いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

生きる つくる 働く。

ライフスタイルをつくりたかった。いまの社会に自分がこれだと思える働き方がなかった。会社で働いてみても何か違っていた。我慢できない自分が悪いとも考えてみた。でも怠けたい訳ではなかった。働くということの意味が分からなかった。だから自分に正直にやりたいことを自分にやらせてみることにした。

やりたいことは自分が死に直面してはじめて現れた。交通事故に遭って、当時の彼女の家に転がり込んでいて、親友が死んで、無職で住所もないような状態になって、どうにもならない状態になって、やっと自分のやりたいことと向き合うことができた。ぼくは表現したかった。ずっと幼いときからあった思いだった。それは知っていた。でも成長するうちに、周りの目を気にして、やらないうちにその思いはずっと心の奥に潜っていった。

ぼくの人生がはじまったのは28歳だった。それまではずっと眠っていた。眠りながら夢を貪っていた。でもその夢食いの時期は、いまの自分をつくるための土台になっている。無駄なことはない。

ぼくは本を書こうとしている。これは3冊目。正確には4冊目。こういうところにぼくの弱さが潜んでいる。こうやって損をしている。ぼくは1冊の傑作小説を書いた。本音はそう言いたいのに謙遜する。ここでは正直に書く。ところがほとんど世の中に理解されなかった。伝える努力もしなかった。結局、書くことが目的だったんだと思う。傑作だと言い切るのは、信頼できる数人がそう評価してくれたから。ぼくは、あの本を書いたから今がある。してきたことの価値は、それを続けているからこそ今見ることができる。

世の中に自分に適した職業がなかった。そもそもはミュージシャンになりたかった。それから漫画家、映画監督、画家。すぐに才能がないと思ってしまった。誰にも褒められないから。それはそうだ。何も歌ってなければカメラも回さず、ペンも握らないのだから。そうやって仮死状態になっていた夢は、死に近づいていく向こう側で鏡のようにすっと姿を現した。28歳で、自分の夢に向き合うことができた。ぼくは死に感謝する。死は悪ではない。死は生だ。恐れない。生きると死ぬは一体だ。どうして対極を遠ざけてしまうのか。男と女、昼と夜。貧と豊。物事を二つの極に分けることでは何もはじまらない。絵が下手だったとして、どうしてそれが絵を描かない理由になるのだろうか。走るのが遅かったとして、どうして走らない理由になるのだろうか。歌が下手だからといって、歌わない理由になるのだろうか。

この文章は、存在しない競争やゲームに巻き込まれて諦めてしまったぼくの友達に捧げたい。ぼくのようにやりたいことがあったのに誰かと比較して自分にやる理由がないと諦めてしまった君たちに贈りたい。なんのためにぼくたちは生きるのか。働くのか。そしてつくるのか。結論を先に言えば、答えなんてない。やらなければ何も知ることも見ることもできない。もし、したいことに自分が踏み出せば、今までとは違う景色が見えるようになる。それだけははっきりしている。仕事にならなくても、生き甲斐にはなる。だとしてその景色は、車窓から眺める景色のように映ろうばかりだ。でも自分で選んだ道を過ぎていく景色は美しい。ひとつひとつに答えはなくても、風が吹いたり雨が降ったり、まぶしい太陽に目をほそめたり、夜の星を眺めたりするのは、それだけで生きているという実感がある。自然は分け隔てなく誰のところにもその恵みを与えてくれる。

できるだけ自分が体験したこと考えたことを書きたい。伝聞や遠くに見える社会の輪郭を描くつもりはない。ぼくに見えている小さな世界を描写したい。その小さな世界こそひとりひとりが生きているリアルな世界だ。

ぼくは茨城県の山奥の廃墟を改修して家賃をゼロ円で生きている。妻と二人で絵を描いて、それを売って生活している。井戸から水を引き、火を焚いて薪風呂に入っている。少しの野菜を育てている。地域支援員という仕事を得て、朝から晩まで自分たちで考えた一日をつくり生活している。28歳から18年が経った46歳の今、ぼくはライフスタイルをつくって生きている。表現することを仕事とし、自分がやりたいと思う仕事をつくった。

すべての人がそうするべきとは思わない。けれども、自分がしていることをこうやって本にして記しておくことは、ぼくのような誰かの役に立つと信じている。いつだってそうだ。自分が自分を信じることからはじまる。そうやって自分の思いを伝えたとき、世界は少しだけぼくの味方になってくれる。生きるとは複雑さと単純さの狭間を泳いでいくようなことだ。

