いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

夢が現実になった景色

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11月は驚くほど予定が集中している。いまは、生きてきた時間とこれから生きる時間の分岐点なのかもしれない。ぼくは生活を作ってきた。どんな場所に暮らし、どんな仕事をして、どんな家に暮らしたいのか。その問いを追求してきた。この活動を何て呼ぶのだろうか。
これが人生だ。これが生きるということだ。真っ正面から立ち向かえば、道は拓ける。けれども「人生」という言葉を笑う人がいる。人生をつくることをアートだとは誰も言わない。だからぼくは生きるための芸術を表現している。

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朝起きてコーヒーを飲んでパンを食べる。アトリエに行く。アイルランドの友達トムがアトリエに滞在している。一緒に作品をつくる。畑に行って野菜を収穫する。近隣の方が食べ物を差し入れしてくれる。お昼を食べる。取材が来る。打ち合わせに来る人がいる。また制作する。夜になる。夕飯を食べる。トムも疲れてきただろうから家に帰る。8時頃から出版する本の校正をする。デザインの仕事をする。10時なる。ハイボールを飲む。引き続き仕事をする。寝る。こんな生活をしている。今日、ついに2冊目の本「漂流夫婦、空き家暮らしで野生に帰る」の校正が完了した。100回は読んだ。

先日、PRの打ち合わせで、いわき市の宮本さんが来てくれた。宮本さんとは週末の東京からの仕事をつくるツアーのプレゼンイベントの懇親会で知り合った。一緒にいた渡邊さんも含めて、とても親近感を覚えた。ああ、これからも会うことになる人たちだな、と思った。そのさらに1週間前、日立市小木津の海老沢さんが、企業のロゴデザインを発注してくれクライアントさんを連れてきた。話すと、自分が住みたいと思っている海のエリアを開拓すると話した。そこでマンゴーを栽培したら面白いと笑いながら話した。冗談みたいな話しだけれど、マンゴーを栽培するのは、ぼくの夢だった。海老沢さんにその話をしたことがあったのか、突然目の前にそのカードが現れた。これがセレンディピティという魔法で、あとはどうやってそれを実現させるのか、ゴールまでの道のりをオブザベーション(観測)する。これはボルダリングで学んだやり方。結局のところ、夢に到達するには人との出会いしかない。

人は現実と夢の狭間に生きている。夢ばかり見ていると、夢想家だと言われる。現実ばかりではリアリストだと言われる。何と言われても構わないけれど、現実と夢は近い場所にある。表裏一体でもある。ほんとに近くにあるのだけれど、急にはそこに行けなくてゆっくりと歩くようにしか、もしくは暗号に閉じた扉のように簡単には開かない。夢は掴んだ途端に現実になる。コインの表と裏のように。マジックのように夢は現実になるから、そこでは自分が望んだ場所にいることを忘れてしまう。ここには生きてきた時間とこれから生きる時間との分岐点がある。

例えば、働きたかった業種の仕事に就いたとか、好きな人と一緒になれたとか、目標の学校に進学できたとか。どれも人生の通過点。まだ続きがある。けれども、続きがあることを忘れて、そこに安住してしまう。夢を追いかけるのを忘れてしまう。何度でも夢を見て、その先へ先へと進む挑戦を続ける。それが生きるということだと思う。

特に書くこともなかったのだけれど、こうやって自分と向き合って言葉にしてみれば、今迄捉えることのなかった瞬間に立ち会った。人生がいくつかの山を登ることなら、今は次に登る山の頂がずっと遠くに幽かに見えている。どうやったら、そこに到達するのか道はまだ見えていなくて、けれども振り返って見れば、これまで歩いてきた道も見える。
生きるということに真っ正面から向き合えば、人間は死なないどころか、ずっと楽しく、助け合いながら生きていける。もちろんそれは、突然降ってくるようなラッキーではなくて、あらかじめ準備したり、そこに向かって歩いているから、到達できることでもある。
日々の制作が、ぼくたち夫婦の人生をどこに連れて行ってくれるのか楽しみにしている。もうすぐ3冊目の本の冒険が始まろうとしている。生きるための芸術を追及する冒険は続く。

 

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「生活芸術商売」展 
Curated by 檻之汰鷲(おりのたわし)

開催日時:
2018年
12月1日(土)~12月9日(日)
11:00~21:00
(日・祝は10:30~20:30)
場所:有楽町マルイ 8F
(東京都千代田区有楽町2丁目7-1)