いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

今を記録しておく。

昨晩は詩を書いた。20年以上やっているバンドのために。たぶん、自分の表現活動の原点は「詩」だと思う。心が震えるという体験を音楽が与えてくれた。短い数分の楽曲のなかに、限られた語数で伝えるメッセージ、ボブ・マーリージョン・レノンボブ・ディランローリング・ストーンズ、クラッシュ、最近ではMoor Motherというアメリカのアーティストに注目している。肩書きは詩人、音楽家、活動家。そのスタイルは、ヒップ・ホップに近いけれど、ヒップホップを指向したのではなく、コトバを扱う活動の延長でヒップホップに邂逅したのだと思う。

もうインプットは充分に思う。刺激を求めて漁ったり、採取しようと遠くへ出向く必要はなくなった。一日中、生活している場所で活動している。朝起きて、どこかへ働きに出るのでもなく、やるべきことに取り組む。

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新しく始めたのは鳥の観察。植樹した梅の成長が悪くて、それでもやっと花が咲いて嬉しくて、それを絵にしようと考えたとき、梅の花をこの土地にいる鳥と一緒に描くことを思い付いた。それで単眼鏡を買った。しかし観察初心者はいまのところセキレイしか捉えていない。それでも日本の神話では、子供の作り方が分からない神様に、別の神様がセキレイのようにお尻を振れば子供が産まれるというエピソードがあることを知った。

ここにあるもので楽しみ生活できれば、これ以上の平和はない。コントロールも支配も、妬みも欲望もない日々、世の中の混沌から一線を引く一時的な理想郷をつくること。表現をすることは、そのすべてなのだと思う。

3年間取り組んできたD-House プロジェクトが完了しつつある。これは廃墟を住宅に改修して、そこにあった産廃をコツコツと片付け地域のマイナスをプラスに変換するプロジェクト。産廃を処分する予算は作品やパーカーを販売して作った。檻之汰鷲のアート作品が売れれば、目の前の世界が美しくなる。あなたにとっては世界の片隅が美しくなる。想像世界と現実世界を一致させること。表現をすることがそのすべてである。

ゴミが片付いて更地になって、岩や瓦礫だけが残った。ユンボを持っている人に移動させてもらおうとしたら「自分でやれる」と周りのお年寄りに言われた。テコの原理を利用して重い石を移動した。それでも動かない石は割ることにした。道具は石屋さんが井戸を掘ったとき貸してくれたのが手元にあった。

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経験は代替えのない、誰にも奪われない技術になる。たとえ、それが一円にならないとしても身体が覚えていてくれる。そしてその技術がお金になる。お金をつくることより技術を習得する方が人生の錬金術だと思う。経済的には前者を錬金術というのだろうけれど。お金を目的化すると、喜びも愛も健康も失われていくように思う。

NFTを使った環境とアートの取り組みに誘ってもらった。今まではNFTはお金を儲ける新しい仕組み程度の取り組みしか見えなかった。少なくとも自分が見渡した範囲では。けれど、今回の話しは少し違っていて、ウェブ上の地図にマッピングされたコンテンツをアートとしてNFT化して、それをマネタイズして、環境に関するアート活動の予算をつくるという試みだった。まだ完全なロードマップではないけれど、舟づくりと結び付きそうな予感がする。

確かに環境に関する活動は、お金になりにくい。お金はまず欲望を満たすために動くのではないか。その意味では、環境に関する活動も、それをやろうとする人の欲望に直結している。人を巻き込むには、そこに2次的に参加する人たちの欲望を満たす必要がある。けれどもぼくは、自分が動くことしか考えていない。誰かを動かそうとはしていない。NFTの計画を聞いてそう思った。ぼくの欲望は生産することにある。消費では何も満たされない。

廃墟が片付いて、更地になって、石を動かして平地になって、そこに砕石を敷きたい。こんな欲望がある。だから砕石を買った。

Apple TVに登録して、ビースティーボーイズとヴェルベットアンダーグラウンドのドキュメンタリーを観た。それで、ビースティーのアルバムの日本盤の中古を買った。改めてビースティーボーイズの歌詞を読みたくなった。

甘酒のラベルデザインを頼まれた。デザインして入稿して、依頼主から色校正を頼まれた。少し濃かったので明るくして再入稿した。再度確認の連絡が来たので、直接印刷所に行った。そこは以前イベントで会った人が働く会社だった。おかげで話しはスムーズに進んで、本の印刷なども相談できることになった。とてもシンプルな本をつくりたいと考えている。そんな欲望がある。

長野県立美術館で松澤宥(まつざわたかし)という作家の生誕100年の展示をやっていた。妻の実家が諏訪湖の近くで、松澤宥はその地を拠点にコンセプチュアルアートをやっていたというのを知って興味を持った。展示に行きたかったのだけれど、知ったのが遅くて、言い訳しているうちに終わってしまった。だから図録だけ注文した。

旗をつくろうと考えている。自分のコンセプトのキーワードをデザイン化して、解説文をレイアウトした旗。

18歳くらいのときに詩を書いてバンドの曲にした。「ゼロの平地」という詩だった。詳細は忘れてしまったけれど、それから30年経ってもまだこれをしている。バンドNOINONEのアルバムが完成するのが楽しみだ。ノーエクスペクテイションを主義にしているけれど、これだけは期待してしまう。音楽はほんとうに字の通り楽しい。

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