想像を創造に変える、表現するという仕事。

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東京の友人と久しぶりに交流した。
先輩は
「もうあの世界に突入しているんだよね。アニメとか漫画とか映画とかのSFのあの世界に。AKIRAとかガンダムとかナウシカのね。ノリオくんはどっち?もう気づいているよね?」
と話した。

楽家である先輩はコロナウィルスによって仕事がなくなった。元々、ミュージシャンとして知名度があったのでお金を貰う以外で音楽を作ることはなかった。しかしコロナによって仕事がなくなった。それでも先輩は、お金にならなくても音楽を作ることにした。それしかできることがないとはっきり分かった、そう話してくれた。

誰に頼まれることもなくつくる音楽は、予想もないオファーを受けることになった。つまり、作りたいものをつくった結果、それが何かしらかの形でお金を生んでいるという。それは想像を超えた世界で、先輩はこれまでにない自由な生き方を手に入れた。

「アフターコロナ、ウィズコロナは次の時代だよ。俺は以前よりずっとハッピーになった。目が覚めた。やっとアーティストになったんだ」と言った。

「持つ者と持たざる者に分かれているんだ。アンダーグランドはどんどん深く潜って、お金を持つ人はもっと高みを目指す。先月にクラブでイベントがあってさ、マスクをしていったら、満員の箱で誰もマスクもしないで汗びっしょりで踊っているんだよ。でマスクしている奴はみんなから白い目で見られて。慌てて外すんだ。お前はどっち側なんだ?って感じでさ、普通と真逆の世界がパラレルに存在しているんだ」

「ノリオくんは大丈夫だよ。ボブ・ディランの言葉だけどさ、朝起きて寝るまで好きなことをしていられる人間が成功者だよ。そう言ってるんだ。どう?大丈夫でしょ」

昨日、イベントで自分のことを講義した。企業に勤める人に現代アートを知ってもらう仕事だ。「生活をつくることがアートだ」というのがぼくの主張なのだけれど、妻は「アートじゃなくてもよくない?」と言う。アートじゃなくてもいい。ほんとうにそうだ。けれども自分の思いを伝えるとき、それが何なのか、立場を表明することで伝わりやすくなる。何よりアートを信じてアートを自分の仕事にしたことで、社会はありのままのぼくを受け入れてくれた。だから、ぼくはアートを入口にした世界の拡張を企んでいる。

確かに「生活をつくることがアート」はゴールじゃない。これは手段だ。講義のなかでこういう言葉が出てきた。

「ぼくがしていることは現代アートという文脈ではアートではないです。家を直したり、花や木を植えたり、畑をやったり水を手に入れたり。これは「生きる」という活動だと思うんです。もしアートが人生と何も関係がないのだとしたら、それはとても残念なことです。だとしても、目の前の現実を作り変えることをアートにしたいんです。絵や彫刻をつくるように自分の生活をつくる。ひとりひとりが理想の生活をつくるようになったとき、社会はずっと生きやすい場所になるんじゃないでしょうか。ぼくたちは今という時代の最先端を生きている。すべての人が時間の最前線にいる。常に未来を更新している。ぼくが想像する未来、君が想像する未来、どれもが最先端にある。過去と照らし合わせて未来を修正するなんて必要ないんです。むしろ、それぞれが想像する未来のためにいまを作り変えていくんです。それが想像を創造に変える表現するという仕事なんです」

この話をしてから、先輩みたないな話をしているなと思った。

街から自分の生活空間に戻って感じた。ぼくは想像の世界に生きている。空想した生活を描き、その空間に生きている。だとすれば、ぼくはその方法を伝えることができる。夢の中に生きる方法を。先輩の言葉を借りるなら、向こう側へ行く鍵はこれだ。

こうなったらいいとひとつの夢をイメージする。そのイメージに向かって日々コツコツと行動する。あるとき、その夢が現実になっていることに気が付く。注意するべきは夢はあっさり叶う。しかもジワジワと。だから夢と現実の転換点はない。好きだった人と一緒になるのも、やりたかった仕事に就くのも、住みたかった家に暮らすのも。どれも手に入った途端に現実になる。そこで止まってはいけない。現実に暮らしてはいけない。お金のために留まってはいけない。夢をお金と交換したら現実に繋ぎ止められてしまう。あらゆるオファーの先へと進む。誰にも頼まれない自分のイメージに従って生きる世界へと。現実に飲み込まれる前にまた次の夢を見る。そうやって夢から夢へと旅を続ければ、あの世界に生きることができる。

