いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

新しい日 - A day new rising

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目覚ましを6時にセットして、予定通りに朝起きた。チフミが作ったブルーベリージャムでパンを食べコーヒーを飲んでウェットスーツを着て、車で出かけた。スーツはウェットなので向かう先は海だ。今日はどんな波だろうと楽しみに海に出ると、あまり波はなかった。ぼくはサーフィンが出来るとは言えないので、波はそれほど重要でもない。海で遊ぶのが楽しいからやっている。

海には先客がいて、浜を掃除してゴミを燃やすお爺さん。名前は知らない。お爺さんは、平潟港の海に面したところに家があって、震災で津波に飲まれた。今は復興住宅に暮らしている。仕事が嫌いで、仕事から仕事へと転々として生きてきた。そう話してくれた。お爺さんのお父さんは漁師で、魚を捕るのが上手だった。お爺さんは、魚は食べるのは好きだけど、働くのは嫌だった。そういえば、ぼくのお父さんの家も漁師だった。だからぼくは、海が好きなのかも知れない。お父さんは、漁師が嫌で家業を継がなかった。ぼくは海の仕事とは関係ない生き方をしてきたのに、海の近くに住んでカヌーを漕いで魚を釣ろうとしている。ないものがみんな欲しい。

お爺さんは「今日は波ないけどせっかく来たんだからやっていきなよ」
と海の主のようなことを言う。

波はあまりない。たまに来る波に乗ろうとする。たまに来る波は15分に3発ぐらい連続でやってくる。その前に小さな波が2回ぐらいある。そのリズムが分かって、たまに来る波が嬉しくて、先走って小さな波に乗ってしまう。結局、大きな波に乗れないまま体力を消耗する。

家に帰ってチフミに今日の波の話しをしたら「まるで人生みたいだね。上手くいかないのねえ」と笑った。そんな話しができるから海に行くのが楽しくなる。

毎日、アトリエにしている古民家に通っている。アトリエの近くに畑を借りている。畑にはひとつも収穫できなかったトマトと、花が咲いているナスと、落花生、モロヘイヤが植わっている。チフミは、モロヘイヤの葉っぱを取って食材にして料理してくれる。

畑は少しずつ良くなっている。失敗をして、それが間違いだと分かって改善している。この地域には畑がいっぱい空いている。食べ物がなかったら死んでしまうけど、すべての人間が食べ物を生産している訳じゃない。大地がなければ人間は死んでしまうけれど、すべての人が大地に関心を持っている訳じゃない。


日本はこれだけ豊かな土壌がありながら、食料の多くを輸入に頼っている。実際、畑をやってみると簡単ではないから、まあ、仕方ないかとも思う。野菜は、かなり丁寧に扱わないと実らない。デリケートだしセレブだ。土を耕してフカフカにして機嫌を損ねないようにエスコートしないといけない。自然のものたがら放っておけば、芽が出て実るかと思いきや、全くそんなことはない。人間は苦労した方がいいと言うけれど、実は快適な環境でのびのびと過ごした方がいいんじゃないかと思ってきた。野菜だって、そいう環境じゃなきゃ美味しくならないのだから。苦労して我慢している日々には何があるのだろう。

午前中は、新しい絵のスケッチをした。この時間のためにすべてがある。そのために余計なことをたくさんしている。改めてそう思う。最近は見たままを絵にしている。空想よりも、目の前の光景が美しいと思う。どう考えても、目の前に存在するすべてが驚異に満ちている。生きていること自体が。

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午後には、お客さんが来た。10月から北茨城市で地域おこし協力隊として活動する成川さん。兵庫の学校を卒業したばかりで北茨城市に引っ越してくる。北茨城市は、いよいよ本当に「芸術のまち」にしようとしている。芸術家が暮らしやすい地域があったら、確かに夢のようだ。広いアトリエスペースがあって「画家です」と自己紹介しても変な顔もされずに、むしろ歓迎される。企業の面接だったら不採用なところ、喜ばれる。そんな企業も増えたらいい。自分の夢や希望を一緒に応援してくれる会社。ある意味、北茨城市はそれに近い。こんなことがあるのかと、ぼく自身この境遇に驚いている。

夕方には、2枚の新作のアイディアが固まった。一日は、あっと言う間に過ぎていく。時間は待ってもくれないし、買うことも売ることもできない。泣いても笑っても同じように過ぎていく。けれども、楽しい時は一瞬で、辛い時は、何度時計を見ても進んでいない。時間は資源だ。植物にとっての大地のように人間は時間の中に生きている。もし時間をお金のように誰かがコントロールするようになったら恐怖だ。今は時間は自然のままにある。本当は、自分の思うがままに時間をコントロールできる。ややこしいけれど、自由とは不自由だ。自分の時間を自分で管理するなら、それは自由だけれど自由ではなくなる。

 夕方帰る前に、川にカニを捕る仕掛けをしてきた。一日にできるだけ、いろんなことを仕掛けたい。川のカニを捕るように、野菜を収穫するように一日の中にいろんな物語や想像の種を撒きたい。理想的な美しい一日を作ることが、その一歩だと思う。

12月に個展が決まった。来週打ち合わせして、詳細を詰める。慌てて動き回るより、動きがないときには、できることにじっくり取り組んで、キャッチする波が見えたら、動けばいい。慌てることなく。何にもないほど生産的な日はない。