いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

戦争と表現者

「思考するとは、なによりもまず、ひとつの世界をつくることだ」

本をパラパラと捲って目に付いたコトバを覚えていた。それがどこに書いてあったのか探した。

シジフォスの彫刻を作るときカミュの「シューシフォスの神話」を読んだ。その文庫を捲っていると目に飛び込んできた文章だった。その前のページには

「芸術家にとって、問題は作る技術を超えたこの生きる技術を獲得することである。(生きるということが、経験することであると同時に省察することであるという前提のもとに)」と書いてあった。

有名な文学者カミュが言ってるから正しいとか凄いということではなく「生きる」ことを創作として扱う先輩に出会った喜びと安心。

しかし、どうして芸術のテーマが「生きること」に直結しないのか。ぼくの表現の仕方が悪いのかもしれない。

そんなとき、同じ関心に向き合う文章や表現に出会うとしたらどんなに心強いか。山道を迷ってそれが正しい道か不安なときに、前を歩く人が見えたような。いや、もっとだ。同じ気持ちで一緒に歩いてくれるパートナーに出会ったような。だとしてもう山道に分け入っている。仕方がない。何かをきっかけに興味を持つこと。それは既に深い道へと進んでいる。孤独な道だとしてもきっと理解してくれる人に出会う。きっと誰かが既に表現している。

シジフォスの神話からカミュのテキストに興味を持った。去年の夏、友達の亡くなった父親の本棚の整理を手伝っていてこの文庫をみつけた。カミュが何を伝えようとしたのか、少しだけその「世界」に触れてみよう。思考することで開拓された世界を。

カミュが生まれたのはアルジェリア。モロッコの隣、北アフリカ。フランスはこの国を植民地ではく、フランス本国の一部にしていた。が、アルジェリアは独立を目指した。その戦いは1954年から1962年まで続いた。

アルジェリア独立といえば反植民地主義フランツ・ファノンを真っ先に思い出す。カミュと同時代だったんだ。その著書「地に呪われたる者」では植民地に生まれ、被植民者として社会が黙認してきた裂け目を明らかにしている。これは叫びだ。

カミュは1956年にノーベル賞を獲っている。なるほど、アルジェリア独立戦争真っ最中。それをテーマにした創作か活動をしたのか、と調べてみた。しかしカミュは、どちらかと言えば穏健派だった。同時代の思想家サルトルは、ファノンの著作に序文を寄せるほど、植民地主義と戦っている。だからサルトルカミュを批判したらしい。

カミュは、アルジェリア独立戦争について

「母や家族を守らなければならない」とコメントしたとされている。

植民地なんて酷いことをよくしたものだ。アルジェリアの独立に賛成できないカミュノーベル賞の資格があるのか、と思うかもしれない。植民地側からその歪みを言葉にしたファノンの方がよっぽど戦ったし評価されるべきだ。

しかし、いつの時代も強いもの/弱いものに分断される。現在、ロシアはウクライナを侵攻し、イスラエルはガザを爆破して、何万人もの人が死んでいる。

2月24日の新聞記事によればウクライナ侵攻により戦死19万人。アメリカはロシアに停戦を呼びかける。ロシアは北朝鮮やイランから兵器を調達している。一方でウクライナには欧米諸国が提供している。なかでもアメリカは6兆9千億円の軍事支援を表明している。

日本政府もせっせと憲法を改正して戦争できるように努力している。何のためか。戦争が儲かるビジネスだからだろう。もう現実には手に負えないほど世界は狂っている。ぼくはそう感じる。君はどうだろうか。

村上春樹イスラエルでの受賞スピーチで、壁と卵に譬えた。投げれば弱く割れてしまう卵の側に立つと。バンクシーは、強いものと弱いものが争うとき中立なんてない。黙っていることは強いものを支持することになる、と壁に落書きしている。ボブディランは「戦争の親玉」という曲で戦争そのものを批判している。

だからぼくは小説を書こうと企んでいる。人間として間違ったやり方が水のように社会全体に染み渡っていく、この狂った時代を物語にしてみたい。

書く=自分の声を聞く技術

何か抜けの悪い感じがしていた。空がどんよりする気分。ぼくはそんなに落ち込むことはない。まあ、落ち込んでいるわけでもなく、気分が晴れない、そんな日もあるだろう。もしかしたら強い風のせいかも。だから文章を書くことにした。日記ではなく。

