いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

自分よりも大きな人間に出会い成長した

ソトコト編集長と話す機会を得た。断られても熱意を伝えたら会ってくれた。ひとことで言えば、自分よりずっと大きな仕事をしている人だった。だから、今現在、何かを一緒にやれる可能性はなかった。自分は、小さな次元で活動していたことを思い知らされた。それでも話をしてくれ、いくつものヒントを与えてくれた。
 
ぼくがやっていることに新しいことなどひとつもない。活動に対する整理分析と方向性、計画性が足りない。かと言って価値がない訳じゃない。「まだ君のやっていることはパースだし、過渡期のように見えるね。だけど、形にってきたらいいモノになるかもしれないね。」と言われた。
 
「生きる芸術」の本を出したいと相談もした。「この本では売れない。ありきたりだし、芸術というキーワードでは興味を持たれない。いまは海外を旅してきた報告なんて溢れている。むしろ、公務員がこんな経験をしていたら価値がある。自由には価値がない時代になったんだよ。全員じゃないにしろ、自由を掴んでいる人間はすごく増えた。いまは、自由を掴めない層が共感する物語にニーズがあるんだ。」
編集長に質問した。
「ではどんな本が望まれるんでしょうか?」
「やっぱり少年ジャンプみたいな、現在進行形の完成してないけど、完成に向かっている物語だよね。」
 
ぼくは既に40歳を超えているし、影響を受けたモノやコトはずっと過去の存在たち。未来を見ているつもりでも飛距離は全然短い。それでも背中を押してくれた。完敗のノックアウトだったけど、清々しい気持ちだ。しかし、あまりに世間を知らなかった。
編集長は、北沢潤という現代美術家の存在を教えてくれた。地域や空きスペースを活用して日常をアートに変える作品をつくっている。自分がやろうとしていることを、ずっと上手にやっているように見えた。
いつか、誰かがtwitterで「自分がやろうとしていることを、誰かに全部やられていたらどうする。」と言っていたのを思い出した。
 
スイッチが入った。やりたいことはたくさんあるし、日々湧き水のように止まらない。人に会えば刺激を受けて、特に新しい出会いは自分を成長させてくれる。まだまだやれる。

夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/