いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

10000年の反省。土器からやり直す。

地域で景観をつくるために桜を植樹した。夏には雑草が溢れて桜に絡まってた。9月になって一本づつ蔦を取り除く作業をした。やっと桜と向き合うことができた。そのとき「絡まる」という言葉の状態が目の前にあった。蔦は桜に絡まって倒してしまう。それは「絡まれる」という言葉そのものだった。

気が付いたのは言葉は、行為やモノや身の回りのことを説明するために生み出されてきたということだ。当たり前だけれど、新しい技術が生まれれば同じように言葉も生まれる。

おかげで土器を作っている意味をみつけた。井戸を掘って粘土をみつけて土器を作り始めて、自分はなんのためにやっているのか、意味はあるのかと不安になっていた。陶芸という芸術表現があって、たくさんの人がその表象技術を磨いているなかで、身の回りに名人達人もいて、昨日はじめたところで何になるのか。そう思っていた。けれども掘り出した粘土で土器をつくるということは、人類が器をつくった現場検証することができる。その発明現場に立ち会うことができる。つくった器の出来を競う事よりも、その行為のなかにある言葉に出会うこと、そこにとても重要なことがあると気が付いた。

「アート」に取り組んできて、そのなかで「生きるとは何か」「芸術とは何か」という問いが生まれた。それは「生活芸術」というコンセプトになった。生きるとは身の回りのモノを駆使して命を繋ぐ行為で、それが生活をするということだった。けれども、現代では生活をすることは商品やサービスに取って代わられている。命を繋ぐ活動を体験するには、生活を取り戻す必要があった。つまり自然のエレメント、水、火、土、木、太陽、それらを駆使して生活をつくり直す必要があった。それを実践していくうちに、そもそも芸術とは、生きるために身の回りのモノを駆使して道具をつくったところに原点があった。「生きる」と「芸術」、それぞれ別々の支流を遡っていくうちに、いよいよそれが合流しつつある。

人間が生きるためにしてきた発明・発見がある。火の発見。言葉の発明。農耕の発明。紙の発明。土器の発明。それらを発見・発明する度に言葉が生まれた。

土器からやり直すことは、生きるための芸術そのものを体験する。例えば「井戸を掘ったときに出土した粘土で器をつくった」という直感は実践したからみつけた眼差しだ。自然に働きかける行為のなかに起きる出来事は、いまもむかしも変わらない。そこには起源がある。

「つくる」という人類の歴史を産業革命までやり直したら面白い。土器をつくりながら、紙をつくろう。パピルスからやり直す。原点から人類を見つめ直したとき、そこにどんな表現が起こるのか。

言葉が照らし道を知る

言葉は光だ。暗闇を照らす。ぼくには地図が必要だった。なぜなら自分の居場所が分からないから。いや、いまの社会に自分の居場所がほとんどないから。だから言葉にして進んでいかないと道に迷ってしまう。迷ってしまえば不安になり、既存の社会の枠組みに安定したいと考えてしまう。だから文章にして道を照らす。

 

ここ数日は草刈りをしている。いま暮らしている地域の景観をつくる活動をしている。景観をつくる活動は、地域支援員という仕事になっている。地域支援員とは、人口が減ってお年寄りばかりで消滅する可能性の限界集落で、見守りやサポートをする仕事だ。ぼくは「生活芸術」と名付けたアート活動を追求していった先に、日本の過疎地に自分のフィールドを発見した。

過疎地は、当然ながら50年前はもっと人口があった。子供も兄弟親戚、お年寄りも大きな家族で暮らしていた。いたるところの土地は田んぼか畑だった。ここで生まれた人は、かつては都市を目指す必要もなかった。ところが、高度成長期に多くの人が都市に暮らすようになって、田舎の価値は失われていった。その過程で生活も失われていった。今では畑も田んぼもやらない人口の方が圧倒的に増えている。田舎でも同じだ。ぼくも田んぼもやっていないし、畑も少ししかやってない。畑はやっているとカウントできるレベルでもない。

目の前には耕作放棄地と休耕田と呼ばれる土地が広がっている。つまり大地が放置されている。一方で都市では土地は高騰し住む場所がない人もいる。このアンバランスさの中で経済成長を目指してけば、伸びるところだけ伸びて、ほかは置いていかれる。それならそれでいい。無理に経済成長をさせる箇所は次第に破綻していく。そのセイフティーネットとしてほかの場所を開拓しておきたい。それが均衡を保つということだ。自然の中にある暮らしを復興しておかなければならない。