これが正しいとか、そうするべきという話でもない。いくつもある世界のひとつ。夢の世界は多ければ多いほど自由になれる。選ぶのは自分だ。

生活芸術というライフスタイル。

生活をつくるアートという理想を描いて実践してきた。ここ数年は「生活芸術家です」と名乗っている。最近はどんなことをしていますか、と質問されれば「イメージしたことを白いカンヴァスに描くように理想の暮らしを作っています。つまり、現実を制作するというアート活動をしています。具体的には景観を作っています。大きな庭のようなランドスケープアートをつくっています」と答えている。

芸術とは問いだ。何が芸術なのか問いかけ、それに対する答えを表現する。ぼくは生活を美しくすることが芸術だと答える。油絵を追求するひと、日本画、彫刻、ダンス、映画、形態はなんでもよくて、答えは一発で正解が出るようなものではなく答えを提出し続ける。人生というものに完成がないように芸術にも完成はないから、人が死んで終わるように芸術も死ぬその時まで答えを出し続けることになる。だから生きるための芸術とは死ぬまでの芸術でもある。常に通過地点。

生活をつくる芸術は社会彫刻だ。ヨーゼフボイスが唱えたコンセプト「社会彫刻」は具体的になんだったのかよく分からないけれど、この言葉をヒントに導きだれたイメージがあった。もし、ひとりひとりの人生を芸術作品のように作ることが出来るなら。まずは表現に長けている芸術家が実践したらいい。例えば、芸術表現がそれぞれのフォーマット上でのみ完結しているだけなら、それは社会に与える影響は少ない。日本画のための日本画。油絵のための油絵。木彫のための木彫。もちろんその道の成功者として突破する可能性はある。それでは競争原理が働き脱落者は実践できなくなってしまう。そういう芸術ではなく、誰もが参加できるやり方が必要だ。

だからこう考えた。作家の生き方と芸術表現の間に何らかの影響関係があるのだとするなら、それは社会を変える可能性がある。なぜなら、植物が大地から養分をすいあげ芽を出し成長するように、作家もその時代の社会からイメージをくみ取り表現している。だとすれば、その作家が置かれている環境自体が作品の土壌になる。生活芸術とはその土壌を改良したり改善して作品を生み出そうとする態度のことだ。作品が生み出される生活環境と作品のサステナビリティを構築する。それは社会という大きなスケールではなく、自分の周りの小さな世界を作り変える活動のことで、今いる場所の環境を変えていくことになる。だから日々の芸術、即ち生活の芸術であり、生活をつくることは誰にでもできるから、すべての人が芸術家になる。

ぼくは妻と二人で作品を制作する。ひとりではなく二人。最小限のコミュニティーに発現するクリエイティブであり、家族というユニットが目の前の現実を変えていく表現活動でもある。だから妄想や空想ではなく、ぼくら夫婦はライフスタイルをつくりながら社会を彫刻する。生き方の可能性を開拓する。二人は抽象的なイメージを言葉以上の何かでコミュニケーションして創作する。

生活の芸術は、経済の流れを変える。一日の選択の積み重ねが生活をつくる。もし、このシンプルな原則に即して行動するなら、ぼくらは社会を彫刻する。何をして何をしないのか。絵を描くときに色を選択すように一日の行動を選択していく。慎重に大胆に。ときに社会に参加し、ときに社会に抵抗し、ときに社会を応援し、ときに社会に奉仕する。社会は白いカンヴァス。社会に利用される前に社会を利用する。そういう立ち位置に自分をロケーションする。これは社会との闘い方だ。どのように間合いを取れば殺されないのか。どのような距離で接すれば生かされるのか。もしくは利用できるのか。

2013年から積み上げてきたライフスタイルの選択が、いま暮らしている環境に結実しようとしている。茨城県北茨城市というまちに理解され受け入れられ、ぼくらは保護されるようにこの土地に自生しはじめている。

