/作品集あとがきの試論)

英語練習帳日記/Practice thought In English

6年前、モロッコで滞在制作したときの展示で、お金を稼ぐことより、どうしたら「欲しい」という感情を引き出すことができるのか、それを知りたくて、物々交換を条件に設定していた。お金を払わなければ「欲しい」という感情が出てきやすくなる。無料でも欲しくないものは欲しくない。

ロッコの展示では、レジデンスのオーナージェフが交換を申し出てくれた。すっかり忘れていたのだけれど、ジェフから昨日メールが届いた。

「作品を交換すると言って、あれから6年やっと絵が描けた。もしかしたら呆れて怒っているかもだけど、久しぶりだしZOOMで話でもしよう」

と書いてあった。交換したことすら忘れていた。

自由な暮らしをしている身分になって、やりたいことは湧き水のように溢れている。そのなかのひとつに英語という課題がある。適当には勉強しているけど、Netflixを英語字幕で観たり、英語の歌詞を訳してみたり。来週、ジェフとZOOMで会話するので、英語で近況を書いてみることにした。酷い英語なのは承知。あるとき、英語圏の人に英語が下手だからというようなことを言ったら、返された。

英語圏の80%が第二言語として英語を使用している。だから、ネイティブなんてのは逆に少なくて、みんなデタラメな英語を話しているんだよ。誰もそんなことで笑ったりしないよ」

Now Chifumi and I are living in countryside where name is Kitaibaraki city. It took from Tokyo 3 hours by a car. Kitaibaraki city is sorrunding small mountain and on pacific ocean. Pople live with nature, like cultuvate and fising ... These are  almost my imagenations. To tell the truth, Only old generation live with nature so young generation live in the town.

I'm working with city office. Because their plan is to make better city with art. We moved this town 3years ago. Now we are living in the small village in this city. almost people want to live city. so in Japan so many countryside might disappear as town and village.

6 years ago, We traveled around Mediterranean sea, stayed Spain, Italy, Zambia, Egypt, Morocco. That time, I understand way of livings are very different in the world. It is diversity, It is natural system. That time, I understand way of livings are very different in the world. It is diversity, It is natural system. but progress try to make people same, or people want competitions.

at Morocco, with a help you and green olive art, we stayed a week countryside. we wanted homestay because we wanted to know local daily life. you introduced to us a family. that house was modern family. That was very comfortable. They realized what we want, so they offered us to go countryside. 

That way we experienced local moroccan life. They cultivate land to get vegetables, They make oven with earth, water and fire to get bread. Ride a horse, kill the sheep, on the ground smithery.

Like this, I found what art is. Art is to make living, to make useful things from around ourselves. This might be my strange imagination. so I had to practice this concept in Japan. Therefore when I went back Japan, we started to make our own lifestyle.

Art can create the reality in front of you, "not us, each of you and me". Like a to make paintings or sculptures by imaginations.

Do you know Joseph Beuys?  

明日はヨーゼフボイスの社会彫刻について書きます。

桃源郷づくり2年目。

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藪の整理が完了した。春に向けた準備が始まる。何が終わり何か始まる。循環している。冬から春へ。夏秋冬とまた季節が巡る。

図書館に予約した本が届いて、昨日の夕方取りに行った。朝、ヘルマン・ヘッセの「庭仕事の愉しみ」を読み始めた。ちょうど、春に向けて準備する冬についての文章ではじまった。すっと言葉が入ってきて、これは必要な本だと感じた。渇いた大地を潤すような読書がしたい。

本を数ページ読んだら、自分の庭が気になった。本を閉じて見回りの散歩に出た。庭と言ったけれども、庭だけではなく、揚枝方という北茨城市の集落全体の景観づくりをしていて、荒れ地を畑にしたり、草を刈って木を切ったり、桜を植樹して、耕作放棄地には菜の花を、休耕田には蓮を植えた。これを「桃源郷づくり」と名付けて、市役所と地域と協働している。広さは1キロ四方で、約30万坪、もしくは100町ほど。