そこで閃いたのが、この地域の放棄された土地を利用して景観を作品にすることだった。今現在はなにも価値もないし、迷惑としか思わないような放棄地に何かしらかの利用価値を見出すことができれば、未来に資源を残すことができる。ぼくは表現者だから作品として、この閃きをカタチにしたかった。この作品は自然が題材だから、自然の速度で成長していく。だから1年、2年、5年、10年と時間を積み重ねていくことでしかカタチにできない。それが作品として結実するのはいつのことか分からない。それでもはじめたし、そういう制作環境に自分を置くこともできた。あとは続けるだけだ。けれども目に見える成果というものはほぼない。とくに一年目の今年はそれを痛感する。

そんな思いを前回書いたハンナ・アーレントの思想が解きほぐしてくれた。ぼくのしていることの多くは「活動」だ。ここには成果よりも物語の方が多い。活動の中から敢えて「仕事=WORK」を抽出しなければ、評価もお金も生まれない。もちろん、活動の中から物語を言語化して文章にするのもWORKになる。言語化することは同時に、ぼくにとって道を照らす道具でもある。こうして確認作業をしながら進まないと道を見失う。そういう意味では、日常世界を開拓する冒険をしている。それぐらい曖昧な領域に足を踏み入れている。どこか遠くへいくこともなく、日常を冒険をしている。

そもそも人間という小さな存在より以前に、地球が活動してきた。その活動が生み出した作品がこの自然のすべてだ。人間が生み出したモノ以外の。身の回りのモノで作品をつくるという「サバイバルアート(=身の回りのもので生き延びることにヒントを得た創作活動」を通じて、地球が生み出したものを題材に作品をつくりたいと考えるようになった。身の回りのモノ、例えば商品やサービスはお金を支払わなければ手に入らない。仮に手に入れたとしても、そこには商標や著作権などが存在する。けれども自然なら何も咎められることはない。

ここ数年は「生活をつくる」という活動に費やしてきて、いよいよ自分の生活ができつつある状況で見えてきたことが、もっと純粋な「つくる」ということだった。なぜ人間はモノをつくるのか。それは生きるために必要だからつくった。人間にとって「つくる」とは根源的な営みだった。これは直感的な閃きで、まったく当てにならない思い込みでもある。だからこそ、そこに進んでいくことで新しい道を拓くことができる。間違った道でも進んでいけば、どこかの道へと通じる。その回路は自分だけしか持っていないバイパスになる。

生活の先に見えた「つくる」が土器だった。井戸を掘ったら粘土が出てきた。だから、陶芸ではなく土器と呼ぶ。はじまりは、訓練も洗練もなかった。ただ手のひらで水を掬うような器だった。そういう「はじまりのカタチ」を探求したい。これは縄文土器でもない。縄文というひとつのスタイルに集約されることで、縄文とそれ以外に分類させたくない。

とにかくそれよりももっと純粋な、意図よりも必要が先で、必要よりも偶然に発見してしまった、そんな現場に立ち会ってみたい。それはたぶん、何かの間違いが起きたような、危ういバランスで成り立っている状態なんだと思う。そこには分類や価値や評価はない。自分はそこへ向かっている。

思考、活動、仕事、労働=人間活動について

昨日、久しぶりに宇川直弘さんのDommuneを観た。そのなかでハンナ・アーレントを引用して「ここで言う事ではないかもしれない。みなさん仕事をされてきているのに。ぼくはこのDommuneをずっと活動としてやってきた。これは仕事ではない。つまりハンナ・アーレントが言うところの活動している」

宇川さんは、コロナで仕事が回らなくなっているクラブ関係者やミュージシャンの前でそう話した。Dommuneが何か知らない人は、それを調べてもらうとして、ハンナ・アーレントがいう活動とは何か調べてみた。

ハンナアーレントは人間生活を観照的生活と活動的生活の二つに分けた。観照的生活とは、永遠の真理を探究する哲学者の生活で、活動的生活とはあらゆる人間の活動力を合わせたもの。

