いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

頭の中にスケッチさえできればあとは、忘れないでカタチにするチャンスを掴むだけ。

12日に開催されるスポーツイベントでボルダリングの施工に参加した。ボルダリングの師匠が誘ってくれた。

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11日の夜に搬入して12日の朝に壁にホールドをつけてコースを設定した。ひとつ夢が叶った。想い続ければ好きになったことはお返しをしてくれる。プレゼントは消費者から生産者へとシフトする立場の変換。

簡単だけれども、それだけじゃない課題をつくりたくて、いろいろ試行錯誤しているうちに開場して、あっという間に行列ができた。

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まさかの展開。最初から1時間待ちの状態。5分交代で、10人の子供たちが壁を登る。ルールを説明する間もない。子供は新しい遊びに飛びつく勢い。だから、とりあえず登る喜びを与えよう、と足を置く場所を教えたり、50人にひとりぐらいの大人でボルダリングのルールを読み解こうとするひとに課題のやり方を教えたりした。

驚いたのは、ボルダリングの人気だった。6時間で350人が参加した。やって楽しかったという、たくさんの声を聞いた。

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いつか自分でボルダリング壁をつくりたいと考えて、師匠のジムが引っ越すときに、ホールドとマットを譲ってもらった。今回はうちに眠っていたその道具たちが活躍した。自分が持っている道具で、(もちろん師匠のプロデュース力が大きいけど)それだけの人間が楽しめる空間がつくれることも驚きだった。

つりく手の微妙なニュアンスやこだわりを吹き飛ばすほどのエネルギーが参加者にあることを学んだ。音楽にしてもアートにしても細部へのこだわりは、デザイン的なものではなく、道具としての有用性の方が重要なのだ。これは現場に立たなければ分からなかった発見だ。物事を複雑にしても意味がない。

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ボルダリングの壁を作る職人さんと出会った。いまボルダリングの壁をつくる業者は少なく、それでもジムは増え続けているので、かなりな好景気らしい。職人さんにジムをつくりたいと話すと、未来がパアッと開けた。
「ジムをやるなら子供ができるようにした方がいいね。昨日の見たでしょ。」
そのひと言でイメージが広がった。子供から初心者向けの壁がメインで中級者までが楽しめる壁。自分にはそのレベルまでしかプロデュースできない。壁以外はカフェ。ゆっくりしながら登る様子が見れる空間づくり。つまり、子供が登るのを親が見れる。親同士はお喋りしてられる。このお店の収益は壁の使用料とカフェの飲食。ここに仕事がある。この仕事を長屋の住人がやれる。住居と仕事がセットになっている。

まだデッサンに過ぎないけど。ひとつの夢が別の夢と融合した。社会彫刻として雇用を創出したい、理想の労働形態を作ってみたい、住居と仕事がセットになった循環型のスペースを作ってみたい、そんな想いがお描けた瞬間だった。

これを実現するのは単純作業で、忘れないでチャンスを見逃さないだけだ。いつも頭の片隅に置いておく。しかるべき人に伝え続ける。それだけ。
社会に欠けているものをつくるのがアーティストの仕事だ。想像力で欠落を補う。いまある枠組のなかで、働いても未来をつくることはできない。最初の賛同者は自分ひとりだとしても、そこから始めるのが、インディペンデント精神だ。インディペンデントとは「自立、独立、自営」津島の長屋の名前をインディペンデントハウスにしたらどうか、とアイディアが湧いた。

夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/