驚くほどシンプルに雲が晴れた。日記を書くこととは別に文章を書く必要があった。重要な発見をした。日記を書いたのは、事実を知りたかったから。自分が何をしているのか。あとやり方を変えたい気持ちもあった。もっと伝わりやすい文章があるのではないか、と。

考えていたのは、自分について書かないこと。事実のみを書く。考えや感想を書かない。しかしそんなことはできるはずもなく、なんとなく我慢している日記が続いた。ふとSNSで「自分の声を書く」という本の投稿が目に入った。

ぼくが文章を書くのは、伝えるためでも売れるためでもなかった。その原点を忘れていた。目的は自分との対話だ。そのために書いている。

作品をつくることも同じだ。そもそもこの行為に自己判断が入り込む余地はないと考えている。作品は状況が生み出すものだから。バンドのために制作したMVがイマイチだとメンバーに言われた。分かるんだけど浅い、と。「どうしてそれを忘れて」という歌詞に対して、仕上がったMVは都市vs自然という映像だった。それがモヤモヤするという。

個人的な制作物だったら、手直しはしない。そのまま放つ。しかし今回はバンドの作品だ。「どうしてそれを忘れて」のイメージを修正することにした。が、その作業がどうにも捗らない。たぶんやれると思うのだけど、それが良いモノに仕上がるか分からない。そもそも良いモノにしようと狙う時点で手遅れではある。

柳宗悦の民藝を引用しよう。職人が大量に生産する器、その手仕事は繰り返す作業のなかで欲が消えていく。夥しい数の技のひとつひとつに狙いがない無垢の表現が生まれる。柳宗悦は、そんな素朴な陶器や造形を評価した。

まあしかし、ぼくがそれで良くても仲間が違うと言うなら応えたい。バンドをやり続けてきたことは、違いを乗り越えて協働する基礎体力になっている。BANDとは束ねる、という意味だ。人と人がチカラを合わせて何か行為する。バンドの経験のおかげで妻と芸術家をやっている。もしくは地域の先輩たちと炭焼きをやっている。最近では北茨城市で出会った仲間たちとフリーペーパーも刊行した。

ぼくの手元から現れたモノが仲間たちに受け入れられないとき、ぼくは素直に言う。このカタチを世に出したい。だからボツにするとかではなく、どうしたら良くなるか教えて欲しい。

イメージしたモノがカタチになって表れるとき、それが歪でも不完全でも、そこには何かがある。だからカタチとして表れた。それを両手で掬いあげることがモノをつくることだ。自分の心も同じだ。こうしなければならない、とか、良くしようではなく、そもそものはじめから、ぼくたちはすべてを持って生まれている。ブレーキを踏むのではなく、アクセルを全開にすればいい。

日記では表せない溢れ落ちる喜びについて

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1月から2月まで日記をつけてきた。したこと考えたことを記録した。しかしただそれだけじゃ物足りない気持ちになってきた。なぜならしていること、それだけを並べると、まるで労働者だ。事実そうなのだけど、身体を動かして働くことの意味を取りこぼしてしまう。意味には表層と深層、過去/現在/未来がある。

ドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミンが陶酔論で意味について「両手で水を掬って溢れ落ちる」と表現していた。その溢れ落ちていくもの、つまり両手で掬おうとする、溢れ落ちる前は、そのすべてに豊かさが漲っている。目指している生きるための芸術とは、人生のなかに芸術があって、それが表現として展示できるとか、販売できるか、評価されるか、そんなことは問題にしない。人生そのものの豊かさに価値がある。また価値というのもお金で計るものではなく、その価値自体を問い続ける哲学でもある。

日記のタイトルは炭焼き日記だ。なぜならしていることの最前線が炭焼きだから。しかし炭焼きをそのまま日記にすれば炭焼きさんの記録になる。しかし目指すところは別にある。炭焼きを通じて身につけた木を伐る技術、火、土、木、自然そのもの、その先にアートを接続する、その試みは自分だけのもだし、ほかの誰かがやれることでもない。なぜなら、炭焼きをしているのは出来事やモノや人との出会いのコラージュの結果。偶然と必然の間から溢れ落ちてきた素材。予想もしなかったカタチを失敗や間違いとするのではなく、その先に線を引く、色を塗る、そこから新しい景色を導き出す。作るのではなく自ずと現れる、その現象を起こす環境をつくる。

