いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

特に予定のない日は生活をする。なんでもない1日が最もクリエイティブな時間。

誰に頼まれるでもなく、仕事でもなく、対価もなく、生まれたままに与えられた純粋な時間をどう使うのか。
朝、起きてストレッチ。隅々まで意識を通わせ自分の身体を感じる。筋肉を充分に伸ばして、腹筋と腕立て伏せで目を覚ます。40分ほどのランニングに出かけ、浮かんでは消える思考を濾過させる。景色には数々の古い家たち。

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昨日、facebookでお金に関する記事をみた。一定量しかないお金に利息をつけて、競争させる資本主義の原理について。


10人の漁師や木樵、野菜を採る者、生活に必要な道具をつくる者、それぞれ物々交換していた村があった。そこに外部から便利に交換できる紙幣を導入した。
10人に10万円づつ発行し、1年後に1万円の利息をつけて返済するというシステム。交換は以前よりスムーズに行えるようになったが、全体で100万円しか存在しないので全員が利息を支払うことはできない。何が起きるのか。まず自分の利益を優先する。5人が11万円を手にすれば、5人の破綻者が現れる。余剰分は、生き残った者の資産となる。

    
どのように生きていくべきなのか。ぼくは古い家を直しながら、アート活動をしている。2年前に長屋を所有する家主の水谷さんに出会い、アーティストが家を直すことをナリワイにしたらいい、とアイディアと機会を貰った。1年半の取り組みの結果、改修した部屋に入居者が決まり、家を直す技術を手に入れ仕事になった。そして、ぼくは別の家の再生をスタートした。

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ジャガイモのプランターを友達がプレゼントしてくれた。ジャガイモは寒冷地でも育つ、北海道やイギリスなど、条件の悪そうな土地でも収穫されてきた。
新しく取り組み始めた家の中庭にプランターを作ったので、そこにジャガイモを移すことにした。インターネットで調べると注意書きがたくさんある。土のことや虫や病気について。どうして何百年も自然のなかで収穫してきたジャガイモをそんなにあれこれ買い物して育てる必要があるんだろうか。

先週末、仲間たちと中庭の整備をした。みんな専門家ではないけど、それぞれの経験を活かして知恵を出し合ってやり遂げた。材料もほとんど廃材を使った。昼食と夕食をみんなで食べた。とても原始的な協同生活だった。

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もしかしたら資本主義は崩壊していて、その土台の上に新しい経済圏をつくる方が豊かなのかもしれない。ぼくは、お金を増やす競争社会と、大地から芽を出す自然の摂理とを繋ぐ関節をつくりたい。その両方を具合よく動かすシステムや思考方法を。

誰かの役に立つことをすれば経済が生まれる。その経済は、原始的な労働や物々交換だったり、時には貨幣だったり。経済が切り捨てたモノコトを拾うのは自然の恵みに等しく、お金を増殖させる必要のないライフスタイルを手に入れれば、もっと快適な暮らしが可能かもしれない。もしかしたら、原始資本主義なる領域の経済活動があるかもしない。

芸術と経済原理について
貨幣はモノと交換する道具

思考は続く