いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

作品が売れるとき

展示の休憩時間。いま起きていることを文字にしている。ぼくは芸術家。有楽町マルイで個展をしている。自分たちの作品を販売している。アート作品は商品ではないけれど、商品として扱うこともできる。というかぼくらはマルイで販売しているから商品にしている。何を売っているのか。

ぼくたちの作品が売れるとき、文字通り作品を売るのだけれど、それはモノを売り渡す取り引きだけではなく、ぼくたちの活動を、それに纏わるさまざまな文脈をまとめて販売している。だからモノの対価だけでなく、活動への支援も含まれている。

ここに課題が見えてきた。知っている人たちが応援してくれることはほんとうに有難い。そのうえで、知らない人たちにどうやって伝えるか。ぼくは作品を販売するために制作しているわけじゃない。もちろん売れることは生きていくために必要だし嬉しい。けれど目的は販売のずっと先にある。

生きる。すべての人がしているこの活動の自由さ、その可能性、それ自体が編集可能であること、高いは低く、長いは短くもなる。どちらにでもなる。わたしたちは会社や社会に属しているのではなく、主体はわたしたちの側にあり、都合よく会社や社会、自然を利用すればいいこと、例えばそんなことを伝えたい。シンプルに言うと競争から逃れても死なないどころか快適に暮らしをつくれる余地=ゾーンがある。それは社会のバグ、エラーみたいなところで裏技でもある。

そんなゾーンを開拓して生きることを研究している。その手法がアート活動になっている。だから哲学でもいいのかもしれない。でも哲学よりも先にアートがあったと直感している。それは人間が生きるためにしてきた工夫から派生した技術、食べるための、採取、狩猟、それらに関する技術が姿を変えて現代社会の隅々まで根っこのように張り巡らされている。そのほとんどは商品やサービスという役割を演じている。

つまりぼくらの作品も商品を演じている。作品たちは太古にルーツを持つ。身の回りの自然から作られている。アートが太古にあった姿を最短距離で現在に繋いで表している。最先端である今と太古を結ぶ線。その先端の先、常に数秒先の未知に触れたい。

展示を見に来てくれた人が言った。

「震災の年に展示があって、絵画に何ができるのか、そんなときに絵なんて描いてていいのか、ほかにできることはないか、悩んだけど、わたしには絵を描くことしかできない、だからそれに専念した。展示をしたとき、たくさんの人が絵を見に来てくれ、喜んでくれた。そのときに人にはアートが必要なんだと確信した」

台湾に移住した先輩が言った。

「これから先は、個人が国家や宗教を超えていかなければならない。だって、国家権力がどうぞ我々を踏み越えてください、なんて言うわけはないだろ。宗教だってそうだ」

マルイに通勤する行き帰りの電車でミシェルフーコーを読んでいる。

吉本隆明との対談で、マルクス主義について、それはすでに歴史の側にあるとして、その主義が正しいか正しくないか議論すること自体が、すでに権力に呑まれている、と言っている。それを支持することは権力にコントロールされていると。

つまり何かのコンセプトをそのまま利用することは、それに呑み込まれそのまま過去になってしまう。それは技術やジャンルを支持することもそうだし、パーマカルチャーやエコビレッジや、地方移住やDIY陰謀論の類も、どれも文脈をトレースしてしまえば、パッケージ化されたものになってしまう。

売れる、売れない、何がアートであるかとか議論すること自体に意味はなく、あらゆるものを越境して表現すること、それが現在地を描き出す、その地図を広げてみせること、それが未だ見たことのない、けれどもみんなが見たかった、もしくは知ってるけれど見えなかったような、そんな像(かたち)を空間に彫り出すことなんだ、と感じている。