そんな考えのなかで炭焼きをやっていることは誰も知らない。レイヤーが違う。地域の近所の人たちは炭焼きを頑張っていると褒めてくれる。こっちのレイヤーでは炭焼きは太古と現代をリンクするアート。だから炭窯で粘土を焼いて作品を作っている。けれど、身近な人はそれを素焼きの陶芸未満と捉える。拙いもの。しかし生きるための芸術的には、そこにあるモノの組み合わせで必然的に生成されたオブジェが作品になる。しかしそれが表れているのにコトバで説明を加えるのは無駄なこと。その未満なカタチから魅力が伝わらなければそれはそれ。作品はそのモノ自身が文字文明以前のやり方で何かを伝える。

デュシャンは「芸術作品が作品になるのは、蜂の集めた蜜が人の手で精製されて蜂蜜になるように、鑑賞されて鑑賞者のコトバや眼差しによって完成される」と何かの本に書いていた。大学生のとき図書館で立ち読みしたフレーズで気に入ってメモしていた。作るのは自分ではない。周りの環境がゲームのように一手づつ作品へと詰めていく。

自分がしていること、制作方法について、そのルーツに気がついた。大学生のとき、音楽や文学を掘っていった果て、パンク、ロック、ソウル、ジャズ、テクノ、ヒップホップ、ノイズ、その先にジョン・ケージがいた。無音の4分33秒。無音が音楽だと教えられた。ジョン・ケージがそこに至った影響が鈴木大大拙の禅とマルセル・デュシャンの便器だと教えられた。デュシャンがその影響だと教えてくれたのがレーモン・ルーセルだった。

1900年のはじめ、フランスに生まれたルーセルは早くから文学を志し、あるとき文章を書くペンが輝やきを放った。それは傑作の証だった。ルーセルはカーテンを閉めて執筆を続けた。光が漏れたら盗まれてしまう。そうして書き上げた作品は評価されなかった。ルーセルは精神を病んだ。ルーセルは奇妙な方法で小説を書きはじめた。ほとんど同じ2つの文章を並べて、はじまりと終わりに設定して、その間を単語の意味を読み違えながら物語を紡いでいく。そのルールと組み合わせに支配された異様な物語は、本が理解されないなら演劇へと、ルーセルは表現し続ける。その世界に驚嘆したのが若きシュールレアリズムの作家たちだった。デュシャンもその1人だった。

ルーセルは現実からの影響を一切含まないとその創作の秘密を死後に発行する約束で預けた原稿で明かしている。死まできっちりと作品にしている。

今ぼくがしていることは、この源泉、レーモン・ルーセルに由来している。ぼくの作品がそれほど強烈な表現になっているかどうかは問題ではなく、していることが社会的な意味に留まらないように、行為やそれを指し示すコトバから根を張るように、ひっくり返したり、過去や未来を引用したり、生活と表現と仕事と労働と遊びを混ぜて、化学反応を起こす、錬金術のようなやり方で、意味を生成していく、これが「生きる」ための技術、この地層はこうやってコトバを操って、その深層へとガイドしないと伝えることはできない。現実のうえに重ねられた表現だから。

ぼくの生活のほとんどが自然に寄っていて、一日に会う人間の数よりも木の方が多いし、看板や広告よりも、太陽や風、草や木、匂い、鳥や鳴き声を感じる時間の方が長い。社会から隔絶している。ぼくはここに生きているのだから、その目の前を感じることに集中して、そこでの偶然と必然から自己生成するカタチを取り出す。それがいま制作している作品の全体像になる。これは書かなければ明確にならなかった。

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シジフォス- Sisyphus

岩を持ち上げ山の頂上まで運ぶと、瞬く間に山の麓に戻っている。今日も明日も永遠にシジフォスは岩を運ぶ。これはギリシャ神話。神を欺いた罰として永遠に岩を運ぶ。しかしそれは喜びにもなる。岩をいくつにも積み上げて運んでみたり、今日も明日も繰り返す労働だとしても、それを遊びや喜びに変えられる。

He lifts the rock and carries it to the top of the mountain, and in the blink of an eye, he is back at the foot of the mountain. Today and tomorrow and forever Sisyphus carries the rock. This is Greek mythology. He carries the rock forever as punishment for deceiving the gods. But it can also be a joy. Even if it is a labor that repeats itself today and tomorrow, such as carrying several piles of rocks, we can turn it into play and joy.

