いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

生活芸術制作日記2021.4.18

地域の行事で、いはらい(江払い)があった。朝の7時から、水が流れる側溝の掃除だ。この地域では、田んぼがあったので、その水路も掃除する。これがなかなかハードな仕事だった。それだけにやり甲斐もあった。歩いたことのない水路沿いを歩いて、新しいエリアを開拓できた。水路が詰まって水が溢れて湿地になっていた。落ち葉を取り除いたから、湿地は消えてしまうのだろうか。

水路の難所はカープだ。大量の枝と落ち葉が堰止めして、水は溢れて滝になっていた。枝と落ち葉を取り除いて先に進んでの繰り返し。

最終地点は、これまでの枝と落ち葉が行き着いて、溜まって天然のダムになっていた。股下まで水に浸かって、枝と落ち葉を取り出す作業。

60代の先輩たちに教えてもらいながら、50代と40代が戦力になる。この地域で、自分が一番若い。きっと社会でも40代は働き盛りなんだろう。

地域には12世帯しかなくて、直接話す機会がない人もいる。こうした行事のおかげで交流できた。人は顔を合わせて話すことが大事だと思う。

いはらい(江払い)の最期に、水利組合の会長さんから挨拶があった。

「ついにこの水路を使って田んぼをやる人がいなくなってしまいました。けれども、水路を詰まらせる訳にはいかないので、引き続き毎年掃除は継続しますので、みなさんよろしくお願い致します」

また閃いてしまった。いや前から考えていた。水路を使って小水力発電をやれないだろうか。この地域では、電気が普及する以前から、タービンを大阪から買ってきて、発電した歴史がある。大正時代のことだ。ここにあるものを復活させるシリーズとしては、かなり適切かもしれない。隣の集落では、水力発電をやっている人もいる。

何事もそうだけれど、オオゴトにしないで、自分の手の届く範囲で、水力発電できるならやってみたい。