ここに自分の土地はない。誰かの土地で、ほぼ放棄、放置してある。それだったら、整備して何かに使いましょう。単純な話。ここが銀座だったら、そうは単純な話にならない。けれども、ここは利用価値がないと思われているから、捨てられている。ぼくは、それを考えただけで、心の中で笑いが溢れる。

だって、土地は土地だ。大地だ。耕せば、食物を育む。何も悪くない土地だ。けれども、人間が積み上げている「価値」というものがこの土地には1ミリも積もっていない。大人たちは「この土地は幾らですか?」そうやって値踏みする。「この土地には資産価値なんてないですよ」と言われた途端、興味を失う。

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おかげで、ぼくの目の前には、自分の土地ではないけれど、自由に使える大地が広がっている。だからと言って、線を引いて、こっからここは俺の土地だ!とは主張もしない。価値のない大地のうえに、架空の価値を創造している。種を播いた。けれど、まだ花は咲いていない。今年で2年目になる桃源郷は、まだ目には見えない。それが素晴らしい。自然だから、結果が出るまでに10年近くかかるだろう。ここはゼロの地平。開花したとき、桃源郷が現れる。それまでは、ここに現れるだろう景色を心に描ける人だけが愉しむことができる。それは、この桃源郷づくりに参加した人だけが描くことができる。その資格は、この土地に魅了された心に芽生える。

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小さな理想を描く世界を創造する手段。

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藪の整備をした。自分たちだけでは、気が遠くなるので、植木屋さんに依頼して、妻と自分も参加した。おかげで、予想以上に片付いた。全4日予定の1日が終わった。それだけでも書きたいことがいつくも浮かんできた。

藪とは、木や竹が自由に伸び放題になっていることを言う。聞く話によると、50年前、60年前のこの地域、北茨城市の山間部には、藪なんてなかったそうだ。藪がない理由は、牛や馬がいて、その餌にするために草を刈り込んでいたからだ。

ところが現在は馬も牛もいないし、畑も田んぼもやらなっているから、至るところ草や木が伸び放題になっている。ある意味では、この方が、人間の手が入らないまま、草木は自由に繁茂している方が自然だ。

それでも「景観」という観点では、人間の手が入っている方が美しい。そう感じる。そもそも「美しい」という概念自体が人間のものだから、人間の一方的な感覚でしかない。自分も人間だからやっぱり美しい方がいいと思う。そういう理由で藪を整備している。

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しかし、この藪に生えている草木も、そもそも理由があって先人たちは植えた。目下の敵は竹なのだけれど、竹はかつては、プラスティックの代わりだった。皮はサランラップのように食料を包んだし、籠を編んだり、生垣だったり、建材としても重宝されたらしい。が、いまでは、あまり利用価値がなくなってしまった。ぼくは竹を材料に舟を作るつもりだ。(今回はその話しではないので割愛する。)

藪を整理していくと、トタンやら廃材やら、土に埋まっているモノが発掘された。この場所で養鶏をやっていたと聞いたことがある。実は、5〜60年前には、環境に対するモラルは今よりずっと低かった。だから、見えなければ良いという感覚で、その辺に埋めていた。そういうモノがたくさん地中に隠されている。今だったら犯罪と言えるレベルの不法投棄が行われていた。それは、今よりもずっと自然が豊かで、自然環境が損なわれるとは想像できなかったからだ。

藪を整備しただけでも、時代の流れ、感覚や常識の変遷を体感する訳で、今が特別、環境に対して負荷をかけているのではなく、常に人間は自然に対して何かしからの過ちを犯していて、宗教が示すように、反省、懺悔の生き物なので、その点、過去より今の方がずっと環境に対して意識は行き届いている。もちろん、かつての投棄と同じような誤ちは、今でもカタチを変えて行われているだろうとは予測できる。自覚できない次元で。

今できないことを嘆いても前には進まない。何より社会の課題と感じるのは、目の前の問題を全体論にすり替える議論について。

つまり「そんなことをしたら社会全体が〜」みたいな話のこと。そんな言い分は何の解決にもならない。例えば、原発を止めたら社会全体の電力が〜、みたいなことよりも、君はどう感じて、それに対してどうアクションを起こすか、もしくは起こさないのか、その二択でしかない。そうすれば、答えは明快に出てくる。個人的にも、全体的にも。

