いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

怠けているのを自分自身に見られることを恥じなさい

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人生の大先輩に叱られたような気がした。

ぼくらの古民家アトリエを散歩コースにしている松本先生から電話があった。蕎麦の実を収穫していて、終わらないから手伝って欲しいと。

12月の個展に向けてやることはたくさんあるけれど24時間フルで、そればかりをしている訳ではないし、蕎麦が好きだから収穫をどうやるかもみて見たかった。

収穫に手伝いが必要なのは、蕎麦と一緒に雑草が生えているからだった。松本先生も今年はどうしてこんなに雑草が増えてしまったのか分からないと話してくれた。

収穫作業は、松本先生とアトリエ古民家Arigateeの元家主だった有賀さんと戸上屋という旅館の加藤さんと、現在でもスキーと筋トレを欠かさないスポーツマンな方とぼくら夫婦でやった。皆さんは、週末から作業して4日目だった。

雑草が生え過ぎて選別しながら刈るのは難しいので、草刈り機で刈って、蕎麦の実と雑草を選別して、積み上げていく。それだけの単純作業を午前中やった。

農作業は、やる度に大変だと思う。しかもぼくら以外は70代前後の人だから、自分がそれくらいの年齢になって同じことができるかと思ってしまう。

お昼は、畑の近くの高速道路のサービスエリアに職員が出入りする裏から入って食べた。それを「食堂」と呼んでいる。

こういう雑談の時間にぼくが知らない時代の地域の話しが聞ける。

皆さんが子供の頃は、地域には炭鉱があった。学校には炭鉱で働く親の子供と、農家の子供がいた。炭鉱の子供でも役員の子供、長屋に住む労働者の子供で随分と違った。農家の子供が一番貧しかった。農家の子供は学校が終わると農業をやらなきゃいけなくて、馬を連れて歩いていると、炭鉱の役員の子供たちが洒落た服を着て歩いているのとすれ違うのが、どうにも悔しくてと話してくれた。

農家は、食べ物を作っているけれど、仕事で忙しくて贅沢をする余裕なんてなかった。春から秋は農業で、それが終われば炭焼きをした。鶏は飼っているけれど、卵を食べれるのは風邪をひいたときだけだし、お客さんをもてなすのに鶏を締めて料理に出すくらいしか、肉なんて食べなかった。炭鉱の人らは、仕事以外は、映画を観に行ったり、肉や魚を食べたり、それは羨ましかったと話してくれた。炭鉱の人らが裕福に見えたのは、石炭が国家の必需品で、労働環境の改善が随分されたからだとも話してくれた。

地域の先輩、皆さんが子供の頃には、野生の人間がいて、森なんかに暮らしていた。お米を炊いたとき、見張っていないと、釜ごと盗まれてしまう。いまよりいろんな人間がいたし、治安も悪かった。泥棒なんてしょっちゅう出た。山学校と言って、学校に行かずに、森で遊んでしまう子供がたくさんいた。いまよりもっと森や川や海に人がいた。

ぼくこういう昔の話しを聞いて想像する。人間が今より自然に近かった頃を。少しでも、自然に近い環境に生きたいと思う。だから何もないと言われる田舎に暮らしている。

15時に畑仕事は完了して、アトリエの古民家に帰ると、松本先生が温泉の無料券をやるから取りに来いと連絡をくれた。券を頂き、温泉に行くつもりだったけど、今日片付けたい仕事があるから、温泉はお預けにして、そっちを優先することにした。

仕事は次に出版する本の画像データをまとめて、編集に渡す作業。あちこちから集めた写真だから、どれくらい時間がかかるのか。もうひとつは、12月の個展のポストカードのデザイン。

写真データを集めてひとつのファイルにまとまったのが21時だった。もう今日は終わりにするかと、お酒を飲んでネットをやっていたら、ふと「若き商人への手紙」という本が目に入った。ベンジャミン・フランクリンの本だ。パラパラページをめくると「今日の一日は明日の二日分に値する」「明日やるべきことがあるならば今日のうちにそれをやってしまいなさい」

そして「怠けているのを自分自身に見られることを恥じなさい」と書いてある。

ベンジャミン・フランクリン先生がそう言っているのである。本は読むものではない。対話するものだ。死んでしまった超人たち、何千年も前からの人類の叡智にアクセスできる。インターネットと違って、脱線しないのがいい。ページは前から後ろにしか進まない。

 ぼくはネットを閉じて、ポストカードのデザインを始めた。明日に引き延ばそうとした仕事を今日のうちに終わらせた。アートで生きるとは、作品を作っても1円にもならなくて、鑑賞してもらっても1円にもならなくて、絵が売れたときに、はじめて仕事がひとつ片付いたことになる。けれどもぼくは知っている。1円になるまでの物語の大切さ、その豊かさを。蕎麦の実をたくさん収穫することより、種を撒いて収穫するまでの工程のドラマに意味があることを。

ひとつの絵が描かれて、鑑賞されて心を動かし価値を生み出す瞬間をつくることも、現代では作家の仕事なのだと思う。その意味でも作家は商人であり画商にもなるのだと思う。

次の展示は、画商になる。

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