いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

できれば、クマのままでいたかったの話

4月13日(金)

いよいよ改修の最終日。朝、まのさんとミーティング。絵本「できればくまのままでいたかったのに」の話題になる。

                 


森のおくに1匹のくまがいた。くまが冬眠しているあいだに、森に人間がたくさんやってきて、木を切り倒し、大きな工場を建てた。冬眠からさめたくまが、あまりの変わりように工場をぽかんとみていると、工場の職長がやってきて「おい、おまえ、とっとと仕事につけ」とどなられる。くまは、腰をぬかすほど驚いて「ぼくは、くまなんだけど・・・」と言っても、ききいれられず、うすぎたない、ひげもそらないなまけものにされてしまう。

 

そういえば、ぼくは、くまにのままでいたかったのだ、と思い出した。

43歳のぼくは、子供のころ、アニメや漫画、小説、絵本を読んだ。昭和50年代。高度成長期。印象に残ってる作品は、どれも地球環境の問題や、人間という生き物の愚かさ、残酷さ、戦争について、友情や自然の大切さなど。ぼくは、この物語のなかで、生きていきたい、そう思った。

 

けれども、学生時代が終わると同時に、社会で働くことを要求される。まるで、森のくまさんになる。

 

今回の空き家改修は、いろんな人の仕事を手直しして、バランスを取ることや、色を塗って仕上げることだった。夜には、第三次改修プロジェクトの完成ということで打ち上げが開かれた。プロジェクトは終わらないらしい。

 

まのさんのシェアハウスの入居希望の方と話して、一体どんな仕事をしているのか、と尋ねられた。絵も描くし、家も直すし。「ぼくは自分のやっていることすべてがアートだと思っているけど、職業としては、カテゴリーできなくて、説明が難しいんです」と答えると「では何と呼ばれたいのですか」と質問された。

 

何と呼ばれたいのか。それは考えたことがなかった。ぼくは、アートを職業にしたいと、やってきたけれど、それは没頭していたいからで、没頭しているときは、迷いも悩みもないし、怒りや憎しみや妬みも不安もない。ぼくは、子供のときに感じたままでいたいだけだ。

 

ぼくは、できればくまのままでいたいんだと気がついた。


職業は、未だに分からないけど
ぼくは生きるための芸術家。
それは
人間がより自然に生きることを目指している。

I can't identify my profession. I'm living artist. It pursue to be natural human more than modern human.the point is to live as myself. So my profession is "Norio Ishiwata" 

One of these days 16
コラージュアーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)

http://orinotawashi.com/