2024年はじまりと同時に書いたこと

あけましておめでとう2024。元旦は長野県諏訪地方の妻の実家でお酒を飲んでご馳走を食べてカラオケをしていた。その夜、テレビでは北陸の震災のニュースが流れた。震度7地震が石川県を中心に襲った。しかしテレビの向こうの出来事なのだ。

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ガザをイスラエルが爆破している。ウクライナとロシアが戦争をしている。誰もがそれを知っている。しかしそれを止めることは誰にもできない。

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ぼくは家族が嫌いだ。誤解を招きそうだ。言い方を変えよう。制度としての家族が苦手だ。父と母と子供の家庭。そのむかしなら祖父母も暮らす。その小さな集団に独自の価値観がある。子供は成長して親と違う価値観を身につけていく。ぼくは子供時代遊ぶのが大好きだった。お正月を一緒に過ごす甥っ子も勉強より遊びが好きだと言う。すごくその気持ちが分かる。けれども、妻の親戚一同誰も遊びが仕事になるとは思わない。ぼくが高学歴だったら説得できたかもしれない。したがってぼくには何も言う権利がない。でも彼が本気なら、いつでもぼくは彼と遊ぶ準備はある。ぼくは本気で遊んでいる。それが仕事で労働で制作で生活でアートだ。

テレビの向こうで被災者がいるのに、酒を飲んでご馳走を余らせてカラオケをしているのは悪いことか。年末に首相がすき焼きを食べたと非難されていた。年末は妻の実家で自分の母も泊まりに来て、すき焼きをみんなで食べた。すき焼きを食べることは悪いことだろうか。

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すべてのことを貫いた真実や正直さや誠実さを知りたい。それに向かって生きたい。けれどもひとつだけを正解とする正義や真実は失われた。何かを「する」とき選択をする。何百とある可能性のひとつを選択する。それは球体状に影響する。木が地中に根を張り枝を広げるように。

ぼくはカラオケが嫌いだ。誰かが作った歌を歌ってそれが上手いとか下手とか、すごく無意味だし、誰かが懸命に作った詩(コトバ)を消費するのも気に入らない。だからぼくは自分の歌を作る。自分の歌い方で歌う。コトバが生きる場面で。

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みんなお正月を楽しみにしている。ごめんなさい。ぼくには日常の方が楽しい。フェスに行くとかパーティーだとか、そういうことよりもぼくは日常が好きだ。休日より平日。けれどもまだ未完成。ぼくのしている今日がガザの誰かやイスラエルの誰かにメッセージするほど貫かれていない。

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だからと言ってお正月を楽しむ家族や誰かを批判しない。ぼくの考えはぼくのもの。そっと根を張って心のなか、このブログにだけ閉じておく。メッセージは作品が発するもの。

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2024年。何処へ向かうのか。生活を芸術にする。この10年のテーマだ。まだ途中。生きるための芸術を伝え続ける。いつからぼくらの「生きる」は奪われているのか。誰に?奪われているとさえ感じない人も多いだろう。


年末から読書が楽しい。いま手元にあるのは「森の日本史」黒瀧秀久、「地に呪われたる者」フランツ・ファノン、「処罰社会」ミッシェル・フーコー、「子供の文化人類学」原ひろ子。

フーコーは監獄という形態が社会を管理するシステムの原型のひとつだという。それは労働が自然に働きかけて生きるための糧を手に入れる時代から、産業革命によって工場や生産への従事に変わって、時間が人を拘束していると指摘する。監獄と勤務は同じではないにしろ、管理するシステムとしては同じ手法にある。

フランツ・ファノンは、殖民地主義の異常さ残酷さについて告発する。ファノンは優秀でほとんど白人のように振る舞っていた。被植民者が優秀であるとは、支配者側になること。ところが次第に白人のようになろうとするほど、黒人を苦しめるだけのこの制度に違和感を持つようになる。殖民地主義とは、別の土地の資源を、そこに暮らす人々の人生そのものも奪い、モノのように扱うこと。

ぼくは10代の頃から労働する理由が分からなかった。働きなさいと言われ、お金を稼ぎなさいと言われ、就職しなさいと言われた。誰も理由を教えてくれなかった。だから一年だけ就職して辞めた。退職の意思を伝えると部長は言った。

「この会社にいれば普通の人よりいい家に暮らして、いい車に乗れるんだぞ。それを捨てるのか」と言われた。

「そんなものいらない」と思った。

会社で働くとき、朝決まった時間に出勤して、決まった休み時間を過ごして、決まった時間に退社する。ちょっと今日は気分が違うからとかは許されない。一体何が許さないのだろうか。上司、部長だろうか。誰でもない。それがシステムだ。システムが許さない。そのシステムとは一体何なのか。

