いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

家との対話。古家が教えてくれる自然の在り方。

「家」とはなんだろうか。古い家を直しながら暮らす生活をして、2件目の家で考えてしまった。築80年の長屋と、江戸末期に建てらた町屋では、家の種類が違う。

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中津川の古民家を管理する青山さんのご両親のやり方から学ぶことがあった。「家を綺麗にしておくこと」古い家は、これが難しい。雑草は丁寧に病的なまでに抜き続け、とにかく見えるところを綺麗にしておけば、外の箇所にも手が回るようになる。中津川の古民家は、とても空き家とは思えなく、住んでいる以上に整備されていた。家は愛されるほどに美しくなる。

今日は朝から江戸末期の町屋の床づくりをした。昨日の中津川の古民家での話しからのインスピレーションを実践した。チフミは、徹底的に中庭を綺麗にした。自分も中庭の土を均した。たくさん瓦が捨ててあり、なかなか整理つかない。

家主の日栄さんと話しているうちに、家の個性が理解できてきた。

この家は元呉服屋、入り口はお店で、奥には接待するための屋敷がある。この構造に気がついた。つまり、屋敷に至る道までもがエンターテイメント。奥の屋敷に上がれば最高の気分なる。こう設定するのが、この家の構造だと分かってきた。家との対話がようやく始まった。

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廃材は、捨てれば廃棄物として有料だし、古い家を壊すたびに廃棄物が出ればゴミは増えていく一方。
どうにか、割れた瓦と残土を使えないか考え、朽ちた木材とトタンで箱をつくり、瓦を下に敷いて残土を盛って、巨大なプランターをつくった。こうすれば、野菜を育てることもできる。古い家の廃棄物は、自然からつくられたモノが多いから再利用しても害がない。自然はお金を要求しない代わりに労働がその対価。

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プランター雑草を植えた。
どんな土でも環境でも
強く根を張る雑草が美しい。