生きる芸術を標榜して、空き家を活動拠点するようになり、社会芸術は、いよいよ「生活芸術」へと進化した。
1年前にアートの無力さに脱力して人生や生活のなかにアートを探すようになった。そのアートは、生活に接近して、いよいよ溶けて消えようとしている。しかし、それは主観的な話しで、客観的には依然としてアートは世界で輝き続けている。
簡単な話し、生活芸術へと昇華された内観は深まって、次のステップは、それをどうアートとして表現するのか。
アートとはゲームだ。確かにアートというシーンがあって、裾野は広がり、まるでカフカの城のように辿り着かない迷宮だ。
なるほど、ゲームだからルールがある。20年間みてきた音楽シーンと同じように。現代アートとして表現したければ、そのシーンに接触しなければならない。
マルコムマクラーレンがセックスピストルズを演出したように、ウォーホールがヒーローになったように、アーティストは自らが演じるつくられたアイコン。
ぼくは「生活芸術」を作品として表現してコンセプトを時代に叩きつける。誰にそれをみせつけるべきか考えてみればいい。身の回りのアートを語る人々に感動を届けさえすれば、現代アートのプレイヤーになる。
手元にあるカードは、12月の高円寺AMPギャラリーでのグループ展。今日、ミーティングする津島でのアートフェス。
目的はアートマーケットに作品を輸出すること。価値をつくること。人生の経験や思考や哲学を、このくだらない穴に突っ込んで、反対側から顔を覗かせて笑うこと。まるでパンクロックかヒップホップのように逆襲する。
夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/