夜、アトリエからの帰り、クルマのラジオからクロマニヨンズの新曲が流れた。タイトルは「生きる」だった。マーシーとヒロトがゲストでどうでもいいことを話している。ほとんどのことがどうでもいいことで、そのなかに小さな楽しいことや喜びがあることが伝わって来た。レコーディングのときは一日に2~3時間しかスタジオに入らないとか、昼は回転寿司だとか。「一日だけ何かになれるとしたら何になりたいか」という質問にヒロトは、できるだけ小さいものになりたいと答えた。アリでは大き過ぎる。小さければ小さいほど、世界は大きく見えると話していた。
番組が終わるまで、クルマで聴いた。クロマニヨンズのヒロトとマーシーのライフスタイルに感動した。アルバムを作ってライブしての繰り返し。ロックンロールの初期衝動を忘れない。彼らほど成功しても初心を貫く姿勢。
家に帰ってお風呂を入れながら「旅する巨人・宮本常一と渋沢敬三」を読んだ。歩く在野の民俗研究家、宮本常一の本は10冊は読んだ。昭和の戦前から戦後、高度成長期までの記録されてこなかった人々の生活が見えてきて、その声が聞こえてくる本ばかりだ。宮本さんの本は、社会的に弱い立場にある人々の姿を描く。日本中を歩きに歩いた宮本さんの活動を支えたのが、財閥の渋沢敬三だった。宮本さんとパトロンの関係は、この本を読むまで知らなかったエピソードが満載で楽しい。宮本さんが歩いた当時、農民や漁民、山の民や流浪の人々の暮らしは、それこそ、どうでもいい取るに足らないことだった。それを生涯をかけて記録した。ぼくは宮本常一さんにとても影響を受けている。アートで何か、いま見失っていることに光を当てたいと思う。
お風呂に入ったら、図書館から借りていた「かぐや姫の物語」を観ようとチフミが言った。高畑勲監督、ジブリ作品。
とくに期待もなく始まって、すぐに絵が動いている作風に魅了された。いわゆるアニメとは違う、人が描いた絵が動いている。古くて新しい手法。舞台になっている村の景色は、いま自分がアトリエにしている北茨城市の富士ヶ丘に重なった。そんな里山の風景のなか子供たちが歌う
まわれ まわれ まわれよ
水車まわれ
まわって お日さん 呼んでこい
まわって お日さん 呼んでこい
鳥 虫 けもの 草 木 花
春 夏 秋 冬 連れてこい
春 夏 秋 冬 連れてこい
なんて素晴らしい映画なんだろうか。いま観るべきタイミングだった。ぼくたち夫婦には、子供がいないので、竹取の翁と婆やの気持ちになって、気がつけば何ども涙が溢れていた。竹取物語は、日本最古の物語だと言われている。ここには人間の欲望に対する罪と罰が描かれている。人間は何も変わっていない。
田舎の山のアトリエにいても、インプットはできる。むしろ、情報が少ないから、必要なことだけキャッチできるのかもしれない。
12月の展示のタイトルは
「何もないは美しい~理想の暮らしから生まれる作品展~」
にしようとチフミに話した。
虫、鳥、けもの、草木花。
ぼくら夫婦は、彼らの仲間でいたい。