廃墟を廃材で改修した家に暮らしている。家賃はゼロ。水は井戸。家のまわりに畑をつくった。畑の見回りをする。ブルーベリーの実がなった。桃の木に実がなった。さくらんぼの木は枯れた。春には山菜が芽吹く。毎日、井戸水の薪風呂に入る。冬は薪ストーブ。おかけで木が集まってくる。薪割をする。トイレはコンポスト。バケツにうんこをする。腐葉土を入れて発酵させる。失敗もある。けれども妻と二人で工夫する暮らしは誰にも迷惑を掛けない。自分の身体を動かして生活環境をつくる。汗を流して働く。余計なお金の出費を減らし、お金を増やすための労働に走らず、生きるために必要な労働にシフトさせ、その代わりに手入る時間でアート作品を制作する。

お金を否定しているわけじゃない。お金に振り回されない、依存しないやり方を模索している。今の社会の中心には貨幣経済がある。自分のためではなく社会に何かを働き掛けたいとき、共通の価値である貨幣が便利に使える。貨幣というチカラを何に投資するのか。自分のお金の使い方が社会を動かしている。

ぼくは作品をつくり販売する。その作品がどのような素材で作られたか。ぼくはどんな環境に生きているのか。作品を通じて伝わる物語が価値となりお金に換算される。ぼくはそのお金を生きるためにアート活動を続けるために投資する。作品をつくる。作品を売る。そのお金で作品を生み出す環境を整える。この循環ができつつある。2013年に夢見た理想の生活は7年後に現実となる。信じること。自分が自分を信じなければ、ほかの誰もその夢を信じることはない。

ぼくは生活をつくっている。ぼくは妻とアート作品をつくっている。これを続けていく。ひとときの快楽や幻想ではなく、この喜びが日常であってほしい。日常が芸術になれば芸術は日々の暮らしそのものになる。どこにも消えてなくならない。

やろう!と思ったことをやる。
それだけで人生をつくることができる。

働くとは「ハタヲラクニスル」

朝6時に起きて海に行った。サーフィンができると期待したけれど波がなかった。

毎日が過ぎていく。過ぎていく時間の中、やりたいことに没頭して生きている。こういう風に生きたかった。

 

コロナウィルスの緊急事態宣言が解除されて、世の中が動き出したのか、いくつかの仕事と友達からの連絡があった。

仕事をしないと生きていけない。お金を稼がないと生きていけない。そうなのかもしれないけれど、作品を作って生きることのずっと向こうには、依頼される仕事ではなく、自らが生活のサイクルの中で、誰に依頼されることもない品を生み出すことで、生き延びていく、というヴィジョンがある。

でも現実的には、社会に参加するとは「ハタヲラクニスル」で、つまり周りの誰かのために働いて助けることだと思う。いつも理想と現実にはギャップがある。その狭間にクリエイティブが働く。

 

建築系の雑誌から原稿依頼が来た。文章を書くのか好きで、こうやってしていることが仕事になるのだから、嬉しい知らせだった。

 

あまり見てないInstagramに友達からメッセージで「家を改修できるようになりたいんだけど、どうやったらいい?」と質問がきた。

思い出したのは、自分がそもそも空き家に暮らすようになったきっかけのことだった。

空き家を改修するのは家賃をできる限り安くするための作戦だった。時間は24時間、1週間は7日、それが約4回巡って1カ月、1年、ぼくらはその周期に生きている。その限られた時間をどれだけ住居のために消耗しているのか。家賃が安くなれば、もっと生きやすい、そう考えた。

その取り組みが誰かの役に立てばいい、と本「漂流夫婦、空き家暮らしで野生に帰る」を出版した。

 

いま友達からの質問のおかげでアイディアが浮かんだ。空き家を改修して家賃を下げて生き延びることにフォーカスした本を書ける。タイトルは「生き延びための家-Survival for living」もっと実用書としてのテキストを。

 

「ハタヲラクニスル」を生きるための技術にカウントしよう。久しぶりに発見した。次は生きるための技術をナンバリングしよう。ああ、これを綴じればまた本なる。

 

誰かのためにする仕事の傍らに誰にも頼まれない路傍の岩のような品を添えていく。それがきっとアートという仕事だ。自らが放つモチベーションによって存在している、その自立性にアートが宿る。

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今していることがすべて

引越しのために本を整理しながらページを捲った。何度か読んだもの、目を通しただけのもの、買ったけれど読んでないもの、いろいろある。7年前に旅に出るために大量の本を処分して、一旦は3冊だけになった。それからまた増えて本が集まっている。

