いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

できることは何だろうか。表現することは何の役に立つのだろうか。

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ずっと違和感があった。したいことがあった。子供のように遊び戯れていたかった。けれども、そんなことは許されない。そんな空気が社会にはある。

重圧はあるけれど、何のために働かなければいけないのか、それに対する明快な答えはずっとなかった。

結局のところ、自分で判断するしかなかった。やるしかない。ぼくは、距離を取ることにした。都市と経済と。便利さ、楽しさ、快適さ、競争することとはまた別の何かが必要だと感じていたから。

 

夏が近づいてくると海もどんどん近くなってくる。物理的な距離は同じでも、身体的にずっと近くなる。

朝5時や6時に目を覚まして海へいく。海で何をしようかと波の状況を見て考える。今日は波がなかったので、ペットボトルの筏で、魚を釣ることにした。エサは磯のカニだ。カニを岩についている貝で釣る。

波が少ないとは言え、筏にバケツと竿を乗せて海に出るからひっくり返っては困る。波のリズムに合わせて、引いたときに海へと漕ぎ出す。

筏や小舟で釣りをするために、竿を自作した。竹で作った短い竿だ。1mもない。海底が岩場だろうポイントをみつけて、カニを針につけて糸を垂らす。竿を揺らすと、何かがかかった?と引いても上がらない。強く引っ張ると、なんと海底の海藻に引っ掛かって針がとれてしまった。2時間の努力は一瞬で終わった。

何も成功していないけれど、朝早くから起きてしまうほどの楽しさがある。筏を作ったり、竿を作ったり、カニを獲ったり、海のうえを漕いだり、生きるために必要なものを買うのではなく作る喜びがある。

 

家に帰ると、妻チフミがアトリエへ早く行きたいと待っていた。朝9時に10kmほどクルマを走らせ山の集落にある古民家に着く。山の匂いがする。

今週は、オファーがあった仕事を片付けている。最近ぼくのところに来る仕事は、デザインと絵のオーダー。デザインは5万円くらいで、絵は10万円。デザインはCDの表紙、イベントのチラシイメージ、Tシャツのデザインなど。

チフミは、最近、アトリエの周りの環境整備をしていて、草刈りや栽培している野菜の面倒を見ている。これこそがいま自分たちのアート活動だと思っている。モノをつくることや売買することばかりがアートではない。生きるための糧をつくるや空間をつくること。

食べ物をつくるのは、生きることの基本だとアフリカのザンビアで教わった。ぼくは数年前まで野菜の育て方も知らないし、そんなことに興味すらなかった。50年前には当たり前だったことがぼくの世代では特別なことになっている。当たり前が特別になる瞬間、その境目にアートがある。古民家もそうだ。単なる古い家だったものが古民家というヴィンテージに変わっている。

 

ぼくたち夫婦がアトリエにして制作活動をしている北茨城市の古民家は、再生した。アトリエを訪ねて来る人がたまにいる。何もない山の集落に。今日は、そこで絵が売れた。売りに行かなくても、この場所で価値が生まれた。

 

午前中はデザインの仕事をして、午後はアトリエから2分のところにある廃墟を整理した。

アトリエは北茨城市の持ち物なので、ここには暮らさないことになっている。だからアトリエとは別の家を探しているときに、この廃墟を直すことを思いついた。

荒地や廃墟を使える空間に変えること、マイナスをプラスに転じることもアートだと思う。これがビジネスだったら、まったく費用対効果も悪いし効率もよくない。誰もやる理由がないことをやるのが楽しい。それは山に登ることのようだ。新しい遊びでもある。

廃墟の再生。ここには経済的な意義だけではない、プラスを世の中に増やせるという魅力が詰まっている。

 

こうやって自分のアートを模索しながら、ひとつずつ、できないことをできることに変えて、社会に依存なく生きていけるように工夫している。それを生活芸術と呼んでいる。自分で生きていける環境をつくること。

 

家、食料、道具、それをつくること。どれもこれもアートでいい。人生を消費させない、むしろ生産に向かわせるものはすべてアートだ。料理、サーフィン。

ぼくは、人間について考えるために、田舎に暮らしたり、家を直したり、野菜を作ってみたりして、新しいアートの概念、歴史から捉え直した「生活芸術」を表現しようとしている。

人間社会は地球という自然環境のうえに成り立っていて、人間社会がすべてをつくったわけではない。ぼくらは間借りしているに過ぎない。

ぼくが生きているという存在自体が周囲に影響を与える。死ぬということもアクションのひとつ。最後のパフォーマンス。ひとつのアクションが波紋のように社会を変える。それを可視化できたら作品にできるかもしれない。鑑賞者を傍観者ではなく主役にしたい。いまは、みんな観劇してしまう。ほんとうは、ひとりひとりの行動が社会をつくるのに。

