いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

One of thesedays 52

北茨城からバスで東京に向かう。田園風景や森から、町へと移り変わる。荒川河川敷には、木が繁る場所がポツポツとあって、そこにはブルーシートの簡易住宅がある。暮らしている人がいる。

上半身裸で自転車を漕ぐおじさん。手を後ろに組んで走るおじさん。荒川河川敷は野生の人間が住んでいるのかもしれない。

有楽町のマルイに展示場所の視察に来た。目を疑う規模のイベントスペース。新しいアイディアが湧いてくる。限界の向こう側に未来がある。できるか、できないか、分からない、それでもやることに道が拓ける。

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東京のオークションイベントに作品を納品しに渋谷へ。サウンドバル「ゲルニカ」着いてお店の人と話す。

お店を取り仕切るKEN- Gさんは、80年代中頃に芸大の学生で、アート活動をして、いまもアーティストとして生き延びている。

「俺が美大生だったときは、現代アート、美術の世界しかなくて、でも音楽も好きだったからニューヨークに行って、したらヒップホップだよ。グラフィティーとかブレイクダンス。そういう表現を日本に持って帰ってDJとコラボレーションしてライブペインティングしたり、大きな個展をやったりね」

KEN- Gさんは、美大卒だから、ポートフォリオを持っている。重要。ぼくは瞬時にKEN- Gさんの世界観を知ることができる。


KEN- Gさんは、ずっと絵を描き続けている。ときには週4で学童の仕事をして、自分の時間を持ちながら描き続けた。あるとき、ピカソゲルニカを描いてくれと頼まれ、レストランに飾られた。そのお店は、閉店になり、残ったゲルニカを見たオーナーが、誰が描いたんだ、という話しになり、オーナーはKEN- Gさんにお店をやってみないかという話しになって、サウンドバル「ゲルニカ」が誕生した。アートはときに奇跡を起こす。

東京渋谷、音楽とお酒とアートを楽しめるスポット。ぼくは、そこで開催されるオークションイベントに出品している。絵が完成するのは、誰かに愛されて作品が売れたとき。ぼくはその瞬間、そのひとりに出会うチャンスを探している。それは突然やってくる。