それが資本主義社会であり、殖民地主義の時代から続く人間の管理の仕方であり、それについてぼくは違和感を持った。しかしシステムの内側は安全でもある。現代では不眠不休で働かされることはない。少なくとも日本では。「働く」。この行為ひとつにしても意味は樹木のように根を張り枝を広げる。

だから「働く」自体を作り変える。遊ぶと仕事を融合する。遊びとは強制されるものでなく100%自発的なもの。だから遊びと融合した仕事は自由になる。システムをハッキングする。ノーと抵抗するのではなくシステムに乗っ取りつつルールをそっと上書きする。根の張り方は異様なまでに違っていても、樹木としての姿が同じなら問題ない。

ぼくはシステムを上書きするために読書する。この社会の常識を超えるために。読書はインストールしてライフスタイルを実践するための道具。本がコトバで社会の回路をハッキングして新しいシステムを構築する。新しい地図を手に入れそのレイヤーを生きる。

ぼくはいま甥っ子にこのシステムを明かす訳にはいかない。もしかしたら、彼はとても優秀ではじめファノンがそうだったように違和感なく資本主義社会を生きるかもしれない。それは悪いことではない。むしろ成功と呼ばれるこの社会を攻略したひとつの結果だ。

もし君がこの社会に違和感を持つなら、この社会での抜け道、サバイバルの方法をぼくは知っている。いつか君がアクセスするときのために記録しておく。

混沌に目と鼻を描いたら死ぬのです、

新作の構想は、スチームサウナやヨモギ蒸しなどの草を蒸して浴びる何かだ。発想のきっかけは2つある。ひとつは妻の母がヨモギ蒸しの会社にヨモギやたんぽぽ、ホウノハ、山葡萄などの野草を採取して納品する活動していること。雑草や野草を採取して干して持ち込むと買い取ってくれる。妻の母たちはその売り上げを孤児院に寄付している。素晴らし過ぎて影響を受けた。もうひとつは妻の友達が会社を辞めて旅する茶屋を始めたことで、いろんなお茶にできる草を教えもらっている。

もうひとつあった。身の回りのモノを使って作品をつくる、この延長線上に茶室のような小屋のイメージがあって、そこでできる体験、作法に倣ってお茶を淹れることに面白さはないし、カタチは定まっていないけど、雑草や野草をスチームサウナする小屋みたいなものを計画している。

実家に帰った妻が母に計画を報告するとこう言った。

「ちょうどそのことで話したかったのよ。わたしたちがいつものように草を納品に行くと、そこの人が小澤さん(妻の母)はワクチンを7回接種したでしょ?7回接種すると身体から悪い物質が出て悪影響を及ぼします。実際に身体から悪臭がします。申し訳ありませんが次回から小澤さんはハズレてくれださい、って言われたの。信じられる?」

驚いた驚いた。妻の母は思い出して涙を目に溜めている。妻の母たちは100万円を目標にして頑張っている。いま80万円だからもう少しだ、頑張ろう、と励まし合ったそうだ。

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ミッシェル・フーコーにすっかりハマっている。筑摩書房から刊行されたコレージュドフランス講義集全13巻は、講義なので読みやすく、彼の思想の軌跡を目の前に切り拓いてくれる。にも関わらずほとんどが絶版で数万円の値段がついている。

読んでいるのは3巻「処罰社会」。社会が人を処罰するのは、排除の概念だという。非行者や民族、宗教、性におけるマイノリティー、精神病患者、生産や消費のネットワークのそとに落ちてしまった個人、こうして特定することで、一体何がそれらを区別しようとするのか、フーコーは明らかにしようとしている。排除されたとしても、排除されている時点で社会の枠組みのなかにあって、その外側にはいない、と教えてくれる。つまり社会という概念は外を認めないシステムだということ。外だと認定した途端に異端としてシステムに取り込む。囲い込む。それが監獄として機能している。監獄は時間を支配する。それは産業革命以降の労働のカタチと酷似する。

例えば「働かない」というただそれだけのことに対する世間の厳しい態度。あの人は何をしているの?と無意識のうちに所属を確認する。働いてない=会社に属していない、としたら一体何者なのか、まるでそれが犯罪かのように言うだろう。

「あの人は働いていないのよ!」

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貯めるな。放出しろ。そんなイメージが湧いた。ご飯を食べ過ぎると身体が重くなる。糞をしないのは不健康。