 

メモは作品と人生をつくる。思考を耕すことだ。きっと種が芽を出す。

ヒーローよ、立ち上がれ。何度でも。

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最近よく、影響を受けたものは何ですか、と聞かれて、アートの話しをしなきゃと、作家の名前を並べるんだけど、それは後付けで、ほんとうに影響を受けたものは、確実に漫画とロック。

小学生一年生のときにデビルマンのコミックスを品川の古本市で、父親に買ってもらって衝撃を受けた。同じころに、公園に少年ジャンプを持ってくる上級生がいてキン肉マンの洗礼を受けた。

父親は映画が好きでビデオデッキを持っていて、テレビで録画をしてはコレクションしていて100本くらいあった。ついでにアニメのガンダムの映画やあしたのジョーの映画を録画してもらって自分も何本かコレクションを持っていた。だからアニメ特有のビビットな色が好きなのはその頃から始まっている。

 

まあ、40年近く前の話しだから、いまとは状況が違うけれど、空想の世界に没頭する子供だった。つまり影響を受けたものの原点はヒーローだ。ぼくはヒーローになりたかった。きっと誰もが男の子なら特撮ヒーローに憧れるあれだ。悪と戦う。正義のために。世界を救うために変身する。変身願望がある。

 

小学生の高学年になると、だんだんヒーローになれないことが分かってくる。漫画は漫画の話しだし、特撮は撮影されたドラマ。足が速いわけでもないし、スポーツが得意なわけでもない。主人公タイプじゃない。それでなりたいと思いついたのが漫画家。物語世界をつくればいいと、こっそり漫画を描いてみたけど、とんでもなく難しい。盛り上がってる場面しか描くことができない。描いても数ページで終わってしまう。

描くよりは漫画を読み漁る専門だった中学生は音楽を好きになる。はじめて買ったのはアイドル7inchレコード。南野陽子渡辺美里TMネットワーク、たまたま雑誌でSEX PISTOLSというバンドの名前を見つけて、エロい何かかと思ってCDをレンタルしてみたら、まったく意味が分からないけれど、なんかヤバイのに触れてしまったみたいで興奮した。その頃、テレビのCMで流れたブルーハーツの「人にやさしく」に衝撃を受けてロック少年が完成した。

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父親は近所の子供を集めてピアノの先生をやっていたけれど、ぼくはもう小学生の早い段階で嫌になってしまった。教科書バイエルを庭に埋めたりした。しょうもない子供だった。父親はドラマーを職業にしていて、当時カラオケが普及する前で、キャバレーでドラムを叩いていた。父親がドラマーになったのは、夜、小学校の校庭でドラムを練習していて近所のたまたまキャバレーのオーナーがいいね、と声を掛けたのがきっかけ。今じゃありえない。学校に不法侵入して騒音って話しだ。ぼくは小学生になる前、家で留守番してたとき、ドラムスティックで、家中の襖に穴をあけたことを覚えてる。あまり怒られた記憶はない。思いついて行動せずにはいられなかった。これが創作の原点かもしれない。

 

ぼくが音楽を聴くようになると、父親はいろんな音楽を聴かせてくれた。学校から帰ると、父親がカセットでボブ・マーリーを教えてくれた。ビートルズとかローリングストーンズとか。ウッドストックの映画も撮りためたコレクションから観せてくれた。スンタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」、「時計仕掛けのオレンジ」も観せてくれた。

 

高校生になると、ぼくは映画監督かロックスターになりたいと思った。もちろんロックスターになりたいなんて誰にも言えないから、まずはバンドをやりたいと思った。高校の3年にもなると、周りにもバンドをやっている奴がいて、いよいよバンドをやることになった。ただやっても面白くないから、学園祭でライブハウスをつくろうと仲間を誘って教室をライブハウスにした。近所の音響屋さんにスピーカーなど機材を借りて。

ぼくは頭をモヒカン刈りにして、SEX PISTOLSRAMONESとCLASHの曲をベースボーカルで演奏した。

 

ぼくが影響を受けたものは、ここに書いたようなことだと思う。ぼくが絵を描くルーツには、レコードジャケットがある。ジャケットの絵がその音世界を表現しているけれども、それはまったく次元の違う世界で、実体のない音と二次元の絵の世界は重ならない。ぼくにとって絵を描くことは、レコードとそのジャケットの絵との関係に似ている。レコードがぼくらの生きている現実世界だとすれば、絵は現実を空想によって理想化した世界を象徴している。

