いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

何もないような日にこそ大切な何かがある

昨年の大雨で川のようになった倉庫を片付けた。ギリギリ大きな被害はなかったけれど、土が1センチほど積もっていた。コンクリートが剥がれた箇所を新たに練ったコンクリートで埋めた。生活環境をつくるのがとにかく楽しい。それを生活芸術と呼んでいるけれど、今のころこれはアートではない。

片付けたら、泥だらけの木材が出てきたので、ウッドデッキをつくることにした。 

ウッドデッキを作っていると通称監督ことシゲボウさんが現れて

「何してるんだ?」と聞くので

ウッドデッキを作っていると説明したら、早く寝室を完成させろ、と言われた。

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ここは舞台か映画の中のようだ。朝日が昇り日が沈み、また明日が来る。繰り返す今日、その1日ずつ生活をつくる。

 

廃墟に暮らすため、地元の電気屋さんに開通工事を依頼した。12月に頼んで来たのは3月末。急いでることでもないし、電気がなくてもこの場所は構わないので放置していた。そんな時間感覚で生きていられる環境に感謝しかない。これは何かの実験。失敗も含めてテストされる被験者として生きている。

 

電気屋さんも、ここでしていることを理解してくれて、不要になった照明器具を再利用してくれた。

昨日、土曜日に急遽電気が開通することになり、壊れていた照明器具も直して持ってきてくれた。ここでは、ここにあるモノが最優先で利用される。役に立たないモノも活躍できる楽園。


午後から雨が降ってきた。工事が終わって、チフミは電気屋さんたちにコーヒーを入れて、みんなで薪ストーブで暖まった。業者さんもぼくらも、今を生きている仲間。ここで出会えば協力し合う。お金だけじゃない。そこら辺にニラが生える話で盛り上がった。知らなかった。

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平さんが、チェンソーの研ぎ方を教えに来てくれた。道具を手入れできるようになるとやっと仕事ができるようになった気がする。

 

チフミがネギとさやえんどうを植えた。食べ物を作りたい。自給自足するほどではなくてもいいけれど土から何かを作ることは、クリエイティブの根源に触れる作業だ。カルチャーの語源はカルディベイト。耕すことが文化そのものだ。

土について知識が足りない。とりあえず、食べ物を栽培するにはよい土が必要らしい。よい土とは有機物が多いこと。有機物とは、微生物によって分解された葉っぱとか。だから雑草を刈ったら土をかけて山にしている。よい土になるはずだ。

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廃墟にはトイレも水もなくて、コンポストトイレをやろうと思って、コンポストのバケツを買った。半年くらい放置していたけれど、昨日ようやくそのバケツにウンコした。バケツのうえに廃タイヤを置いて便座にした。ウンコに腐葉土をかけてバケツに蓋をしておく。二か月すれば堆肥になっているはず。

 

地方に住むと競争が減る。人間の数が少ないから、仕事が回ってくる確率が高くなる。ぼくは抜きん出て優秀な人間ではないから、競争になると負ける気がする。高みを目指す気はない。ただ生きていたい。低空飛行していれば、何が起きてもサバイバルできる。いろんなことを適当にやったらいい。遊びだ。時代は便利になったのだから最大限利用して豊かに暮らせばいい。遠慮はいらない。

 

北茨城市での芸術家としての活動が、この三月で終了する。ここでの暮らしは継続するけれど、3年間の経済的なサポートはこれで終了する。


友達が引っ越しに使えとクルマを貸してくれたので、ほとんど使わなかった旧小学校のアトリエを片付けた。借りたクルマのスピーカーからブルーハーツが流れた。

 

ブルーハーツの歌詞のような気持ちで生きたかった。彼らの歌に感動して、あれから30年が経って、そういう風に生きることができたかもしれない。

 

そうだ。

諦めるなんて死ぬまでない。