活動的生活は、活動、仕事、労働に分けられる。

  • 「活動」は、人間があらゆる存在関係の網の目の中で行う行為であり、平等で違いを認め合う人間の間に存在する。個々人は自発的に「活動」を開始し、その行為の結果として自身が何者かを晒し自らを知る。自身には決して明らかにはならないが他者には明白ななんらかの徴でもある。
  • 「仕事」は、職人的な制作活動に象徴される目的-手段的行為をさす。ある特定の目的の達成をめざして行われる行為はアーレントにとって「仕事」であった。「活動」はその結果として語り継がれる物語以外の何物をも残さないが、「仕事」はその達成された目的の証としての最終生産物を残す。最終生産物の産出に示される「仕事」の確実性は古来より高く評価されてきた。
  • 「労働」は人間の生存と繁殖という生物的目的のため、産出と消費というリズムにしたがって行われる循環的行為である。「活動」や「仕事」と異なり、人間は生存に伴う自然的な必要を満たすために「労働」を強いられる。それゆえ古来より労働は苦役であり続けたが、アーレントによればマルクスによって人間が行うもっとも生産的な行為として位置づけられた。(wikipediaより引用)

ぼく自身「活動」という言葉を多用するけれど、こんな風に分類はできていなかった。アーレントの思考に触れて、自分が「人間生活」全般に取り組もうとしていることが分かった。文章を書くことは思考するためだ。常に「問い、考え、導く」を繰り返している。「なぜ」を問い続けている。どうして目の前のなにかがそうなっているのか。例えば、どうして人類は土地を巡って争い続けてきたのに、日本の田舎の土地は耕作放棄地になってしまうのか。どうしてあの波に乗れないか。どうしたらもっと上手に乗れるのか。「問い」内容や対象はなんでもいい。それがアーレントのいうところの観照的生活だから。まさにそうした活動を物語以外に残す手段がないから、ぼくは文章を書き続けている。それをまとめる仕事を経て「本」という最終生産物に残す。つまり、自分のしていることのなかに「哲学」があることを知った。

自然に対峙して生きていこうとするとき「労働」する。ぼくが考えるに「労働」は人間が人間に強いるものであってはいけない。もっと単純明快な、生きるために大地に働きかける活動だ。自分の中から湧き起こる興味や生への渇望。その活動が労働となって結果、収穫物をもたらす仕事になる。

ハンナ・アーレントは「人間の条件」でこう書いている。
『実際、人間の労働力は自然の一部であり、おそらく、すべての自然力のうちで、最も強力な力なのである。(本文P188)』

ということは、ぼくが何をしているかを説明するなら「人間活動」をしています。ということになる。たぶん、誰にも伝わらないだろう。表向きには「芸術家」と名乗るだろうけれど、絵を描くことも彫刻をやることも、陶芸も、サーフィンも畑も開拓も、すべて人間活動を知るための手段に過ぎない。それでも、ネットで調べただけで一冊もハンナ・アーレントを読んでいないのに、こうやって理解した気がするのは、どうなんだろうか。せっかくなので何か一冊は買ってみようと思う。

「過去と未来の間 政治思想への8試論」ハンナ・アーレント

 

カタチのエロスは生命。

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粘土で器を作っている。たまたま出土した粘土を陶芸家でもないのに器にしようとしている。何をしているんだろうと考えた。

思いついたのは、人類がしてきたものづくりをやり直しているという答えだった。新しい展開を迎えた。これまで「生活を作る」という表現をしてきて、それは身の回りのモノを駆使することで、自分が探究してきたアート表現の「サバイバルアート」と合流した。つまり、身の回りのモノを駆使して作品をつくることは、自然を駆使して生き延びることだった。人間が生きるためにしてきた工夫こそが生きるための技術であり芸術でもあった。

技巧匠に進化していくより、モノの起源に向かって退化していくと「はじまりのカタチ」に遭遇する。それは最低限の簡素なカタチで、目的を果たすためだけにある。例えば器なら水を容れるためだけのカタチをしている。そのカタチに美しさがあると感じる。なぜなら、それは区別しないから。「できる人/できない人」に分けないから。

技術とは素晴らしいものである一方、区別する。分かりやすい例だと家がそうだ。家とは専門家が建てる。けれども生活するという観点だけに絞るなら、誰でも家をつくることはできる。屋根と壁さえあればいい。床や窓もあればもっといい。それだけのことだ。けれども専門家の仕事になっている。「わたしは家は建てられません」と平気で言えてしまう。生き物の観点からすれば、わたしは眠りません。わたしは食べません。と同じ放棄の仕方だ。

