いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

One of thesedays 70

作家やアーティストと名乗る人と会うとき「何をつくっているのか」という話になる。金曜日に笠間の陶芸学校を卒業して北茨城市に拠点づくりに引っ越してきた市川さんの歓迎会で
「市川さんは、どんな作品をつくるのですか?」
「わたしは陶芸ですが陶器ではなくて、大きなオブジェをつくります」
「用の美ではないんですね」
「もっと抽象的な作品です」
という話になった。

ガラス工房シリカの門馬さんと話したときチフミが
「ガラスのコーヒーカップはつくれますか?」と尋ねると
「ガラスにも種類があって、耐熱ガラスは特殊で、それに特化した技術が必要になるんです。わたしは耐熱ガラスはそんなに触っていないので、つくってもよいもができる自信はないです」
という話になった。

「ものをつくる」とはどういう行為なのか、いつも考える。

「檻之汰鷲(おりのたわし)さんは何をつくるのですか?」と質問されれば、こう答える。

「コラージュです。紙を切って貼って作品をつくります。でも今は、紙だけでなく、いろんな素材を組み合わせて、家を直して作品にしたりもします」

昨日からは屋台をつくっている。野外で出店するときの簡易的な店舗を設計している。計画としては、この構造を将来には間伐材でつくりたい。ぼくのものづくりは作品がどこからやってきたのかを重視する。そのアイディアがやってきた場所、作品の材料が辿ってきた由来、そのストーリーが作品になる。

 

いまつくっている簡易屋台のルーツはバラックもしくは小屋掛け。例えば、戦後や災害のあと、人々は瓦礫の中から、廃材を組み立て簡易住宅をつくったのがバラック小屋。炭焼きや、猟をして山を歩いた人々が、そこにあるもので即興的につくったのが小屋掛け。

何のために何をつくっているか、という問いに答えるなら、登山に例えることができる。ちょうど「登山の誕生」という本を読んでいるので引用しよう。

 

近代的な登山や探検・冒険と自然科学の間には共通の基盤がある。それは旺盛な好奇心である。好奇心の旺盛な人間は不思議なことをおもしろがり、単なる実用の域をはるかに越えて物事を知ろうとしたり、一文の得にもならないことを一生懸命に調べたりする。あるいは奇妙なものを発明したり未知の領域を求めて、どんどん突き進んでいったりもする。

民衆の好奇心を野放しにすれば、その中から必ず、いろいろ不思議なことに興味や関心をもったり、疑問を感じて何かを調べたりする変わり者が出てくる。民衆が賢くなれば、不平等に対する疑問や特権階級に対する疑念が生じ、それが政権の基盤を危うくすることに繋がってしまうからである。このため歴史のほとんどの時代を通じて、民衆は好奇心を持たないよう抑圧されてきたし、それは処罰されてきた。江戸時代は「由らしむべし、知らしむべからず」を統治の基本としてきた。いづれにしても、近代的な登山や探検・冒険などは、好奇心をそのまま発揮することが許される、ごく最近の時代になって初めて生まれてくるのである。

 

作家やアーティストに「何をつくるのか?」という単純な質問で得られる答えは、名前を聞いたぐらいの意味しかない。作家ひとりひとりの想いは、地中に深く根を張るように広がっている。たぶん、陶芸の市川さんもガラスの門馬さんも純粋な好奇心をカタチにしようとしているのだと思う。ものづくりは、たくさんの種を蒔いて、ようやく花開いたものが作品として残っていく。それは果実でもあり、収穫物でもある。とても自然な創作を追求しているのだと思う。

ものづくりは、いくつもの失敗や実験、無駄を踏み越えて、結晶化していく。その意味で、アート活動は一次産業だ。林業、農業、漁業、芸能。スーパーで野菜を買うのと、大地を耕して畑をつくり食べる野菜、生産者の苦労や理想を知って食べる野菜との違いのような。

そして登山だとするなら、前人未踏の頂を目指したい。誰かがやっていることではなく、前例も地図も参照するものがない地点を探る作業。

その点で展開するなら、ぼくは、日々の生活のなかにアートが宿ると考えている。それは20世紀に西洋のアーティストが、シュールレアリズムが無意識の拡張からアフリカの民族的なものに芸術を発見したように。今現在の日本で、芸術的なるものは、失われていく生活様式に見出すことができる。さらに誇張すなら、現代世界に通用するコンセプトだと思っている。

発達と未発達、先進と後進、貧する者、富む者、宝物とゴミ、都市と自然。経済成長を豊かさだと錯覚する現代社会に警告したい。両極に広がっていく格差の価値を逆転させる装置、それがぼくの考えているアートの機能。アートは織物だ。タペストリー。異なる色、種類の糸を紡いで、一枚の布を織ること。ここに言葉を紡いで、自分のアートを進化/深化させている。純粋な好奇心の表現を追求して、生きていける環境をつくりたい。