これだけ社会全体が見渡せる時代なのだから、目の前の問題の最大公倍数を語るのではなく、ひとつひとつの問題を自分に手繰り寄せて個々が解決していけば、世界は美しくなる。世界とは、一人ひとりが見ている現実。

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目の前の藪を整備している。ここの藪はこの数年間の課題だった。景観を作るというプロジェクトで、やっとこの藪に辿り着いた。ぼくと妻は、北茨城市の山間部で、目の前の問題をひとつひとつ片付てみている。それこそが、ヨーゼフボイスが提唱した社会彫刻と呼べる現代のアートの実践だと思う。目の前の課題と向き合うこと。最先端の表現は、目の前を美しくすることにある。一人ひとりの人間が目の前に理想を作り出すことができれば、どれだけ世界は美しくなるか、そう想像すること自体、人間のエゴでしかないのかもしれない。何もしない方が地球環境には良いという結論かもしれない。それでも、ぼくは、小さな理想を描く以外に世界を創造する手段を知らない。

脱・現代社会。ポスト自由人へ。

友達のDくんと電話で話した。面白い状況にいたので記録してみることにした。D君は、肩書で言えばアート・プロデューサー。高円寺を拠点にアートホテルの立ち上げに関わったり、街中に巨大な壁画を出現させるプロジェクトを手掛けてきた。

けれどもDくんは、そういう方向性ではなく、自分がやりたいことを直感的にやっていきたいと言う。つまりお金を稼ぐということではなく、そういう計算とは別のところで活動してく方向を模索していると話してくれた。

これまで育ててきたプロジェクトは、できるだけ人に譲る方向で調整しているらしい。そうやって少しずつ自由になろうとしている。しかしD君は、自由になるほどにある問題に気が付いた。自由になるほど、いくらでも怠けることができてしまうことに気が付いた。「面倒臭い」という言葉で幾らでも先延ばしにできてしまう。というものD君には、これまで手掛けてきたプロジェクトの不労所得が十数万円ある。おまけに高円寺という街で活動してきて、スキル・トレードという貨幣価値に依存しない仕事のやり方を模索してきた甲斐あって、飲食店でお金を払わずに食事できる環境にもいる。もちろん対価としてやるべきことはあるとしても、お金を勘定しなくても生きていける状態にある。何をしてもいい、という状態は、自由な自分を思い通りに動かさなければならないという、自由ならではの不自由さに直面している、という話だった。

つまり簡単に言えば、D君は東京に暮らしながら、働かなくても生きていける環境を手にしている。働いていない訳ではないけれど、会社に行っているのでも、どこかに所属しているのでもない。無職やフリーターというのもまた違う。これまでしたきたことの余剰分で生きている。ずっと続く訳でもないだろうし、一時的な安全地帯に生きている。なんて呼んだらいいのか、名付ければいいのか、これもまた新しいライフスタイルだと思った。当たり前のように働いて、お金を増やして、肩書や地位を向上させて、その競技に参加するのであれば、そんな状態にはならいだろうけれど、このコロナ禍では、今までの社会が強制してきたようなパワーゲームから外れてしまうことも、洗脳が解けるように、D君のような状態になることもありえる、と感じだ。

そんなD君に「欲はないのか」と質問してみた。
「世界平和」とD君は答えた。そして付け加えた。「世界平和と言っても、誰かを直接的に支援するということじゃなくて、自分のすることが世の中を良くしていくような活動はしたいと思う。だからお金じゃないところで行動しているんだけど。無償でやってもいいと思えることだけをやっていて。最近感じているのはSNSも結局は、同じ価値観の共有だし、優劣とか強いモノへの追従とか、そういうの飽きたし、むしろ、リアルなところ、つまり現実、目の前のこと、自分がやりたいと感じることを自分にやらせたいなと思っている」