「はじまりのカタチ」は、自然から生み出される。なぜなら、まだ自然しかなかった頃にはじまったから。例えば、器であれば、火と水と土と風によって形作られる。家もはじまりは自然からつくられた。服もそうだ。紙も自然からつくられたし、お金も自然物だった。その領域に踏み込んでいく活動を何て呼ぶのか知らない。ぼくは絵を描きたいのでも彫刻をしたいのでも陶芸をしたいのでもなく、はじまりのカタチに触れたいのだと気がついた。それが「生きるための芸術」とういうことになる。もちろん、はじまりのカタチに触れられるなら、絵も彫刻も陶芸も農業も釣りでもなんでもやりたい。

最近は目の前の景色を描くようになった。現実をつくるようになると、目の前にあるものに価値を与えることができる。想像力を現実世界に発揮できる。伝わるだろうか。それぞれの目の前にこそ価値がある。それぞれの人がそれぞれの仕方で目の前に価値をつくることができれば人生を社会を豊かにできる。

そのためには、専門家や技術者だけができるという区別があっては世の中は美しくならない。誰もがやれることでなければならない。だからはじまりへと遡っている。カタチのはじまりには誰もができる普遍的な技術が埋蔵されている。

これまでしてきた生活をつくる活動と制作活動が交差した。生活するために掘った井戸から出てきた粘土で作品をつくろうとしている。

これまでパピエマシェという張り子の技術で動物をつくってきた。それは新聞紙、枝、段ボール、セロテープ、小麦粉、水でつくる。これも身の回りのモノで構成されているから気に入っている。この技術で動物をつくってきた。動物のカタチから神のデザインを堪能できる。地球や自然を創造する何ものかの造形。幸いこれに著作権はない。模倣しても罪にならない。動物とは絶妙なカタチをしている。猫なら猫、犬なら犬。それぞれのカタチに特徴があり、それぞれの個体に表情がある。パピエマシェでつくった猫をモデルに土器の猫をつくろうとしている。一歩前進した。猫のカタチをつくりながら思った。動物をつくるときのポイントは愛と魅力に溢れる命だと。それはエロさだと思った。

勝手な解釈なのだけれど、人類の最初期に存在した表現と対になっていた祈りとはエロさだったのではないだろうか。

景色にも器にも動物のオブジェにも、そこにエロさが宿ったときモノだとしても命が与えられる。それは曲線にあるのかもしれない。直線から曲線へ一歩前進した。していることについて考え、書くことで自分自身がつくられていく。モノをつくることによって人間は進化してきた。それは疑いようもない。だからこそ、技術も上手いも下手もなく、ぼくたちは何かつくる必要がある。生き物として生き延びるために。

 

 

 

土に魅せられて

図書館に行った。本棚を眺めていると手が伸びる。それが今の自分の興味。同時に読みながらあれこれ考えを巡らせている。生きるための芸術を探求してきて、いまは土器に注目している。

「日本の色を染める(吉岡幸雄著)」によると明治時代までは色と言えば植物から採取した染色だった。西洋から化学染料が入ってきて、日本の伝統的な染料の技術は、変わってしまったそうだ。原料が変わったのだから色の表現も変わった。

この本によると火がはじまりだった。40万年前、50万年前、自然発火に遭遇して人間も火をつかうようになった。火は夜を照らした。明るくした。火は夜の太陽だ。それによって赤を知った。赤い花、流れる血。

火を扱うようになって、器をつくるようになった。粘土をみつけて焼成して硬くなることを知る。縄文時代には、土の中から赤い成分をみつけて土器に塗っていた。すでに色を知っていた。土を燃焼していくと煙が強くあたるところに煤がついて黒が発見された。
草から繊維と取り出して、糸をつくった。はじめは白くなかった。灰汁煮きや太陽の紫外線にあてることで白くなることが分かった。白が発見されて人間は豊かな色彩を操るようになる。

日本の色を染めるの冒頭を抜粋要約した。
いま興味がある、土器と色について触れられている。あと繊維を取り出して糸をつくること。これは、いま草をバラバラにして漂白して、紙をつくろうとしている。

井戸を掘っていたら粘土が出てきて、それで器をつくった。「色をつくること」と「器をつくること」が交差するところで作品にしたいと考えた。陶器に色をつけるには釉薬をつくることだ。陶芸は土を利用して作る。釉薬とは、熱で溶けた物質のことで、「身近な土を焼く(芳村俊一著)」では、何でも釉薬になると書いてある。モノによって溶ける温度が違うだけで、溶けてなくなる前に取り出すことができれば、様々なものを夕として使えるそうだ。