本は読むために買う。「欲しい」という感情が働くからモノを買う。この「欲しい」という感情に注目している。その感情に生かされているから。自分が欲しいモノを買う。誰かが欲しいモノを売る。この売買によって人はモノを交換し、貨幣を介して経済活動をする。

 

ぼくは妻と二人で芸術家を名乗り、作品を製作し、展示して、販売して生計を立てている。その意味で、一次産業だと思っている。野菜を作って売ることや魚を捕って売ることに共感している。

野菜や魚と違うのは「作品」と呼ばれるモノは作られた品で、こうでなければならないという定式はない。なんであれ「欲しい」という感情を働かせることができれば、それは価値を持って貨幣と交換することができる。だから売れるモノを作ればそれでいいとも思う。けれども、それでは納得できない自分がいるのと、売れるモノを作ろうとしても売れないこともあるから、売るためだけにモノを作ることに真っ直ぐ突き進む気にもなれない。

その煮え切らない態度のおかげで、売るという目的とは別の道を探究する哲学が生まれる。「道」とは、自分が選んで開拓する行き先のことで、哲学というのは、その道について思考することで、道について思考することが自分の人生にも反映され、その道を照らす地図を描き出している。

もっとシンプルに伝えることができるのなら、何のために作品をつくっているのか、そのことを作品に語らせたい。作品が語れるようになるために自分を駆使する。今はその過程にいて、検討しながら地図を書いては消して、迷いながら生きている。きっと野菜を育てるにしても、魚を捕るにしても、それぞれの創意工夫があるのだと思う。

だから本を読む。集まっている本は、自分の関心興味の集合体でもある。

 

そんな手元に集まってきた本のページをめくりながら、ああ、こんなことをしたかったんだな、と再確認した。それは文章を書いて、レイアウトデザインして本として綴じることや、彫刻としてオブジェをつくること、日常の景色を絵に変換すること、絵画、彫刻、本、この3点が、やりたいことだった、そう再確認できた。ぼくは学校に通って技術を習得してきた訳じゃないから、日々の生活の中から、それらの道を開拓していく技術を見出すようになった。家を直すことは、木工の技術であり、それは額づくりや彫刻へと通じている。

畑をやって土を触ることや、最近やった炭窯づくりは土を素材にするためのエクササイズになっている。景観をつくることは、自分の身の回りの景色を観察することになる。それはやがて絵に仕立てあげられる。

 

そうやって、自分でも捉えきれない規模で、それぞれの表現を追求していくと、それぞれの道が繋がったり、また離れたりして見える世界が変わっていく。過程では道に迷うようなこともある。それでも、よりよいモノをつくりたい、という欲求が軸になって人生を動かしている。その「よりよいモノ」とは何かと言えば、よりよい生活から生まれる、と信じている。これは、自分で編み出した信仰でもある。

それは、作品がどうやって出来上がっているのか、どんな素材をどうやって手に入れ、その素材はやがてどうなるのか。

ゴーギャンの「われわれはどこからやってきて、どこへいくのか」という作品タイトルに対して作品で答える試みでもある。作品は生活に一致する。

 

休耕田の湧水が、池になって、そこに蓮を植えて、そこに鴨がやって来るようになった。畦には菖蒲を植えて、土手には桜の木を植える。

この小さな景観、自然が織り成す環境のなかに作品の種がある。池、蓮、桜、花、鴨、ぼくら夫婦は、それらをあらゆるやり方を検討しながら作品としてカタチにしていく。

ぼくたちは夫婦で作品をつくるから、そんなに多くは作れないかもしれない。けれども、妻と二人、夫婦になったからチカラを合わせてこの人生を進んでいく。ひとりでは、大きなチカラを持っていなくても、小さなチカラを掛け合わせることで、想像も及ばなかったような表現ができるようになる。これが夫婦という社会の最小単位だからこそ可能になるある種の奇跡だ。

 

ぼくたちのしていることが、これから何かしようとしている人のヒントになればいいと思う。

そして少しずつ書き貯めている文章はやがて本になる。この循環が季節のように巡りぼくは生きていく。それができるまで道は続く。ゴールは完成じゃない。ゴールに向かっているこの瞬間、ここにこそ人生がある。過去にも未来にも遠くにもない。今ここにすべてがある。

 

 

 

