いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

炭焼き/失敗/パレスチナ/30万年前

書きたいことが溢れて散らかっている。とりとめなくても書いておこう。クライマー山野井さんの最近のドキュメンタリーを観た。ぼくは10年前にボルダリング をやっていて、山野井夫妻が主人公の小説「凍」を読んだ。その頃にも山野井さんのドキュメンタリーを観て、山に登るために生活をカスタムしていて、野菜を育てたり、極力アルバイトを減らして山のトレーニングに時間を使っていると話していた。まだアートに専念していなかったぼくは、その影響もあってアートに集中できるライフスタイルを作ることを企むようになったのを思い出した。

今日観たドキュメンタリーでも山野井さんは変わらず山を目指していた。集中していた。クライミングでルートをオブザベーションするように次登るべき山や岩をイメージしていた。その姿を見て、ぼく自身も進むべき未来をオブザーベーションした。(オブザーベーションとはどの順序で進めばゴールできるかイメージする技術)

炭窯の火が3日目に消えてしまった。失敗だった。甘かった。しかし気持ちが引き締まった。12月の頭にお酒を飲みすぎて失敗はしなかったけど酒に飽きを感じた。おかげでストレッチやトレーニングをするようになって身体も軽くなって、炭焼きの失敗と重なって、次の展開に向かっている。転がっている。炭焼きの工程はすべてひとりでやれるようになった。ひとりで木を倒してバラした。炭焼きは原始のアート。それを体感している。

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炭焼きをやりながら、いつも30万年前をイメージしている。調べればすぐに愛媛県の遺跡から30万年前の消し炭が発掘された記事がみつかる。それが世界最古の炭だ。

ところが「森の日本史」を読んでいると、7〜6万年前にアフリカから日本に人類の祖先がやってきたと書いてある。じゃあ30万年前にいたのは? 調べてみると、旧人ネアンデルタール人と新人のホモサピエンスがいて、旧人は30万年前にいたという記事をみつけた。しかし日本にいたかは定かじゃない。さらに調べると石器時代にも旧石器時代より更に古い前石器時代があるようだった。

30万年前って桁違いじゃないか、といつも不安になってネットを検索すると、炭は30万年前だという記事がいくつもヒットする。持っている炭の本にも愛媛県の遺跡のエピソードが書いてある。

だから「30万年前って嘘かと思うたびに調べてみると本当に30万年前の遺跡から炭が発掘されているんですよね」とSNSに投稿した。

それを読んだ人が3万年の間違え?と返信してきたので、30万年前と書いてあるブログのリンクをひとつ送った。すぐに返信があって、そんなブログの記事を信じるなんて、バカですね、芸術家ってそうなんですね、みたいなことを書かれた。

何だか腹が立って、きちんと調べることにした。まず愛媛県の遺跡のホームページには30万年前とは書いてなかった。縄文時代と書いてある。じゃあ、30万年前ってのは何を根拠にしているのか。旧石器時代以前の歴史について調べていると驚く記事をみつけた。

2000年頃に遺跡発掘の捏造事件があった。ゴッドハンドと呼ばれる考古学者が次から次へと発掘して1万年、10万年、30万年前まで太古の歴史を塗り替えていった。ところがそれが捏造だったと分かり、かなりの数の遺跡が偽物になってしまった。

では愛媛県の遺跡もそのゴッドハンドの仕業なのか。調べると四国の遺跡には彼の捏造はない様子。問題の愛媛県のカラ岩谷の洞窟について調べると、看板がネットにアップされていた。

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読んでみると、炭を発見したのは、樋口清之教授と書いてある。見たことある名前だと思って本棚を見ると、なんと「炭」の著者だった。看板には昭和49年と書いてある。

樋口清之さんは、自分の発見を自分の本に書いただけだ。しかし2000年の捏造事件以前は、考古学の検証制度が整っていなかったそうだ。事件以来、二度とないように厳しくなっているらしい。

つまり樋口さんの記述は、いまとなっては真実かどうか検証のしようのないもの。だからネットの記事に書かれている炭30万年前説は事実ではないことになる。

アフリカで人類の祖先が30万年前にいたかいないか、その辺も定かではない感じで、いろんな説がネットに上がっている。30万年前の日本がどうだったかについては2000年の捏造問題を境に見解が分かれている。

少なくとも一万年前くらいには炭は使われていた。具体的な記述に当たったわけではないので、現代に炭焼きを継承したひとりとしていつか時期を明らかにしておきたい。

この30万年前問題は、かなりインパクト強くて、いま読んでいる「資本主義の次に来る世界」とリンクしていく。

30万年前の伝説は崩れてしまったけれど、人類がかなり古くから火と炭を使用してきたことは間違いない。だから生きるための芸術家としては、炭焼きを軸にアートを展開したいと企んでいる。

まず山に入って木を切って、それを彫刻にできる。山に入って楮をみつけて紙を作った。それから窯があるので炭と一緒に粘土を焼ける。炭があるので黒色が作れる。この一連の流れで制作した作品を前回の展示で購入してくれたkさんがいた。そのとき冬になったら庭の木を切って欲しいと頼まれていた。