 

ぼくは漫画から道徳や人生を学んだ。ちなみにベスト3を挙げるなら「シュマリ」「火の鳥」「漂流教室」。手塚治虫楳図かずお。あと小山ゆうも好きだ。

音楽からは社会への抵抗の仕方を学んだ。ボブ・マーリー、パンク、ヒップホップ、特にヒップホップのシーンから現れたグラフィティー・アーティストのラメルジーには強烈な影響を受けた。たぶん、ラメルジーに遭遇してなかったら絵を描いてなかったと思う。

本も読んだ。もっとも好きな本はヴォルテールの「カンディード」、宮本武蔵の「五輪書」、宮沢賢治の「農民芸術概論」。

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ここに名前が上がったのは、ぼくのヒーローたち。44歳のいまでもヒーローになりたいと思っている。このご時世、誰かがやるのを待ってても何も変わらない。だったら自分がやるしかないんじゃないか? もっとマシな世の中になった方がいいと思わないか?

過ぎていく時間。人生をつくる時間。

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「忙しい」とは、心を亡くすと意味だ。けれど、どうやっても忙しくなってしまう。忙しくても忙しいと思わない、それだけで全然話しの流れは変わっていく。

毎日やることが山ほどあるけど、忙しいとはまったく思わない。毎日やることが山ほどあって忙しくて仕方ない。この二つの文章は同じ状況でありながら、感じ方によってアウトプットが違っている。

ひとつはっきりしているのは、誰もが一日24時間しか持っていない。時間は借りることも貸すこともできない。ところが、ぼくたちは、平気でこの貴重な時間をあらゆるサービスや商品と引き換えに失っていく。さらには仕事にそのほとんどを売り渡してしまう。

もちろん、生きていくうえでお金は必要だから会社で働いたり、仕事を請けて時間を費やし、その対価としてお金を得るのは真っ当なやり方。それでいい。

けれど、そうしているうちに、自分の時間の価値を見失ってしまう。

何もすることがない時間を「暇」だと名付けてしまう。「暇」とは誰からも依頼もなければ、用事もない自分が生まれ持った純粋な時間のことだ。この「暇」な時間こそが人生をつくるための原石であり、この時間の使い方が人生をクリエイティブに変えてくれる。「暇」とはとても貴重な空白ことで、ゼロから何かをスタートするには、この空白が絶対に必要になる。

5月の後半は予定が次から次へと決まって、この先の予定も入ってきて、今迄からすれば、ずいぶんと忙しくなってきた。それは喜ばしいことであると同時に、空白が失われていくことでもある。絵を描くという行為は、まさにゼロから作り上げることなので、誰にも頼まれない純粋な時間があってこそ集中できる。だから、社会生活のなかでぼくの立ち位置は矛盾してくる。頼まれた仕事をしないとお金が入ってこない。でも頼まれ仕事はがりしていると、純粋な時間がなくなっていく。

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そんなことを書いておきながら、先週は草刈りばかりをしていた。荒地を開墾していて、廃墟を再生しようと企んでいる。草刈りは、絵を描くことに例えるなら、キャンバスを下塗りする作業だ。ところが、このキャンバスには産業廃棄物が投棄されていて、真っ白に塗り潰せない。だから、なんとかアトリエのある集落からこれを撤去したい。

空き家改修をやるうちに庭という人間と自然の境界線に気がつき、庭を拡大していくと、アトリエのある揚枝方という集落がキャンバスに思えている。ランドアートをやりたい。自然に働きかけて景観をつくりたい。このアート作品は、お金になるか分からない。たぶんならない。だから、絵を描いてお金を作りたいと思う。そう考えていたら、もっと具体的なデザインの仕事、ワークショップの依頼、CDのジャケット、イベントのフライヤー、Tシャツのデザインが立て続けに来るよになった。すべて10年前にはぜひやりたい仕事だった。そうやって経済活動が活性化する一方でお金にならないことをやりたい。その行為からも生まれる価値がある。

 

草刈りをしていたら、竹が欲しいと現れた老人がいて、話しをしていたら、表装を教えているという。掛け軸を作品にしたいと思っていたから、教えてもうことにした。掛け軸は、日本独特の文化で、オリジナルの掛け軸はキャンバスよりも日本人らしさを強調したアート作品に仕上げることができる。しかも持ち運びに優れている。

 

アトリエの古民家を見学に来てくれた人がいた。久しぶりの超人だった。一日一食で、ほぼ時給自足だと言う。超人は、畑をイノシシに荒らされたことがないと言う。田舎で畑をやったことがある人なら分かると思うけれど、獣害はなかなか厳しい。植えた未来の食料を奪われるのだから。