失われた道を求めてー世界を拡張する眼差し

夏の気配が近付いてきて、気温が30度にもなると海に行きたくなる。妻チフミが察して

「海早く行きなよ」

と言った。

解放された。何か好きなことに夢中になることに罪悪感がある。お金に結びつかないことは無駄だと考えてしまう癖がある。ほんとうにそうだろうか。

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クルマにサーフボードを積んで海を目指す。20分ほど。到着すると、波はどうだろうか、ほかに人はいるか、と気になって、空と海が目の前に広がって、期待と喜びが溢れてくる。北茨城市の長浜海岸が好きで、この場所を独占するのが密かな願いだけれど、先客の釣り人かサーファーが海に入っていれば、ささやかな夢は打ち砕かれる。と言ってもたいした問題じゃない。

この日は幸い誰もいなくて、初心者向きの小さな波だった。水平線からやってくる波のウネリを見て、波が立つところにサーフボードをパドリングして漕いで、タイミングを合わせて、うまく波に乗れば立ち上がる。よっぽど上手くいけば、少し波に乗れる。

これぐらい初心者な訳だけれど、海に何時間も入って遊べるのが幸せで、前世は海洋民族だったんじゃないかと思っている。6月の頭なのに夏のような気候で、ウェットスーツを着ないで短パンで誰もいない海に入っている。なんて最高なんだろう。

夢中で波を追いかけて失敗して、また追ってたまに乗ってを繰り返して、波に乗る瞬間は数秒の出来事なのだけれど、この瞬間にたくさんの動作と思考と反応が連鎖して波乗りをしている。

 

芸術家を名乗って絵を描くことを仕事にしている。でも、絵を描くことだけが芸術ではないと考えていて、その考えを表現するために文章を書いている。目的とは違うところから生まれてくる感情やアイディアが大切だと思っていて、ある種のエラーのような、別の回路から間違って直結するような閃きのために文章を書いている。自分のサイエンスがここにある。

いろんなことをやってみては、回路を混線させて、既存の芸術という概念をショートさせて、芸術という現象をその源流まで遡って役割を問い直したい。だからぼくのしていることは何らかの間違いでもある。

 

今は地域資源の開拓に取り組んでいて「景観をつくる」というコンセプトで、大地に働きかける作品を作っている。いわゆる限界集落と呼ばれる観光資源もない人口も過疎化が進む、何もない場所の資源を開拓している。何もないところを開拓するとは禅問答のようだけれど、何もないと言っても無じゃないし、ゼロでも真っ白でも真っ黒でもない。

地方に対して「何もない」と言い切れてしまう目線が面白い。ぼくにはこの「何もない」ところにこそ必要なすべてが揃っているように思える。確かにビルもコンビニもお店もない。けれども水、太陽、土、火、植物、木、鳥、星、空、空気が揃っている。この神話レベルのエレメントを前にして、それでも何もないと言えるのだろうか。

この地域の情報はインターネットにも書籍にもない。そもそも記録されたことがない。だから、地域の人の話が情報源となる。

お年寄りの会話の端々に登場した「山の向こうの鉱泉」というワードが気になっていた。かつて山に入って鉱泉を沸かして入浴したらしい。どこにあるのか聞いても、あっちの方とか山の裏程度にしか教えてもらえなかった。

別の話のときに山の裏へと続く道があると聞いて「これだ」と一致した。山の向こうの鉱泉と山の裏の道が頭からの中で繋がった。さっそく、山の反対側に向かってみることにした。

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小さな山だから直線で頂上を目指した。ところが頂上らしきところから反対側を覗いてみると、谷になっていて、森の中へと迷い込みそうだった。携帯電話を取り出してグッーグルマップを開くと現在地が分かった。航空写真に切り替えると山の地形が分かった。地図を頼りに引き返して、遠まわりだけれど、山道を歩いて反対側にあるらしい鉱泉を目指した。

どれくらい前まで使われていた道だか分からないけれど、確かに人が歩く道だった。人の気配は消えて、鬱蒼とした木々と草が茂っている。しばらく歩くと、水の流れる音が聞こえた。その先に木の間から沼のような池が見えた。近づいて触ってみたけれど、これが鉱泉なのか判断できなかった。

誰も足を踏み入れなくなった山の裏側は自然の宝庫だった。人間のしたことより自然が勝っていて何も邪魔もなく自然が溢れている。ここは野生の空間だった。この野生のなかを歩いていくと、かつて開拓された痕跡に出会う。鬱蒼とした木々が伐採され、空がぱっと広がり、不自然な土地が裸のように露わになっている。その不自然さに色気を感じた。自然が裸にされている。