朝昼晩3食の習慣は何に由来しているのか。調べれば江戸の中期から庶民は3食になる。理由は、江戸に職人が集まって彼らは労働者だから3食必要だった説。それから菜種油の値段が下がって夜も起きているようになった説があった。

イスラム圏にはラマダンがある。約一カ月間、日の出から日没まで飲み食いをしない習慣。ひとつの理由として貧しい人を理解するためという。素晴らしい。一日だけ断食してみた。以来、身体のなかに空間ができた。空いているのがデフォルト。埋まったら苦しいと感じる。

絵を描くことや彫刻すること。カタチを取り出すこと。アウトプット。イメージの放出。イメージはどこからやってくるのか。やってくるのはまわりの環境から。見たもの、聞いたもの、ことばにしたもの、感じたもの、記憶。ぼくの表現は二次情報からはやってこなくなった。回路は遮断された。以前は雑誌のコラージュだったから広告や欲望が源泉だった。いまは自然からやってくる。自然からのインスピレーションは盗作にならない。なぜなら、それは生きているから。常に移り変わるから。

流れを感じる。ぼくはパイプみたいだ。空洞の管。何を受け取り、何を流すのか。その意味で、日々身を置く環境に影響を受けている。夜が暗いとか、火を眺めるとか、木々の騒めき。雨、風、太陽。

毎日電車に乗れば、電車の環境に影響を受ける。毎日病院に行けば病院に影響を受ける。会社に行けば会社に影響を受ける。森に行けば森に影響を受ける。

だからぼくは里山に暮らしている。影響を受けるものを選択する。日々生きる環境は大地だ。自然のなかで何かを感じるとき、流れてくる社会の情報は無効になる。リセットされる。なぜならここは社会の端であり、踏み出せば社会の外。自然と社会の境目だから。フーコーは指摘しなかったけど社会の外は自然のなかにある。はじめて足を踏み入れる森は裸になっている。エロス。けれども誰かが見た瞬間、森は裸ではなくなる。秩序を持つ。二重スリット実験がここにある。静かに狂う無秩序が森の真実。

常識や社会のルールとか、街の喧騒、そういうことがどうでもよくなる、そんな体験ができる小屋を作りたい。たぶん、それはアートではないし、お金は循環するもので、誰もいない森のなか裸になって、ひとり体験するもの。人間が野生に戻るための装置。これ以上人間が狂っていくのは息苦しい。自分も含めて。

炭焼き/失敗/パレスチナ/30万年前

書きたいことが溢れて散らかっている。とりとめなくても書いておこう。クライマー山野井さんの最近のドキュメンタリーを観た。ぼくは10年前にボルダリング をやっていて、山野井夫妻が主人公の小説「凍」を読んだ。その頃にも山野井さんのドキュメンタリーを観て、山に登るために生活をカスタムしていて、野菜を育てたり、極力アルバイトを減らして山のトレーニングに時間を使っていると話していた。まだアートに専念していなかったぼくは、その影響もあってアートに集中できるライフスタイルを作ることを企むようになったのを思い出した。

今日観たドキュメンタリーでも山野井さんは変わらず山を目指していた。集中していた。クライミングでルートをオブザベーションするように次登るべき山や岩をイメージしていた。その姿を見て、ぼく自身も進むべき未来をオブザーベーションした。(オブザーベーションとはどの順序で進めばゴールできるかイメージする技術)

炭窯の火が3日目に消えてしまった。失敗だった。甘かった。しかし気持ちが引き締まった。12月の頭にお酒を飲みすぎて失敗はしなかったけど酒に飽きを感じた。おかげでストレッチやトレーニングをするようになって身体も軽くなって、炭焼きの失敗と重なって、次の展開に向かっている。転がっている。炭焼きの工程はすべてひとりでやれるようになった。ひとりで木を倒してバラした。炭焼きは原始のアート。それを体感している。

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炭焼きをやりながら、いつも30万年前をイメージしている。調べればすぐに愛媛県の遺跡から30万年前の消し炭が発掘された記事がみつかる。それが世界最古の炭だ。

ところが「森の日本史」を読んでいると、7〜6万年前にアフリカから日本に人類の祖先がやってきたと書いてある。じゃあ30万年前にいたのは? 調べてみると、旧人ネアンデルタール人と新人のホモサピエンスがいて、旧人は30万年前にいたという記事をみつけた。しかし日本にいたかは定かじゃない。さらに調べると石器時代にも旧石器時代より更に古い前石器時代があるようだった。