ところが超人は、イノシシの食べる分を山に植えているそうだ。食べ物をシェアして、山を下刈りして見通しをよくすれば、イノシシは人里に降りてこない。

 

今週は美術館の学芸員さんからワークショップの仕事を依頼され、とある企業の研修のアーティストとして10年以上付き合いのある美術関係者から講師に招いてもらった。

8月にあるバンドのリハーサルも先週と今週、東京でスタジオに入っている。ドラムのトリッキーが誘ってもらい渋谷のLa-mamaでやる。

すべては、人の繋がりだ。ぼくを知っている人から価値を認めてもらって生きている。そのすべてに200%応えてこそ、これまでやってきた意味がある。やりたいことをやっているなら、そのやりたいこと全部に結果を出せ。

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一日は24時間。それが7日で1週間。リズムの取り方だ。今日やれることは今日やって、明日やれることを少しでも今日やっておけば、明日は明日の仕事が始まる。まだこのくらいなら大丈夫。もっと仕事をして絵を描こう。

やってて楽しいこと好きなことを諦めないで。

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これはブログです。45歳の夫婦芸術家の夫、石渡のりおが書いています。妻とふたりで制作する日々の生活の記録をして、その出来事を言葉で耕して、自分自身と対話し、未来を作っているのです。日記とは、日々の記録です。歴史に名前を残した人たちは、皆文章を書いている。本人が死んでも言葉と思考は残るのです。

芸術家と名乗っていても、自営業者というだけです。頼まれてもいないのに絵を描くのです。ひとつひとつ傑作にしようと努めながら、できるだけシンプルな絵を描きたいのです。自然を絵の中に起こしたいのです。絵の中に自然が起きるとは、意図を超えることです。ぼくのアイディアから始まっても、それはきっかけでしかなく、妻と一緒に描くことで、はじまりのアイディアは透明になって別の景色へと溶けていくのです。そこに自我や欲はありません。自分の主張が溶けていく向こう側には快楽があります。見たことのない景色が現れ、目を奪われるような色彩とカタチがハーモニーを奏でるのです。その現象が起きるとき檻之汰鷲の作品になるのです。その1枚がたったひとりの理解者に出会い、そこに価値が生まれて作品は完成します。そうやってぼくらは仕事自体をつくるのです。

 

それでも絵を描くために絵を描くのではありません。芸術のために芸術作品を作るのではありません。生きるために作品を作るのです。ぼくら夫婦は、作るために生きるのです。

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「生」と「死」とはセットです。コインの裏と表。すべての人が生まれ死ぬのです。何を恐れるのか。やがて死ぬのです。だとしたら、何をしていたいですか。お金の問題ではありません。お金では何も解決しません。もちろん、生きていくためにはお金は必要です。だから、大好きなことでお金を稼ぐのです。生きる喜びのために。

 

ぼくには子供の頃から好きなことがありました。幸いなことです。例えば、漫画を夢中で読むことや、映画の2時間があっという間に感じることや、砂場で遊んでいて日が暮れても気がつかなくて夜になってしまうようなことや、音楽を聴くこと、小説の世界に入って朝まで読んでしまうこととか、それらを何と呼ぶのか分かりませんが、それが大好きでした。「それ」には名前もないし、職業でもありませんでした。だから、ぼくは将来何になりたいか、と聞かれたときいつも答えに困りました。

好きなことはあったけれども、それは職業ではなかったから、小学校の作文では「将来サラリーマンになる」と書いきました。ほんとうにそれしかイメージできなかったのです。

 

そして大学生になったぼくは就職活動をして卒業すると、ほんとうにサラリーマンになりました。けれども、やっぱりなりたいものではありませんでした。だから、ぼくは働きながら趣味で音楽やアートを続けました。小説も書きました。

アートを鑑賞していても、本を読んでいても音楽を聴いていても、それでは仕事にならないと薄々と分かってきました。だからと言って、それらが仕事になるとは思っていませんでした。でも、絵を描いているとき、バンドでライブをやっているとき、小説を書いているときは、子供の頃に好きだった「それ」そのものでした。

20代、30代とずっと、バンドをやって、絵も描いて、小説も書いていました。会社で働きながら、家に帰ったあとや休日を利用して。

 

