
札幌にフェリーで来た。大洗港から苫小牧港まで18時間。妻と犬と。3年前から取り組んでいる札幌南区、龍神の水エリアの改修だ。去年は拝殿の壁を張ったり、木を伐採して柱にした。依頼主のオーナーのパワーもあって少しずつカタチになっている。
今シーズン開幕というところ。水汲み場の改修と、拝殿の土間が課題になっている。旅と仕事と制作が一体化していて、つまり滞在制作なのだけど、ギャラリーや美術館やアートイベントとは関係なく、野良芸術仕事だ。ぼくら夫婦にディレクションを任せてくれ、コツコツと景観を作らせてくれる。やがて代表作になったらいいなと思う。

オーナーは飲食関係の社長だから、現在の社会状況の影響で打撃が大きい。物価高騰、食料全般の高騰。改修工事を業者に依頼するとかなり高額な見積もりになる。材料も高ければ人件費も高い。お金を取らなければ働けない。それも当然だ。そんな時代だ。
ぼくら夫婦は、山のなかに暮らし、それほどお金のかからない生活を作った。お金がなくても、好きなことに没頭できるように。とくにお手本になったのは、登山家の山野井夫婦だった。山から山へと挑戦するために、生活コストを削って時間を作り出していた。野菜も自分たちで育てている。彼らの人生には山に登るという目標が常にある。ぼくらの人生にも、モノをつくる、という目標が常にある。
仕事と呼ばれるものにも様々な側面がある。ひとつではなくて、食べ物をつくる仕事、お金になる仕事、誰かを助ける仕事、自分に投資する仕事、自分の環境をつくる仕事、好きでやってる仕事、好きなことを続けるための仕事。自分のなかで、いくつもの仕事が組み合わさってぼくらを生かしてくれる。
自営業とは、生きるために必要な仕事自体を創作している。依頼だったとしても、意味や目的をこっそりすり替える。でも目的は一致するように。つまり仕事のカスタムメイドや改造。
お金を払うからやって欲しいと言われても断ることができる。なぜなら、誰にも頼まれない空白の時間こそ、アート作品が生まれてくる。ぼくの場合、今のところ。お金のために仕事をしなくても、自分の時間を創作に充てれば、作品が生まれ、それを売ることができる。その作品が売れなかったとしても、その経験がぼく自身をつくる。

AIに文章を書かせる人が増えているらしい。面白い警告記事を読んだ。AIに文章を書かせるには、オーダーの仕方が鍵になる。その鍵はキーワードの組み合わせだったりするのだが、それをAIに学ばされている、という。AIに喰わせるキーワードを作らされて、AIが吐き出す文章を読まされる。その作業の過程で何を失っているか。それが分かるだろうか。この恐ろしさ。
創造するニーズは、最適解を出すことではなく、エラーや失敗のなか、あり得ない組み合わせに意味や価値を発見することにある。ほとんどノイズに近い雑音から新しいハーモニーを発見するような。
つまりなぜそれをしているのか、分からないけれど、それを選択しているようなこと、そこに必然や運命すら感じるようなこと、そうした感覚は、文章を書くという作業のなかにも宿る。
もちろんこの感覚は正解ではない。だとして、この道が行き止まりでもない。だからぼくは進んでみる。たからぼくは、この旅をレポートする。もしかしたら、幸せや気持ちよい生き方だったと報告できるかもしれないから。