いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

自然という現象を手のひらに載せて魅せるような、そんな美術を目指したい。

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バルセロナでマークレディンのつくるアイルランドのボート=カラックに出逢い、豊かな水の文化圏を体験して、人間が水辺に文明を築いてきたことを思い出した。しかし、都市生活者にとって水辺のアリ・ナシなんて、まったく問題にもならないとはどういうことなんだろうか。どう考えても、川や海のような水の近くの方が豊かな生活ができるのに。

バルセロナで出会ったマークレディンは、絵を描いて、船を漕いで、魚を釣って、友達と遊び、倉庫を改造したアトリエ兼シェアスペースを運営しながら、楽しく暮らしていた。その暮らし方に影響を受けて、日本でもそういうライフスタイルがしたいと考えるようになった。それは、古い呼び方では「ボヘミアン」というのかもしれない。

ボヘミアンとは、
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* 北インド起源の移動型民族。移動生活者、放浪者。かつてはジプシーとも呼ばれたが、最近では彼等の自称とされるロマ(その単数形のロム)が使用されるようになっている。
* ボヘミアン・アーティスト - 芸術家や作家、世間に背を向けた者などで、伝統や習慣にこだわらない自由奔放な生活をしている者。上記のロマの多くがフランスにおいてボヘミアからやってきたことから「ボヘミア人」=流浪の人と考えられた。
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チフミの実家、長野県岡谷市諏訪湖の近くで、手づくりカヌーがやれるぞ、とチフミの父が教えてくれ、88歳の手づくりカヌーの師匠に出会った。

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師匠のカヌーは、独学でつくられたもので、つくりながら改良を繰り返し現在の仕様になっている。だから設計図もない。素晴らしいのは、廃材を加工して材料をつくるところだ。バルセロナのマークレディンも同じで、拾ってきた廃材を主に利用していた。

舟をいよいよ手に入れて、何をするかと言えば、舟のある水辺の生活だ。かつて人間は水を求めて、辿り着いた地に定住した。その心地良さを体験してみたい。

ぼくたちは、便利になればなるほど、自然の快適さを忘れていく。キャンプをしたり山を登ったりして、休日を楽しむのもいいけど、ぼくは、生活そのものを自然と共に過ごしたい。

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かと言って、山籠りしたり、狩猟に出たり、山村で暮らしたいのではなく、火を好きに焚いたり、水と戯れたり、太陽を浴びたり、月明かりの夜空を見上げたりしたい。誰もが忘れているだけで、日常に触れられる自然を再発見したい。
人間が快適さを追求するあまりに、忘れていく自然の心地良さ。それを求めている。自然以上に美しいモノは存在しない。自然と同じ位に美しいモノはつくれるかもしれない。でも、それは自然の模倣だから、超えることはできない。ぼくは、自然そのものを提出するような芸術活動がしたい。つくることを超えてみたい。 

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芸術=技術で、アートも同義で、一方で、美術とは美しさの追求であり、アートや芸術とはまた違う領域だと考えている。このカテゴライズについても、表現者がそれぞれの意味をつくり変えればいい。過去を模倣する必要も理由もない。

生活のなかに芸術を発見し、豊かな暮らしを提案してみたい。そこに日々の美しさが存在している。それを探求して伝えることが、ぼくのアート活動だ。 

 
夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/