ずっと我慢していました。ほんとうは会社に行って仕事はしたくありませんでした。ほんとうは、ずっと没頭していたかった。けれども、それはお金にならない。そう諦めていたのです。そうしているうちに友達の何人かが音楽や小説で有名になっていきました。ぼくはアーティストが成長して有名になっていくことを知りました。誰もが最初は無名で勝手に表現しているだけなのです。タイミングとか才能の違いで時間がかかることもあると思うのです。死ぬまで何も起こらない人もいます。けれども天才だとか、爆発的に話題になるとか、有名になるとか、お金をたくさん稼ぐとか、そういうことは目に見えるから比較してしまいますが、好きなことをコツコツと続ける環境を維持することの方がずっと大切だし幸せだと思うのです。

 

月10万、20万円でも好きなことでお金をつくる工夫をするだけで、大成功でなくても、むしろそれぐらいだったらやりようがあると思うのです。年収で言ったら200万円。もちろん、もっとお金をつくることも出来るでしょうが、まずそれくらいの目標設定で、低空飛行していけば、きっと自由に飛べると思うのです。

ぼくもまだ途中ですし、金欠で不時着するかもしれないし、だとしてもまた低空飛行で飛び直せばいいんです。高く飛ぼうとしなければ何度でもやり直せる。そういうやり方をみつけることも表現を続ける方法だと思うのです。

 

自分が好きなことや考えていることを忘れないためにもこうやって文章を書くのです。ぜひやってみてください。何万人に見られるとか関係なくて、未来の自分のために今日を記録するのです。今日の思考を書き留めておくのです。今日は急に思い付いて、ぼくのように20代、30代を生き悩んでいる人に書いてみました。

ザンビアのことわざです。

みんなウサギを追いかけるけど、途中で諦めてしまう。諦めなければ、諦めてしまった奴のウサギも手に入るのに。ネバーギブアップ。やってて楽しいこと好きなことを諦めないで。

 

檻之汰鷲ORINOTAWASHI | Painting, Collaging, Sounding, Diving, The Artist ORINOTAWASHI is.

 

 

だから冒険する。自分の生き方をつくるために。

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週末は、岐阜県白川町のイベントに呼ばれ金曜日の朝、北茨城市から600kmの道のりを旅した。途中、東京では自分の母親に会って、夜は長野県岡谷市の妻チフミの実家で一泊させてもらった。チフミの両親と妹とその娘にも会えた。土曜日の朝、岡谷から白川町まで下道で、家や風景を楽しみながらクルマを走らせた。高速道路を使わないことでも小さな冒険ができる。未だ知らない地域の風景に出会うことができる。

 

白川町は、岐阜県中津川市のICからさらに1時間。帰りに高速を使って分かったことだけど。イベント会場となる高瀬家の周辺にはコンビニもないし、ビールも売っていない。なかなか不便なところ。イベントを主催する高瀬コージくんは、名古屋で花屋の仕事をしながら、この地域を開拓している。

イベントは里山メルヘン計画「野茶会」題され白川町の特産品である白川町を楽しむ会で、催し物にパフォーマンスやライブ、DJがあって、飲食店が出店した。高速から1時間も離れた山の中の集落に、これだけ人が集まるのか!と驚く光景だった。

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会場には、竹を伐採して作った巨大なブランコがあった。庭師のツヨシくんが手掛けている。子供たちはそれみつけて「何あれ!やべぇ!超やべぇ!」と駆け足で飛びついた。

どうやってこんなオブジェを考案したのかツヨシくんに聞くと

「むかしから庭師は重い石を運ぶのに竹を組んでテコにして持ち上げたんだ。足場が悪いところでは2本の竹を使って石を持ち上げたんだ。だから、人間くらいだったら全然大丈夫なんだ」

かつての技術を採取して現在に活かす。まさに生活芸術。これは是非真似したい。すべての創造は模倣から始まる。

 

ムニャムニャ族という架空の民族がこのイベントに生息していた。テントを張ってそこで煮炊きして暮らしていた。儀式も執り行われた。主催のコージくんのムニャムニャ族になった。

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イベントに参加している人と話した。30代から40代の家族連れが多く、そのほとんどは移住者だった。茨城県からの人もいた。聞くところによると、就農する場所を探してたどり着いたらしい。7年前くらいからその動きが始まり、今では10世帯くらいが、いそうな感じだった。やはり、東日本大震災をきっかけに動いた人ばかりだった。あのとき時代は動いた。この先にどんな道を提示できるのか、ぼくらは問われていると思う。

戦後から、高度成長期を経て、日本人は農村から都市へと移動して、自然に働きかけて食料を得ることより、経済を成長させることを選んだ。経済と都市は発達し世界上位の経済大国となった。経済大国という風船をとにかく膨らませ続けてきた。結果、破裂した。震災による原発事故をそう例えることができる。まるでバベルの塔だ。