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絵にしようと閃いた。裸の自然。数十分その光景と空気を味わって、さらに進んだ。地面は湿地になっていて丸太を転がして橋にしてある。かつてはもっと利用されていたに違いない。さらに進むと藪だらけになって、道が見えなくなった。その奥には、壊れた標識が倒れていて「阿武隈線38号へ」と書いてあった。これ以上進むと、長くなりそうだったので引き返すことにした。


帰り道に思った。人間は世界を縮小させている。人間の活動範囲はどんどん小さくなっている。「役に立つ/立たない」という人間の一方的な価値基準は目を塞いでしまう。

誰も来ない限界集落の山裏の山道なんかに何の価値もないだろう。けれども「もっといい場所がある」と優劣をつけることで、目の前のことは切り捨てられていく。それは自分自身の可能性を切り捨てることでもある。目の前に広がる世界に対する価値判断は、そのまま自分にも向けられてしまう。

「走るのが遅いから走らない」のは、競争するから生じる理屈で、自分の健康のためや楽しみのためであれば、遅いことは、やらない理由にならない。

サーフィンもそうだ。たくさんやる人がいて、自分が下手だったら、恥ずかしいし周りに迷惑だからやる気がしなくなる。けれども誰もいなくて、ただ海と戯れるだけなら、何度でも失敗していられるなら、もうその失敗は失敗じゃなくて、その失敗自体がサーフィンになる。

意味や利益や目的を求め過ぎて、世界を限定している。ぼくらは自ら目隠しした世界に閉じ篭っている。目を塞いでこの閉ざされた世界を生きるうちに、ぼくらは愛を失っている。「愛」なんて言葉はほとんどこの社会に流通してないんじゃないだろうか。もし愛があるなら、それは価値や役に立つとか、そういった利害とは関係のないところにある無償のもののはずだ。

一体、どこまで歴史を遡れば、楽園があったのか考える。聖書にエデンがある。そんな遥かむかしに失ってしまったのか。いや、優劣をつけなければ、ありのままを受け入れることができれば、この今も楽園に生きることができる。

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社会は競争させ優劣を決める。価値判断のために。人間すら優劣で測られる。そうじゃない。生まれたことに価値があって、その価値をみんなで祝福し支え合うのが理想の人間社会じゃないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

芸術鑑賞を行動に変えて世の中を変えるために

音楽好きとしては、いまアメリカで起きている暴動がなぜ起きているのか、それを知らない訳でもなく、それでも自分は日本人で当事者ではないから、関係がないのだろうか、と考えるけれど、まったく関係がないはずもなく、その問いをもう少し掘り下げるために、友達がオススメしている映画を観た。ひとつは2013年に公開された「それでも夜は明ける」。(アマゾンプライムで観れます)

1850年ころにワシントンD.C.で誘拐され南部で奴隷となったなった黒人の物語。(詳細はぜひ観てほしいので割愛)

 

もうひとつは、昨日の夜「13th-憲法修正第13条」を。(Netflixで観れます)

アメリカで100年前に奴隷制度が廃止されたときから、実は、黒人が悪いというパブリックイメージをつくり、犯罪者に仕立て上げて、そのパブリックイメージは度々、政治のプロパガンダに利用され、政治家は法の下に生活の安全を約束し、そのためには犯罪者を厳しく取り締まるべきだ、とメッセージし支持を集める。

人々は「そうだ!安全に暮らしたい」と考え、その安全の敵が黒人だと誘導されてしまう。それは今現在も続いていて、法の下では人は平等だけれども、犯罪者には平等が適応されない、それが13条の修正。そうやって抜け道をつくり、奴隷制度はなくなっても、黒人を刑務所に服役させ労働者して使役させている。また刑務所が巨大な産業になっていて、犯罪者の数が増えるほど利益が出る構造となっていて、その利権を止めることもできないと言う。アメリカの黒人の三人にひとりが逮捕されている。対して白人は17人にひとり。すごい。何がすごいって、社会の歪みもうそだけれど、こうして一本の糸で紐解くことができることもすごい。そこまでアメリカは成熟しているのか、もしくはそこまで腐敗が行き届いてしまっているのか。

 