窯をつくって、土器を焼く。身の回りのモノを釉薬にして、色を出す。これができれば、人類の原点に回帰したモノづくりを作品にできる。とにかく自然のエレメントを駆使してどこまでモノづくりができるのか。それができる環境にいるのだからぜひやってみたい。

開拓(カイタク)する「陶芸、色、紙」

3冊目の本を書き終えて次の物語が始まっている。廃墟を住居にして、荒地を開拓している。耕作放棄地を利用させてもらっている。ある意味で、日本の地方では合法的なスクワットが可能だ。スクワットとは、ヨーロッパで空き家や空きビルに不法侵入して占拠してしまうことを言う。合法的ならスクワットではないけれども、放棄している空間を再利用することをどう名付けたらいいだろうか。とりあえず「開拓(カイタク)」と呼ぶことにする。

その意味で芸術を開拓している。絵を描くことにそれほど拘りはない。それより人間が生きるためにしてきた活動に興味がある。そもそもなぜ絵を描いたのか。人間が何かを表現するようになったのは必要があったからで、たぶん想像するに「祈り」はかなり早い段階に存在していたのだと思う。これはもっと調べる必要があるけれど、モノづくり、つまり表現することは「祈り」と結びついていた想像した。それから人間が生きるために作ったモノの早い段階に器があったと思う。引用するまでもなく縄文土器はその代表だし、もちろんそこにも祈りがあった。

表現を開拓するために、窯をつくって焼き物をつくりたいと考えた。何をつくろうか考えている。必然が求められる。意図を超えて生まれてくるカタチ。「思考/試行」しているうちパズルのピースのようにぴったりと嵌ることがある。そのために手を動かす。開拓するうちに未だ情報になっていない領域へと踏み込んでいく。

もうひとつは色に興味が出てきた。身の回りのモノをつかって人間がどのように色と出会い、表現していったのか。とても興味がある。以前、岐阜県中津川市に暮らしたとき、作品を藍染めしたくて、藍を探したら、藍を育ててつくっている作家さんがいて、譲ってもらおうと訪ねてお話ししたら、とても譲ってとは言えるモノではなかった。もうその色そのものがその人の作品だった。

「色をつくる」という行為も人間が生きるためにしてきたことの技術に数えられる。今読んでいる「日本の色を染める(吉岡幸雄 著)」に詳しい。

紙をつくること。これは民俗学者宮本常一さんの本を読んで書いてあったとこで、白い紙は高級品で、むかしはもっと質の悪い紙をつかっていた。鎌倉時代なんかだと、何回も濾してつくった粗末な紙を使っていた。それでも特別なモノだった。

現代では「モノ」は湯水のように使い捨てする存在だけれども、そもそもは誰かがつくらなければ存在しなかった。生み出すには労働が常に要求された。モノをつくるひとたちは生産性を高めるために工夫した。それが技術になった。工夫が積み重なって経験ある人しか作れないものになっていった。

すべてのモノに専門家される以前の誰でもつくったカタチがある。柳宗悦の民藝は、職人が無心になってモノを生み出すそのカタチを拾い上げた。名もない職人たちが生きるためにつくった器や道具。そのもっと前の素朴なモノのカタチを拾い上げてみたい。

陶芸、色、紙。この3つへの興味を作品化したいと思う。未だやったこともないこの技術はそれぞれ専門分野になっているから、かなり無謀だと思う。それでも、この3つにも専門化される以前の無垢な状態があったはず。

まずは、荒地を開拓して、焼き畑をするからそのときに、粘土で成形したオブジェを野焼きするのがいい。「生活すること」と「ものをつくること」が日常のなかで一致する。これが求めている必然だ。

廃墟と荒地の楽園ー最後の章に寄せて 

「生活する」から「生活をつくる」にライフスタイルを変えた。とくに変わったのは、会社で働いていないことだ。自分の仕事をつくった。ひとつは作品をつくって売ること。もうひとつは限界集落の再生。

「生活」をつくるために生活とは何か考えて分解して再構成して、今の暮らしに辿り着いた。水は井戸。トイレはコンポスト。風呂は薪風呂。調理するのは薪ストーブ。夏はストーブを焚かないのでカセットコンロを使っている。電気は、契約してコンセントから使えるようにした。