ぼくたち檻之汰鷲はこの会場に旗を立てた。日本の歴史を遡って野茶会にふさわしい旗を用意した。風になびく旗は、自然と人間を繋ぐ象徴だ。その旗を現地で竹を伐採して立てた。自然のなかに、色と形を添えて風景をつくる試み。都市ではなく、里山に旗を立てるのは、震災以降、新たな暮らしを模索する人々の象徴。我や彼らを応援する旗。

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みんな探り探りだ。どうやって生きていけばいいのか。その答えはないのだから、自分で探すしかない。自分の道をみつけることを「冒険」と呼ぶ。安定も安心もない。そもそも安全を誰かに確約してもらうことこそ危ない。「安全を謳う広告は危険そのもの」誰かに安全を提供してもらうことは高額な消費をすることになる。クルマにしろ、家にしろ、野菜にしろ、遊び場所にしろ。

イベント中は、北茨城市でやっているガーランドづくりをやった。子供たちが集まってきて、旗に絵を描いて、会場を飾った。40mもの長さになった。

 

帰りにチフミの実家で一泊して、久しぶりにテレビを観た。

ある議員の「戦争をするしかない」という発言。戦争なんてない方が良いに決まっている。けれども、それは理想だと反論される。アメリカのチカラを借りずにどうやって自分の国を守るのか、それは武力しかない、と。ぼくは、昭和49年に生まれ、戦争を否定する教育を受けてきた。そういう映画や小説や漫画を読んで育った。だから「戦争」なんて手段が可能性のひとつとして言葉にされることすらあり得ないと思う。

老人の運転の危険について報道されていた。ぼくのお爺さんの世代、もうほとんど亡くなっている、その世代はクルマがない社会で暮らしていた。けれども、高度成長期にクルマは生活に必須となって、豊かさの象徴となって浸透していった。おかげで田舎のカタチも変わってしまった。免許証とクルマがなければ生活できない地域になってしまった。

戦後から現在まで膨らませ続けてきた風船は、あちこちで破裂している。戦争発言、老人による事故の多発。

それぞれについて、どうこうコメントするよりも、自分の暮らしをつくることで、行動することで、それぞれへの答えを示したい。

小さな試みが積み重ねが繋がって、新しい暮らしのヒントの種が蒔かれたらいい。その芽が分断していく隙間を埋めるように、右や左、上や下に橋をかけるように花開くことを信じて。

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ぼくたち夫婦、檻之汰鷲も新しいスタートラインに立っている。人生を作品にするシリーズ第3巻を構想したい。

 

これまでの檻之汰鷲の本

第1巻

生きるための芸術 40歳を前に退職。夫婦、アートで生きていけるか (ファミリーズ「お金からの解放」シリーズ)

生きるための芸術 40歳を前に退職。夫婦、アートで生きていけるか (ファミリーズ「お金からの解放」シリーズ)

  • 作者: 檻之汰鷲,(発行)ファミリーズ
  • 出版社/メーカー: メディア・パル
  • 発売日: 2017/05/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

第2巻

漂流夫婦、空き家暮らしで野生に帰る。 -生きるための芸術2- (「お金からの解放」シリーズ)

漂流夫婦、空き家暮らしで野生に帰る。 -生きるための芸術2- (「お金からの解放」シリーズ)

  • 作者: 檻之汰鷲,(発行)ファミリーズ
  • 出版社/メーカー: メディア・パル
  • 発売日: 2018/12/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

続く。



毎日が歩くようにゆっくりと人生を進めてくれれば、それこそが幸せ

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自然から教わることが多すぎて、失敗もたくさんある。アトリエの近くに暮らすミツコさんから畑を間借りして、去年から少しずつやっていて、今年はジャガイモを植えた。去年小さくやって調子良かったので、今年はもっと収穫してやるぞと意気込んでいた。4月に植えて、先日様子を見に行ったら、何モノかに種イモを食べられてしまった。とても上手に掘り返して食べていたから

「うわぁー。まじかー」とショックではあったけど、その丁寧なやり方に嫌な感じがなかった。

 

これが自然だ。食べられてしまったジャガイモの事件に悪意はない。食料があるからそれを動物が食べた。それだけだ。ぼくら人間はもっとめちゃくちゃなことを自然に対してやっている。

ミツコさんにそれを話したら「ジャガイモは食べられるよ、って最初に言っていたじゃない」と言われた。すっかり忘れていた。

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ミツコさんはその後、畑に網をかけて、土のうえでぐったりしているジャガイモの苗を土を寄せて植え直してくれた。こうやるんだよと行動で教えてくれてるようだった。

