いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

トルストイの民話、やば過ぎる。

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トルストイを読んでしまったら、あまりに社会と距離ができてしまって、言葉が出てこなかった。トルストイの民話は危険な読み物だ。美し過ぎて、いまの社会にはまったく適していない。

昨日読んだ話はこうだ。

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ある兄弟が、困っている人たちを助けながら、自分たちも慎ましく暮らしていた。兄弟は月曜日から土曜日まで、お互い別の場所に出かけては人を助けていた。日曜日だけはお休みだった。ある日、それぞれ別の場所に向かって行くとき、兄は振り返って弟の姿を見送ろうとした。すると、弟が飛び上がって何かに驚き、逃げるように消えていくのが見えた。

兄は何があったのか、とその場所に行ってみると金貨が山になっていた。兄は、その金貨があればいつもよりたくさんの人を助けられると思い、拾い集め、街へ向かった。

街には困っている人がたくさんいて、兄は病院をつくり、浮浪者のための施設をつくり、孤児院も作った。それぞれの施設に高齢者を雇って働かせた。

その週もたくさん人を助けたので、日曜日にはいつものように家に帰った。

すると家のそばに来ると天使が現れ言った。

「お前はなんてことをしたんだ。もう弟と共に暮らす資格はない。」

兄は理解してもらえると思って金貨をどうやって使ったかを説明した。

天使は答えた。

「金貨は、悪魔がおまえを誘惑するために置いた。お金を使ってお前がしたことより、金貨から逃げた弟の行動の方が尊い

兄はそう言われて、良心が目覚めた。金貨など使わずに自分で働いたときにはじめて、人に尽くすことができると悟った。こうして、兄弟はもと通りの生活をするようになった。

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この話を読んですぐには理解できなかった。兄がしたことの何が悪いのか。でも、いまは分かる。いまの時代には、あまりに純粋だし無欲な話過ぎる。おかげで、芸術とは人間について表現する技術のことだと考え直すことができた。美しさ、愚かさ、醜さ、悲しみ、喜び。芸術は、あまりに複雑な人間の姿を絵画や文章で表現してきた。またそれは哲学や宗教にも通じる。

宮沢賢治が、書いてきた物語世界にも通じている。だから久しぶりに「虔十公園林」を読んだ。やっぱり涙が出た。

ぼくが心を動かされた表現は、人間に関するものだった。音楽もそうだし、宮崎駿のアニメもそうだし、柳宗悦の民芸、宮本武蔵手塚治虫、彼らが教えてくれたことと、いまの時代の空気があまりに違い過ぎて、世の中から気持ちが離れている。ここで言う世の中とは、ネットやSNSやニュースが伝えることだ。そんな大きな話題ではなくて、ぼくたちひとりひとりの心が何処へ向かおうとしているのか、その問いの方がよっぽど大切な時代に思える。

だからぼくは、疎開しているのだと思う。都市から離れ、要らないものと距離を置いて、心のバランスを取っている。これは、ハキムベイという人が書いたT.A.Z.(一時的自立ゾーン)でもある。従うでも、抵抗するでもなく、自分がやりやすい生活環境をつくり生きていく。

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ぼくは、いま自分の目の前の世界に満たされて、世の中で騒がれていることに興味が持てない。世間の欲があまりに深過ぎて、至るところに悪魔が罠を仕掛けているように見える。そんなことに心を費やすより、日々、汗をかいて自分の生活空間を作ること。そこに平和がある。心の平和を作ることができる。