30万年前って桁違いじゃないか、といつも不安になってネットを検索すると、炭は30万年前だという記事がいくつもヒットする。持っている炭の本にも愛媛県の遺跡のエピソードが書いてある。

だから「30万年前って嘘かと思うたびに調べてみると本当に30万年前の遺跡から炭が発掘されているんですよね」とSNSに投稿した。

それを読んだ人が3万年の間違え?と返信してきたので、30万年前と書いてあるブログのリンクをひとつ送った。すぐに返信があって、そんなブログの記事を信じるなんて、バカですね、芸術家ってそうなんですね、みたいなことを書かれた。

何だか腹が立って、きちんと調べることにした。まず愛媛県の遺跡のホームページには30万年前とは書いてなかった。縄文時代と書いてある。じゃあ、30万年前ってのは何を根拠にしているのか。旧石器時代以前の歴史について調べていると驚く記事をみつけた。

2000年頃に遺跡発掘の捏造事件があった。ゴッドハンドと呼ばれる考古学者が次から次へと発掘して1万年、10万年、30万年前まで太古の歴史を塗り替えていった。ところがそれが捏造だったと分かり、かなりの数の遺跡が偽物になってしまった。

では愛媛県の遺跡もそのゴッドハンドの仕業なのか。調べると四国の遺跡には彼の捏造はない様子。問題の愛媛県のカラ岩谷の洞窟について調べると、看板がネットにアップされていた。

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読んでみると、炭を発見したのは、樋口清之教授と書いてある。見たことある名前だと思って本棚を見ると、なんと「炭」の著者だった。看板には昭和49年と書いてある。

樋口清之さんは、自分の発見を自分の本に書いただけだ。しかし2000年の捏造事件以前は、考古学の検証制度が整っていなかったそうだ。事件以来、二度とないように厳しくなっているらしい。

つまり樋口さんの記述は、いまとなっては真実かどうか検証のしようのないもの。だからネットの記事に書かれている炭30万年前説は事実ではないことになる。

アフリカで人類の祖先が30万年前にいたかいないか、その辺も定かではない感じで、いろんな説がネットに上がっている。30万年前の日本がどうだったかについては2000年の捏造問題を境に見解が分かれている。

少なくとも一万年前くらいには炭は使われていた。具体的な記述に当たったわけではないので、現代に炭焼きを継承したひとりとしていつか時期を明らかにしておきたい。

この30万年前問題は、かなりインパクト強くて、いま読んでいる「資本主義の次に来る世界」とリンクしていく。

30万年前の伝説は崩れてしまったけれど、人類がかなり古くから火と炭を使用してきたことは間違いない。だから生きるための芸術家としては、炭焼きを軸にアートを展開したいと企んでいる。

まず山に入って木を切って、それを彫刻にできる。山に入って楮をみつけて紙を作った。それから窯があるので炭と一緒に粘土を焼ける。炭があるので黒色が作れる。この一連の流れで制作した作品を前回の展示で購入してくれたkさんがいた。そのとき冬になったら庭の木を切って欲しいと頼まれていた。

電話が掛かってきて、約束してお宅に伺った。ギャラリーの近くで、ほんとうに素敵な庭のある内装も見事な家だった。庭の木を切ってみると、面白いカタチをしていて、いくつかはお尻みたいだった。kさんも作品にしたらどうかと言うので、そのまま頂くことにした。モノを作る発想がこういう場面から生まれるのは望ましい。ぼくの意図はそこにない。つまりすべてが偶然と自然に由来する。

kさんは見た目はお年寄りだけど、何かがお洒落で美しく感じた。まだお婆さんになる前というか。旦那さんは17年前に脳溢血で倒れ、寝たきりで、kさんはずっとその看病をしていると言った。だから庭は手入れが行き届いていた。それだけじゃなかった。コーヒーをご馳走になりkさんの歴史を写真と共に見聞きすると美容師さんだった。幾つかの店舗もやっていて、それが家の内装のプロデュースに直結していた。家の窓から庭を見ると、それは絵画だった。草や木や花。時折り現れる鳥たち。鳥ってこんなに沢山いるんですか?と質問すると、いろんな木があって隠れる場所があって小さな森になってるから集まると教えくれた。