生活をつくる理由は、この時代のこの社会に対して何ができるのか、その答えだ。2020年。決して安定した良い時代ではないと思う。日本は高度成長期を遥か過去に、それでも経済成長しようとしている。おまけにコロナウィルスが世界を覆っている。

どんな時代にだったとしても「できることをする」以外に方法はない。たった自分ひとりが何をしたところで変わらないと思うかもしれない。いつの間にか、ぼくたちはそう考えるようになってしまった。きっと子供の頃は、何でもできるような気持ちがあったはずだ。ぼくはヒーローになりたかった。変身して敵を倒す力を手に入れると思っていた。変身さえできれば。

ところが現実は、ぼくを何者でもない、何も才能のない人間に変えてしまった。走るのも速くないし、勉強もできないし、成績に表せばそれはもっと明確になっていく。親や大人は「現実を見ろ、夢を見るな、諦めろ」と言う。

そう思わされていた。ぼくはそういう社会を変えたいと思う。それは自分が自分を信じることから始まる。俳優をやっている先輩が教えてくれた。競争はもう終わりだ。上位入賞者だけが参加できるゲームだったら、こっちからお断りする。ぼくは、走るのは遅いけれど、長距離も走れないけれど、それでも走る。走るのが好きだから。自分の身体の健康のために。ぼくは絵を描く。入賞しないかもしれないけれど、没頭しているのが好きだから。そういう時間を持ちたいから。文章を書く。自分が何処からやってきて何処へ行くのか、それを知るために。

社会が発展するほどに世界は狭くなっていく。便利になるほどに不便になる。遠く離れたところが近くなったように思えて、代わりに近くは見えなくなっている。コロナウィルスによって移動を制限されて分かった。ぼくが暮らす地域もひとが街へ出かけなくなった結果、目の前のことに取り組むようになった。つまり、耕作放棄地を畑にして、野菜をつくる人が増えた。草刈りをして土地を手入れする人が増えた。どこにも行かないから、地域での会話が増えた。目の前のことより、隣の芝生にみんな夢中になっていただけだ。メディアがそういう眼差しを生活に送り込んでいる。自分が充実すれば、他人を思いやる余裕が生まれる。バリ島のバビグリンだ。ぼくが暮らす地域のひとたちも野菜を食べろと持ってきてくれる。それは家があり土地があり、生活を自分で持っているから、その余裕が生まれるのだと思う。

芸術を表現することと人生をつくることは表裏一体だと考えている。つまりは人生をつくることが表現だと。だから表現を誰かの評価や経済効果ではかることは、人生に価値を付けるのと同じくらにくだらない。それはすべてに言える。土地に価値がつくことも、家に価値がつくことも。絵に価値がつくことも。もちろん、ぼくは、こうした経済社会のなかで生きている。だから変えたい。どこから湧いて出てきたのか分からない価値基準に照らし合わせて、生まれる前のカタチや夢や思いを手放すほど、残酷なことはない。大人は子供が描く絵を見て喜ぶ。なんて無邪気なんだろうか。大人がそんな絵を描くと下手だと貶す。そんな心の在り方が生きにくい社会をつくる。

ぼくが暮らしている集落の土地は、評価額にしたら、それは安いだろう。だからと言って、この大地に価値がないかと言えばまったくそんなことはない。もし、そんな価値基準に従っているならいますぐに捨てた方がいい。そして自分の好き勝手に基準をつくればいい。日本の80%は森林だ。日本列島は海に囲まれている。春夏秋冬。この地球上すべてのバランスを体験できる四季がある。当然ながら大地は豊かだ。自然を生活に取り入れることができれば、0は100にもなるし、100を10に変えることもできる。自然は分け隔てなく、働きかけたひとにその恵みを与えてくれる。

ぼくは自然のなかの芸術を探求したいと思っている。それがどういうモノなのか未だ分からない。ぼくはいま46歳。あと40年ぐらいは生きられるだろうか。田舎に暮らしてお年寄りと過ごす時間が多くなって、自分が80歳になったとき、どうなっているのか考えてみた。健康で動けた方がいいし、芸術家としてそれなりに評価されて、作品が売れて生きていたいと思う。その作品が自然を駆使してつくられていたら美しいと思う。

つい最近まではいつ死んでもいいと思っていたけれど、妻チフミより自分の方が長生きして、死ぬときは面倒をみたいと思うようになった。