電話が掛かってきて、約束してお宅に伺った。ギャラリーの近くで、ほんとうに素敵な庭のある内装も見事な家だった。庭の木を切ってみると、面白いカタチをしていて、いくつかはお尻みたいだった。kさんも作品にしたらどうかと言うので、そのまま頂くことにした。モノを作る発想がこういう場面から生まれるのは望ましい。ぼくの意図はそこにない。つまりすべてが偶然と自然に由来する。

kさんは見た目はお年寄りだけど、何かがお洒落で美しく感じた。まだお婆さんになる前というか。旦那さんは17年前に脳溢血で倒れ、寝たきりで、kさんはずっとその看病をしていると言った。だから庭は手入れが行き届いていた。それだけじゃなかった。コーヒーをご馳走になりkさんの歴史を写真と共に見聞きすると美容師さんだった。幾つかの店舗もやっていて、それが家の内装のプロデュースに直結していた。家の窓から庭を見ると、それは絵画だった。草や木や花。時折り現れる鳥たち。鳥ってこんなに沢山いるんですか?と質問すると、いろんな木があって隠れる場所があって小さな森になってるから集まると教えくれた。

つまり庭の木々は、元美容師さんが整えていた。しかも、ほとんどこの家にいるから、神経が通っているかのように隅々まで手が届いている。kさんは、新しく出てくる木芽についても把握していて、必要なもの、そうでないものをコントロールしている。お店をやっていたからインテリアや内装にこだわりがあって、そのうちのひとつとして、ぼくらの作品が飾られていて嬉しかった。その作品はkさんの世界にぴったりだった。

kさんは教えてくれた。「ひとは外見で判断するって言うけど、髪が70%なのよ。だってお化粧をばっちりしても髪がボサボサだったら台無し。でもお化粧してなくても髪がきっちりしてたら、いい感じなのよ。服とかだってボロでもいいのよ。その人がしていることに合ってればそれは美しいと思う」

たぶんこうして書いた文章が次の本の題材になる。

オブザーベーション(進むべき未来を見る技術)

炭30万年前の嘘

紙をつくる

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身の回りの自然を利用して作品をつくる。つまりできるだけ材料を購入しないで制作する。そうすることで伝統工芸とリンクしていく。けれども伝統を継承するのではなく、その初期からやり直す。ぼくの残りの人生で言えば30年。もしそれ以上できるならモノになるかもしれない。

なぜなら、ぼくは紙を作りたかった訳でも炭を焼きたかったのでもない。人生を作りたかった。人生を作る過程で出会った人、モノ、技術や道具、きっかけ。それらが現れたとき、その出会いを人生の一部にできること、そのために両手を空けておくことが大切だ。

陶芸家の真木さんが電話をくれて、電動ロクロを譲ってくれると言う。そういえば電気窯も今年の夏に別のところから貰った。土器は焼けるようになった。手元にあるカードはもうほとんど陶芸をやる環境として整ってきた。ぼくはそういう出会いのために未完成のまま空いているのかもしれない。

アイルランドでパピエ・マシェの師匠、トムがパレスチナへのチャリティーグループ展を企画した。facebookで見て参加することにした。パレスチナの問題も、いまの日本社会の問題も、植民地主義の時代からの流れに根がある。至るところに広がる深い根。庶民がいつからどうやってコントロールされてきたのか。ぼくは本を読んで探究している。

先日読み終わった「資本主義の次に来る世界」は資本主義の問題点を洗い出す本だが、最終的な打開策としてアニミズムが出てくる。(アニミズムとはラテン語で「霊魂」を意味するアニマ anima から 作られた用語で、人間、動植物、無生物などすべ てのものに霊魂が認められると仮定された信仰体 系の一形態)

読みながら資本主義を克服するのはアニミズムよりもっとシンプルに「ココニアル」だと思った。ココニアルとはぼくらが作ったコンセプト。植民地"colonial"の反対語で、植民地が別の土地に移って、そこにある人やモノや環境を支配することに対して、ココニアルはそこにある人やモノや環境と上も下もなく等しく協働して理想をカタチにすること。

だからパレスチナのチャリティーへの作品は、山から伐った木を斧で割って薪にして、その薪を加工して額にした。斧で割った木の断面は崖のように粗い。額の中身は、山から見つけた楮で作った和紙に版画したもの。版画の顔料は犬のおやつを煮た膠と薪ストーブの煙突の煤を混ぜた黒、瓦屋根を砕いて膠と混ぜた茶色。

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ぼくたちが、身の回りのモノを利用して豊かに楽しく小さく生きることができるなら、それは侵略や戦争、暴力や嫉み嘘から遠い世界に暮らすことができる。どうして小さく生きることが戦争と繋がるのか、と思うかもしれない。

なぜなら、次から次へと新しいモノが商品として提供されて、それを作る資源と労働力が必要で、でもそれは生きるために必要なのではなく資本を生み出すために必要なだけで、それは渋谷の駅やほかの駅が人間のニーズを超えて開発されるように、人を殺すことは目的でもないのに武器や兵器を開発すれば儲かるという理由だけで、輸出して使用されてしまうように。例えば2017年の電子レンジが壊れて友達が1995年の電子レンジを持ってきてくれた。もし電子レンジがユーザーや環境に配慮して作られているなら新しいモノより古いモノの方が長持ちするはずかない。

この時代に生きることは、とても責任が重い。考えることが多くて、しかもどうにもできなくて文章を吐き出せなくなる。何度も書き直しても考えを表すことができなかった。けれども諦めないで表現を続けて、この世界にけもの道のような可能性のルートを確保しておきたい。それは競争でも商売でも売り上げでもない、それはすべての人が当たり前に歩く、生きるための道だ。それが見えない世の中になっていることに抵抗するために。