これはアメリカだけの問題じゃない。資本主義を軸とした社会構造の歪みであり、社会構造のデザインが壊れているから、修正することができない。正しさの答えがないから、社会はその時代ごとの都合によって改悪され、その過ちが積み重なって歴史となっていく。

ぼくたちは、たくさんの過ちの延長線に立っている。その危うい橋の建築を引き継ぎたくない。できるなら、もっと違う未来を創造したいと思う。

 

この話を友達にしたら、歴史好きの彼はこう言った。

アメリカには黒人の差別問題という明確なポイントがある。じゃあ、日本人だったらどうだろう? ぼくたちの社会も問題だらけだ。けれども、これが原因ですとか、これが問題だって焦点を絞ることができない。それは、ぼくたちが歴史を知らないからなんだ。アメリカの黒人は、ずっと声を上げてきた。ときにそれは音楽として、本や詩として、さらには社会運動として表現されてきた。この問題と闘う人たちは、その問題がどこからやってきたのかそのルーツを知っている。だから正義を訴えることができる。ぼくたちがもし社会に対して声を上げるには、ルーツを知り、間違っているところまで立ち返る必要があるんだよ」

 

日本には、アメリカの黒人問題ほどはっきりした糸が見えない。日本はいま、どうなんだろうか。暮らしやすいのだろうか。生きていきやすい国なのだろうか。問題はどこにあるのだろうか。

 

家にプロジェクターがあって、絵を描くキャンバス があるので、夜の映画館と名付けて妻チフミと映画を観た。前の二作とは変わって、政治的ではないものをと考えて「タクシー運転手-約束は海を越えて」を観た。

内容をよく知らないまま、雰囲気で選んでしまって、これもまた政治に関するまさかの衝撃的な映画だった。80年代の韓国で政権の暴力によって市民が弾圧される話だった。この映画もぜひ観て欲しい。(アマゾンプライムで観れる)

 

この映画が話題になっているのは、今の時代が、そこまで狂いつつあるのだと感じる。多くの人が社会の構造に危機を感じているのだと思う。どうして、社会はそこまで暴走してしまうのか。

 

このあまりに巨大な問題は、国家という前時代的な制度の限界を露呈している。ぼくらは「国家」とは何か、改めて問わなければならない。そして、もし国家に対していま何かアクションを起こすことができるなら、それは距離を取ることだと思う。国家の暴力に飲み込まれない間合いをみつけることだ。

 

ぼくは生活をつくることを芸術活動としてやってきた。それは、社会の中に一時的な自立空間をつくる活動でもある。依存を減らして、それがなくても最低限生きていけるセイフティーゾーンを構築すること。

 

例えば

1)家賃を安くする。できるならゼロ円に。

なぜ?家賃を支払うのか?土地は誰のものか?なぜ都市の土地は高騰するのか。そために生涯働き続ける必要があるのか?

2)都市と距離を取る。

都市は、貨幣経済を循環させるためにデザインされている。いかに価値を生み出すかに特化している。都市から離れるほどに家賃は安くなり土地の価値も低下する。この両極を利用して経済的な負担を軽減する。

3)生産が消費を上回ること。

作っているか?自らの手で作ることは生産。何も作らないで手に入れることは消費。消費をするには貨幣が必要になる。生産できるなら、貨幣への依存はずっと減る。このバランスをコントロールすれば社会からの自立に近づく。自給自足まで極論しなくても、消費をやめて生産に転換する。あれも欲しいこれも欲しいと感じるのは、社会の広告戦略に嵌められているだけ。必要なものはそれほどない。

 

ぼくたちが何も行動せず、現状にしがみつき続けるならば、社会の構造は変わらない。それでいいのだろうか。いや、子供たちの未来に少しでもマシな社会を残したい。ぼくたちが、少しずつ理想とする生活にシフトしていけば、社会もまた変わっていく。ほんとうに単純なことでしかない。

 

日本は、そもそも自然環境に恵まれていた。寒い冬を越えるノウハウも充分あった。自然を最大限に利用して生きる智恵があった。そう遠くないむかしまで、農村では貨幣に頼らずとも暮らせる環境があった。いまならまだ取り戻せる。そこにレイドバックすることではなく、捨ててきた日本の生活文化をいまの暮らしにミックスすることで、ぼくたちは、ぼくたちのルーツに立ち返ることができる。


追記

まだまだ書くべきことや、一方的な主張もあるけれど、世界で起きているこの現状に対して行動するなら、まずは目の前を変えることだ。