いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

生活の中の小さな活動/一日の積み重ね。

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生活の中の小さな活動に焦点を当ててみたい。「自らの小さなことの偉大さを気づかないものは、すべての小さな偉大さを見逃してしまう」と明治時代のアートプロデューサー岡倉天心が書いている。自分にとっての小さなこととは、日々の些細な出来事だと思う。その石ころのような出来事を拾って観察すれば、自分にしか発見できない大切な人生の糸口がみつかる。

冬になって生活にリズムができてきた。夜は9時には寝て、朝5時ころ起きる。

目が覚めて、コーヒーを淹れてパンを食べる。

5時30ころから作品集の文章を書く。現時点で2冊の本を出版していて、3冊目は、発酵中(時間を置くことで俯瞰して読むことができる)で、4冊目が作品集。本が好きだから勝手に檻之汰鷲全集「生きるための芸術シリーズ」を作り続けている。

8時:ブログを書いた。

9時:1km走って、ストレッチ筋トレをした。

10時:壊れた炭窯のなかにある炭と土を出して炭窯づくり再開の準備をした。炭窯づくりは炭をつくって売ることよりも、炭づくりという活動がどういうモノなのか。それを知るためにやっている。薪ストーブと薪風呂で生活をしているので焚き木が必要になる。周囲の木が燃料になる。環境整備で伐採した木を有効活用できる。でなければ、廃棄物として有料で処分することになる。身の回りのモノを利用することは、循環のサイクルが円環に閉じるのではなく、スパイラル状に連鎖していくイメージがある。炭窯をやることも環境に対して何かの発見に繋がるような気がしている。

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12時:妻チフミが朝につくったおにぎりとポテトサラダを食べた。ネットのニュースで人間のミクロな細胞の構成要素と宇宙のマクロな構成要素が、ほぼ同じ絵になるという記事を読んだ。昨日、友達の子供が遊びにきて、鬼滅の刃のキャラクター禰津子の絵を描いたとき、その着物の模様の麻の葉柄がちゃんと描けなくて、抽象的になった絵がミクロな細胞とマクロな宇宙の構成要素とほぼ同じだった。偶然の一致。ところがその絵は、妹に奪われて、姉妹でケンカになって、仲裁に入った母に燃やされるという結末だった。

13時:炭窯用の薪づくりをした。伐採した木をチェンソーで切って、斧で割っていく。それの繰り返し。この薪づくりは骨の折れる仕事で、単純作業だけれど、これを80歳までやれたら超人だと思って、それを目標にしている。スポーツジムに行くつもりでやっている。

15時:木工やチェンソーアートをやる平さん(76)が遊びに来る。ぼくの仕事は、芸術家兼集落支援員だから、まあまあ訪問者がいる。この限界集落に魅力を感じて遊びに来てくれる人たちは大切な理解者だ。平さんは炭窯づくりにも参加しているし、耕作放棄地にコツコツと果樹園をつくっている。平さんは会話のなかで「嘘も本当も分からない時代だよ」と何度も言葉にした。

16時:平さんが帰って少し早いけれど風呂を沸かすことにした。薪風呂だから木に火をつけてお風呂を焚く。

17時:風呂から出ると澄子さん(80)が遊びに来た。ぼくたち夫婦に暮らす土地を与えてくれ、畑で野菜などつくって提供してくれてる母のような存在。ほぼ毎日夕方訪れる。澄子さんが持ってきてくれたまぐろの刺身を夕飯にした。

20時:澄子さんが帰宅して、21時に寝た。

昨日はこんな一日だった。妻チフミは23時ころまで絵を描いたらしい。生活をするなかに作品づくりを織り込んでいく。今日という一日のなかにしたこと、その繰り返しが成果になる。この数カ月は文章を書くことに取り組んでいる。そろそろ絵や立体作品も制作したい。今日も朝5時に起きて、作品集の文章を書いて初稿ができた。次はページをレイアウトしてデザイン作業になる。この後、ストレッチして一日が始まる。朝8時。