つまり庭の木々は、元美容師さんが整えていた。しかも、ほとんどこの家にいるから、神経が通っているかのように隅々まで手が届いている。kさんは、新しく出てくる木芽についても把握していて、必要なもの、そうでないものをコントロールしている。お店をやっていたからインテリアや内装にこだわりがあって、そのうちのひとつとして、ぼくらの作品が飾られていて嬉しかった。その作品はkさんの世界にぴったりだった。

kさんは教えてくれた。「ひとは外見で判断するって言うけど、髪が70%なのよ。だってお化粧をばっちりしても髪がボサボサだったら台無し。でもお化粧してなくても髪がきっちりしてたら、いい感じなのよ。服とかだってボロでもいいのよ。その人がしていることに合ってればそれは美しいと思う」

たぶんこうして書いた文章が次の本の題材になる。

オブザーベーション(進むべき未来を見る技術)

炭30万年前の嘘

紙をつくる

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身の回りの自然を利用して作品をつくる。つまりできるだけ材料を購入しないで制作する。そうすることで伝統工芸とリンクしていく。けれども伝統を継承するのではなく、その初期からやり直す。ぼくの残りの人生で言えば30年。もしそれ以上できるならモノになるかもしれない。

なぜなら、ぼくは紙を作りたかった訳でも炭を焼きたかったのでもない。人生を作りたかった。人生を作る過程で出会った人、モノ、技術や道具、きっかけ。それらが現れたとき、その出会いを人生の一部にできること、そのために両手を空けておくことが大切だ。

陶芸家の真木さんが電話をくれて、電動ロクロを譲ってくれると言う。そういえば電気窯も今年の夏に別のところから貰った。土器は焼けるようになった。手元にあるカードはもうほとんど陶芸をやる環境として整ってきた。ぼくはそういう出会いのために未完成のまま空いているのかもしれない。

アイルランドでパピエ・マシェの師匠、トムがパレスチナへのチャリティーグループ展を企画した。facebookで見て参加することにした。パレスチナの問題も、いまの日本社会の問題も、植民地主義の時代からの流れに根がある。至るところに広がる深い根。庶民がいつからどうやってコントロールされてきたのか。ぼくは本を読んで探究している。

先日読み終わった「資本主義の次に来る世界」は資本主義の問題点を洗い出す本だが、最終的な打開策としてアニミズムが出てくる。(アニミズムとはラテン語で「霊魂」を意味するアニマ anima から 作られた用語で、人間、動植物、無生物などすべ てのものに霊魂が認められると仮定された信仰体 系の一形態)

読みながら資本主義を克服するのはアニミズムよりもっとシンプルに「ココニアル」だと思った。ココニアルとはぼくらが作ったコンセプト。植民地"colonial"の反対語で、植民地が別の土地に移って、そこにある人やモノや環境を支配することに対して、ココニアルはそこにある人やモノや環境と上も下もなく等しく協働して理想をカタチにすること。

だからパレスチナのチャリティーへの作品は、山から伐った木を斧で割って薪にして、その薪を加工して額にした。斧で割った木の断面は崖のように粗い。額の中身は、山から見つけた楮で作った和紙に版画したもの。版画の顔料は犬のおやつを煮た膠と薪ストーブの煙突の煤を混ぜた黒、瓦屋根を砕いて膠と混ぜた茶色。

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ぼくたちが、身の回りのモノを利用して豊かに楽しく小さく生きることができるなら、それは侵略や戦争、暴力や嫉み嘘から遠い世界に暮らすことができる。どうして小さく生きることが戦争と繋がるのか、と思うかもしれない。

なぜなら、次から次へと新しいモノが商品として提供されて、それを作る資源と労働力が必要で、でもそれは生きるために必要なのではなく資本を生み出すために必要なだけで、それは渋谷の駅やほかの駅が人間のニーズを超えて開発されるように、人を殺すことは目的でもないのに武器や兵器を開発すれば儲かるという理由だけで、輸出して使用されてしまうように。例えば2017年の電子レンジが壊れて友達が1995年の電子レンジを持ってきてくれた。もし電子レンジがユーザーや環境に配慮して作られているなら新しいモノより古いモノの方が長持ちするはずかない。

この時代に生きることは、とても責任が重い。考えることが多くて、しかもどうにもできなくて文章を吐き出せなくなる。何度も書き直しても考えを表すことができなかった。けれども諦めないで表現を続けて、この世界にけもの道のような可能性のルートを確保しておきたい。それは競争でも商売でも売り上げでもない、それはすべての人が当たり前に歩く、生きるための道だ。それが見えない世の中になっていることに抵抗するために。