ぼくはもう45歳になるけれど、何も知らない。何モノかにジャガイモを食べられしまって、ようやく害獣という敵の存在を知った。社会のシステムのなかにいれば敵はなく、守られている代わりに自由がなくて、むしろ人間自身が敵のような環境で、そのそとに出て自分のチカラで生きようとすると、自然を相手に格闘するハメになる。その世界の新入りだ。

 

どっちが良い悪いでもないし、上下があるわけでもない。たとえ人類のなかで最下位だったとしても、やっていることが楽しければ、それで生きていけるのであれば、それをやればいい。ジャガイモのことは失敗じゃない。ひとつ経験して学んだ。そしてミツコさんのおかげでジャガイモは収穫できる、きっと。

 

アトリエの古民家の庭には琵琶の木もあって、この実が小さいので、大きくできないかネットで調べたら、実がひとつの枝き混んでいると大きくならないと書いてあったので、小さな実を減らした。たしかにひとつの木にまるでタワーマンションみたいに実が成っていた。人間も同じで混んでいる場所にいると成長できないのかもしれない。

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チフミと話して害獣対策をしてみることにした。バリ島で見た竹の小屋を建てることにした。壁を何でつくるか、屋根の素材を何にするのか、いろいろ検討の余地はあるけれど、考えると進まないので、とりあえず竹で構造だけ先に作った。

ぼくは農家を目指している訳ではない。自分が食べれる分くらい自給できたら嬉しいけれど、人間が太古からしてきた営みをアートとして表現できないか、その糸口を探している。だから農家みたいなことをしている。まだその行為の何を作品にできるのか分からないけれど、生活をアート作品にしたいと思っている。

最近は、役に立たないことがアートなんだと思うようになった。役に立つだけのモノならそれは道具だ。アートとは意味のない無駄なことだ。アートとはまるで禅問答のようで、まったく役に立たないのだけれど、心を捉えて離さない魅力があるものだと言い換えることもできる。だから、畑につくる害獣対策の小屋も、役に立つことより無駄なことにチカラを注いでみようと一緒に作品を作っている妻に話したら、

「トマトの家を作りたい」

と言い出した。

「なんて無駄なんだ」そう思った。けれども、そういうことをしてみようと話したので、明日やってみることになった。トマトに家なんて要らないのに。

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宮本武蔵は言った。

「日常が戦場になれば、戦場が日常になる」

毎日が歩くようにゆっくりと人生を進めてくれれば、それこそが幸せだ。トマトに家はいらない。だからぼくはそれを作ってみることにした。

してきたことしか反映されない。人生に。

友達がSNSに現実をもっと見た方がいいとネットのニュースをシェアしていた。つまり、世の中これだけ腐っているから、何か考えるなりアクションを起こすなりした方がいいというメッセージだった。

ネットのニュースは現実なのだろうか。面白い議論ができそうだ。ぼくは、インターネットの情報は現実ではないと思う。ネットで交通事故を報じてもぼくはそれを見てもなければ体験もしてない。ネットが戦争を報じても、ぼくはそれを見ても体験してもいない。

現実は目の前にしかない。そうやって線を引いてみたらどうか。SNSの投稿やニュースを現実から切り離すと、世界はぐっと狭くなる。限られた情報しかない。その小さな世界はどんなだろうか。退屈なのか、それとも楽しいのか、忙しいのか、クソつまらないのか。

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週末は北茨城市から東京へクルマで出掛けた。2時間30分ほど。遠くもないし近くもない。絶妙な距離感。目的は、来週末の岐阜県加茂郡で開催される野茶会にアートで参加する材料を仕入れるのと、以前マネージャーをやっていたバンドWRENCHのアルバムリリースイベントに遊びに行くこと。ついでに日曜日は、東京オペラシティで開催されているトムサックスの展示ティーセレモニーを鑑賞した。

 

野茶会では、布を使って旗を自然のなかに飾ってみようと考えている。戦国時代の旗みたいに。布は、軽くて大きい素材。風を利用できる。持ち運びに便利。日暮里の布問屋街で仕入れた。そのあと、髪の毛を切りに行った。原宿の美容室カーム。ここは、ぼくが絵を描きはじめて、まだどこにも飾ってくれる場所がなかったとき、絵を飾らせてくれた。それはもう10年以上前の話。カームの荒武さんは、SNSとかインターネットをやらない。けれども美容室に来るお客さんの話を聞いているから、その情報が飛び交っていてまるでSNSみたいな状況になっている。カームでおしゃべりすれば、それは風の噂のように友達の間に浸透していく。もちろん、荒武さんは楽しい話題や嬉しいニュースを広げてくれる。これは酒場や銭湯やコミュニティーを形成するような商売が担ってきた役割として、むかしからあったんだと思う。

 

12年ぶりにアルバムをリリースしたWRENCHはハードコアで重いサウンドにテクノの要素を融合させた、ほかにない音楽性を進化させ続けている。ポップな楽曲をつくることよりも、この世に未だ存在しない音楽を創造することを志向しているバンド。27年目だそうだ。ぼくはこのバンドのマネージャーをやりながら、表現することとマネージメントすることを学んだ。

リリースパーティーにはたくさんの友人知人が集まって楽しい時間を過ごした。アート活動を褒めてくれたり、頑張ってると声を掛けてくれたり、ぼくがやっているバンドが良いからライブを楽しみにしているとか、励ましくれる言葉をたくさんもらった。家を改修する仕事も2件ほど相談された。それが仕事になるかどうかは、まったく分からない。ぼくはノーエクスペクティションを基本スタンスにしている。つまり期待しないこと。未だない物事に期待を寄せて、現実まで盛り上がっても、それは架空の成功であって、何十年後の給料を数えて金持ちになった気分になるみたいなことだ。無駄な期待はしない方がいい。落ち着いて日々を楽しもうと思う。

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初台のオペラシティのトムサックスの展示は刺激になった。トムサックスは、3年前にニューヨークで滞在制作しているとき、ブルックリンミュージアムで開催されていた展示を見てファンになった。今回の展示は、茶道をテーマにしていて、利休的な伝統に従って、既成概念を破壊していて痛快な仕上がりになっていた。

ぼくがいまやっていることとは、少し違うのだけれど、これまで歩いてきた道とこれから進もうとしている方向性に自信が持てた。音楽を聴くのも本を読むのも映画を観るのも、アートを鑑賞するのも、すべて自分の活動の糧にするためだ。

体験が作品の材料になる。ぼくは生活そのものをアートだと証明したくて、生活を作品として表現している。けれども、生活と芸術を一致させることは、アートが生活のなかに溶けていくことでもあって、ときにカタチを見失ってしまうこともある。それでもそれを表現として成立させて、鑑賞できるカタチに仕立て上げなければ、生活をアートとして提示することができない。ここには、多少の無理矢理な強引さで、破綻していても、歪んでいても、間違えていても、目の前に出現させることで、未踏の領域をアートにする可能性がある。これは作品が生まれるずっと前の段階の思考。根は深く掘った方が実りがある。だからぼくはこうやって考えを巡らせる。この時間に意義がある。


心掛けとしてはこうだ。何かを買ってきて、それを生活の道具として使ってしまえば、そこに創造性はなく、ただの消費になってしまう。つまり、SNSをシェアするだけでは、社会を悲劇として鑑賞する観客でしかなく、それは現実を直視しているわけでもなく、むしろ目を逸らしている。

現実とは、あらゆる拡張を切断した生身の世界。この小さな世界では、誰もが責任を負っている。楽しくするも悲しくするも、主人の振る舞い次第。つまり自分の人生の王様であり首相でもある。それは国家でもある。貨幣を手に入れるための経済、食料自給の問題、人との付き合いとしての外交、生活を豊かにするための文化活動や娯楽、自然との関わり方、エネルギーについて、ぼくたちは、人生のなかで政治家になる必要もある。

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これは日記で、自分に起きた現実を書き起こしている。この現実をどうやって、明日明後日と続いていく日常に反映させ人生を作っていくのか、自分の思考と作戦会議をしている。

人生とはお金の問題じゃないし、自分自身がどうしたら独立して自由を獲得できるのか。どうして諦めることがあるんだろうか。明日死ぬとしたら、何をしたいと思うんだろうか。

 

作戦はこうだ。大地を開墾して野菜をつくる。廃墟を改修して、いま暮らしている限界集落をプレイスポットに改造する。馬小屋ギャラリーの一階を耐震構造としてのボルダリングウォールをつくる。竹を利用して筏と舟の融合した乗り物をつくる。穴を掘って採取した粘土で生活するための皿やコップをつくる。野外展示オブジェをつくる。去年作った馬のオブジェを移動して蔦を絡めてみよう。信じられないことに、これらのいくつかが仕事になって、いくつかが遊びであって、誰かを楽しませていて、おかげでこれらの活動のいつくかが未来には仕事になったりして、そうやって生き延びている。

尊敬する友達が言った。

「一寸先が闇に感じるってことは人生をクリエイトしてる証拠だ。安定するな。そのまま行け」

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